Talk-Night表紙_03-4

#03 饗庭伸×田中元子×水野祐④オープンスペースは街のどこにあるのか

書籍 『アナザーユートピア』(NTT出版)を起点として、これからの街づくりのヒントを探るトークイベント「Talk Night オープンスペースから街の未来を考える」。2019年12月3日に開催した第三回目では、「広場と空き家から考える街のあり方」をテーマとし、首都大学東京教授の饗庭伸氏、株式会社グランドレベル代表取締役の田中元子氏、弁護士の水野祐氏をお招きしてお話を伺いました。(全5回)
▶① 人口が減ると都市はどうなるのか 饗庭伸
▶② 1階をひらいて、街に賑わいをつくる 田中元子
▶③ 法が街づくりを加速する 水野祐
▶⑤ 街づくりの思想をいかに鍛えるか

時代遅れの法律をどうするべきか?

田中:水野さんのお話を、すごく感銘を受けながら聞いていました。ボトムアップがいい、市民参加がいい、能動的な方がいい、とよく言われますが、それがなぜいいのかに迫るお話でした。

私は、雛鳥みたいに口をパクパク開けて、モノや情報やルールを与えられて一生を終わるような社会に生きていたくありません。100%受動的な生き方をしていては、その人らしさや人生の質を高めることは難しいと思います。

でも、管理する側は、人が受動的な方が楽ですよね。公開空地ひとつとっても、本来は、みんなが活き活き使える空き地にしようとルールがつくられたはずなのに、結局、管理しやすいように、誰も座ることもできないような空間が量産されてきました。だから、「おかしい」と思うことは、これから自分の手で変えていかなくてはいけないと、改めて思いました。

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饗庭:僕は、法ってひどいものだと思っています。基本的には、雑なものというか、どんなに相手のことを思っていても、上から目線というのが法です。先日の新聞に、高校生が校則を比較するプロジェクトを立ち上げたという記事がありました。靴下は白がいいとか、馬鹿げた校則をひたすら列挙するのですが、そうしたものも、価値観の違う時代に、良かれと思ってつくられた法ですよね。

水野さんは「法のデザイン」という魅力的な言葉で、法がクリエイティビティをサポートすると主張されていますが、法はどう頑張っても法でしかないと、僕は思っています。僕は都市計画のことしかわかりませんが、容積率が何%とか、何階のビルをつくったら足元に広場を設けるとか、法は雑な用語でしかつくりようがないんです。

可能性があるのは、むしろ法を受け取るわれわれの、なんとかそこを抜けてやろうとする反抗心や、押さえつけられることによって出てくる何かなのではないか。無法状態よりも、多少とも馬鹿げた法があった方が、人はクリエイティブになれるではないか。お話を伺いながら、そんなことを思いました。

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水野:おっしゃるように、制約があることによって、自由や創造性が生まれるという考え方はあると思います。ある種のグレーゾーンや、アンダーグラウンドな部分での創造性は、文化や都市のレベルでも、過去にたくさん事例がありますし、今後も変わらないと思います。

「法が雑なもの」というご指摘はまさにその通りで、特に法律は、国民全般に適用されるものなので、どうしても雑にしかなりえない。というか、それぞれ柔軟にフィッティングするようなものではないんです。

特に今の成熟した日本社会においては、法が非常に多い状態です。「法」は、法律に限らず、「ルール」と言い換えてもいいのですが、すでにルールで埋め尽くされている現状があります。その余白の部分に、どう新しいルールをつくっていくか、ということが私の主張です。

よく「規制緩和」という言葉が、良いことのように使われますが、本来は、緩和した後に必要な新しいルールをセットで考えなくてはいけないのに、緩和だけが強調され、そのことは無視されがちです。

たとえば最近は、公開空地の占有に関する新しい仕組みがありますが、そこに丁寧にガイドラインを引くことで、なにがそこで可能かを示すこともできます。それも一つのルールメイキングで、なにができるかを提案するやり方はあると思います。

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オープンスペースの解釈をどう鍛えるか

田中:冒頭に、饗庭さんから、人口減少によってできた空きスペースをオープンスペースとして利活用するという前提のお話がありましたが、それはギリギリの問いだと思います。私は、街にベンチを設置する活動をしているのですが、うちも置いてますよという話を聞いて見に行くと、デッドスペースがあったからベンチを置いてみました、と言うんですね。

でも、本当のコミュニティや人のくつろぎが、誰かの余り物でできるわけがない。「余白」という言葉もそうで、余り物で人間らしく、という考えがそもそもおかしいではないかと。オープンスペースに関しても、建物の余った空間を使うのではなくて、人のやりたいことが前面にあり、その邪魔をしないように建物を建てるという順番だってありえると思います。

大きな力が管理しやすいように飼い慣らされている状態から、どう脱すればいいのかと考えながら、お話を聞いていました。

饗庭:それは多分、「余白」にたいする見方の違いだと思います。僕にとっては余白でも、もしかしたら田中さんにとっては余白ではない。たとえば、公園に適当な木が植わっていたとして、人間から見ればどうしようもない木でも、ある種の鳥にとっては、すごく幸せな環境かもしれない。違う種から見ると、都市の空間は全然違って見えるはずですよね。よくわからない2階の軒先にある出っ張りが重要になるとか、そのくらいフレームを外して、可能性を広げて考えていきたいですね。

違う種は言い過ぎだとしても、たとえば、イスラム教の人たちは、グリッド状の都市なのに、メッカの方に斜めに絨毯を敷いてお祈りをしています。違う宗教から見たら、また全然違う可能性が見えてくる。それぞれのバックグラウンドをしっかり認識したうえで、都市の空間を読んでいく。それがうまく重なって、いろんな可能性が試されていくのではないかと思います。

田中:お話とかみ合っているかどうかわからないですが、人間は、地球の裏側に行っても、柔らかいところは気持ちいいし、優しくされたら嬉しいし、あまり変わらないですよね。でも、家族や友人でも、宇宙人みたいになにを考えているかわからなかったり、びっくりするような違いがあったりする。
都市の余白が余り物なのか、活き活き使える絶好の場所なのかは、確かに立場や人の見る目によって全然違うはずですが、都市を読む目そのものがないと、何も見えない状態に陥ってしまいます。それに対して、私はモヤっとしています。

都市を読み込んで、自分がそこをなんだと思うのか。たとえば、キャンプと同じように、ただの空き地なのか、それとも解像度を少し変えれば、ワクワクするような場所になるのか。そうした可能性が開かれていかなければ、街は躍動しないのではないかと感じます。

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水野:今の議論で、僕はお二人とも同じことを言っていると思います。余白と呼んでいるところは、『アナザーユートピア』ではオープンスペースという言い方ですよね。街のリソースと言ってもいいのですが、その誤読可能性を高めるというか、誰かの目から見たときに価値が変わりうる空間であることが、むしろ重要なんじゃないか。ちょっと逆転的な言い方ですが、そういう場所こそ大事なのだろうと思います。

デザインの文脈では、障害のある人や高齢者、子どもなどを含めた、インクルーシブデザインの流れがありますし、ビルからビルに飛び移るパルクールの人やスケーターの視点を都市計画やまちづくりに活かそうという議論もあります。

饗庭:実は、「オープンスペース」という言い方が気に入りません。「余白」もそうですが、そのヨーロッパ的な公平な感じは、違和感があります。日本に広場をつくっても人が全然来ないのは、日本人が広場の使い方を知らないからだ、という話がありますが、本当にそうなのか疑問です。どう呼べばいいかはわからないですが、「オープンスペース」という呼び名でいいのかという問題はあると思います。

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→次回 饗庭伸×田中元子×水野祐
⑤街づくりの思想をいかに鍛えるか


日時場所
2019年12月3日(木)@シェアグリーン南青山
主催
NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室
撮影
高橋宗正
グラフィックレコーディング
藤田ハルノ+津布久遊 (テクストの庭)


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