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性自認の話

さっき風呂で描き始めたnoteの落とし所を見失ったので、1つ僕の話をして寝ようと思う。今回再開したnoteは"何となく書かなくなってしまう"ことを、出来ればしたくない。まとまらない話になりそうだがまぁ、つらつらと。

僕は、男性ではない。身体的特徴は女性だ。幼少期は"女の子"であることに疑問を持った記憶がない。
でも、今の自分が"女性"に分類されることに、言語化し難い違和感を持つ。かといって、男性になりたいかと言われると、それも違う。

様々な分類が存在する昨今、僕は何者なのか、ふと考えることもある。それは深く思い悩むほどのレベルでもなく、多様性が認められてきた現代において"女性"の2文字に縛られない生き方があるなら、もう解放されたいな、くらいだ。

幼少期に弟が生まれたため、母親は弟に対して、女子で言うところの「汚い言葉遣い」をするようになり、そっちの方が心地よく感じた僕は、真似しては怒られることに、疑問というよりは不満を感じていた記憶がある。
それでも20代前半頃までは、髪を伸ばしたり、スカートを履いたり、いわゆる女子がするであろう行動を色々と経験した。メイクだけは、昔からどうも苦手だったけど。

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最初に僕が「男として生まれていれば」と自分の性を明らかに呪ったのは、高校生の頃だ。機械職人の父の仕事を継ぐつもりが、「女の子にはやらせられない」と、性別だけの理由で断念せざるを得なかった。
自分にも大変な力仕事を、娘にはさせられないという親心だったのだろうか。それでも押し通せば聞いてもらえたかもしれないが、後の祭りだ。

僕の夢は絶たれ、その後のキャリア形成は本当に大変で苦痛だった。メンタル不調に陥ったこともある。

それでも女性として生きなければならないのだろうと、大して楽しくもない合コンに参加し、タイプでもない男性と連絡先を交換し、女性として生きようと試みた。セックスの時だけは女性らしさが出るのではと、無駄に不倫をしたこともある。"女の子"として可愛がってくれた相手もいたが、性自認の違和感が解消することはなかった。

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モヤモヤが吹っ切れるのは、30代に近づいていたある春の日だ。その頃僕はどうにも心の晴れない日々を送っていて、いつもどんよりしていた。その原因が花粉症以外のどこにあったか、今となっては思い出せないのだけど、とかく悶々と過ごしていた。

最早打開策を見つけることにも限界を感じ、半ば勢いで美容院を予約する。心の靄と一緒に、放置していた長い髪を一気に切り落とし、ベリーショートヘアにすると決めた。当時僕の髪は肩甲骨より長く、でも面倒臭くていつも所謂お団子にしてまとめていた。そんな作業にも、もう疲れてしまった。

ほぼ全ての女性は、容姿の話を抜きにして、可愛い or クール、どちらかの系列に二分できると考える。
容姿は中の下だが、どちらかといえばクールな雰囲気に憧れていた。しかし丸顔の僕は髪が長いと、可愛い側の部類になるのだと思う。いや、微塵も可愛くなどないのだが。二分すれば、の話だ。
僕はそれに気づき、ならばこの客観的に"女の子"に見られる雰囲気を捨てようと決めた。

馴染みの美容師に「本当にいいの?」と念を押される。僕は髪の伸びが人より遅いらしく、一度切ったら、また伸ばすのは根気のいる闘いになる。
大丈夫、決めたから、と伝えると、彼女は頷き、サラサラで周りに羨ましがられた僕の長い髪を「もったいない〜」と言いながら、しかしサクサクと切り落とし始めた。

後悔がなかったといえば嘘かもしれない。髪質は、自分でも「綺麗だなぁ」と思ったことがある。
でももう"女性らしさ"みたいなものが容易く目に入る自分の容姿もイヤだった。

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長くお世話になっている美容師は、僕が納得のいく髪型を見事に仕上げた。童顔にも似合う、黒髪ベリーショート。過言ではなく、生まれ変わった気分だった。あの爽快感はなかなか味わえるものではないだろう。僕にとって彼女は天才だ。

アイデンティティを確立できてなかったのだ。だから自分に対して納得感がなかったんだ。

会話での一人称単数を変えるほどの歳は過ぎた。そこはもう仕方ない。
でも、フォルムに嫌悪感を抱く"私"という文字も、無理に使う必要がない。脳内で言葉を紡いでいると、話す時の癖が出てしまうときもあるけれど。笑


そんな感じで、僕は何者か、自分でもイマイチ分かっていない。無理して分かろうとも思わないし、型に嵌めて考えることも、しなくていい気がするんだ。
僕が僕らしくいられる場所を、これから僕がここで創っていけばいいだけだから。

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