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○○人とは?自分のアイデンティティの揺らぎ

日本では「ハーフ」。
フランスでは、日本にルーツを持つフランス人。

私にとってフランス人であることは、ある意味あたりまえだ。
自分がフランス人であることを疑ったことはない。
フランス語を話し、父はフランス人、私はフランス人。

しかし、私が日本人であることに関しては明白ではない。
日本で生まれ、日本語を話し、母も日本人だが、私は常に自分の日本人としてのアイデンティティを探索し、常に自分が日本人であることを「証明」している。
私は怖い。日本語を忘れてしまうことが、日本語での読み書きや会話ができなくなってしまうことが。
日本語のやりとりをするたびに、「もっと勉強しないといけない」「自分のレベルが足りない」と自分に言い聞かせる。
「日本人にみえない」ことへの恐怖や不安があり、自分が子のアイデンティティに属していることを証明するために、自分のルーツや日本の伝統にしがみついていることに気が付いた。しかし、このようなことは自分がフランス人であることに対してない。

「あなたはパリジェンヌだよ。」

ただこの一言だった。

今まで住んでいた国の年数を数えてみると私は人生の半分以上をパリで過ごしていた。この一言で気づかされた。肩の重荷が下りた気がした。

フランス語に比べて言葉が出てこなかったり、ある言葉読んだり、理解するのが難しいのはあたりまえかもしれない。
それにしても、なぜ「日本人に見えない」ことに対する不安や恐れがあるのだろう。
私だけなのか?
何か理由があるのか?
原因は日本社会にあるのか?フランス社会にあるのか?
そもそも○○人って何だろうか?

考えれば考えるほど、自分のアイデンティティ、ルーツ、文化的道産。ハーフという概念について疑問を感じ、自分を表現する必要性を感じる。

2021.05

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