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名古屋STREETDANCE HISTORY15 〜2002年: 加速する独自路線〜


どうもです。UCです。

(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次15です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
(2020.07.10 追記アリ)


さて、
今回は2002年です。
日韓W杯で盛り上がった年ですよね。

サッカー少年だった僕も名古屋から鹿島まで観戦に行きましたね〜
日本戦のチケットは取れなかったですが。

まぁそれは置いといて、
名古屋ダンスシーンでも、それぞれの動きが活発化してきた1年でした。
ダンサーとして、チームとして、いち社会人として、
色んなスタンスが出てくるように思います。

ひとつずつ振り返ってみたいと思います。
(文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)


ダンスダイナマイト2002

名古屋の風物詩イベント『DANCE DYNAMITE』は、
この年も、
予選『CLUB QUATRO
本選『DIAMONDHALL』で行われます。

継続は力なりですね。

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▲DANCE DYNAMITE 2002予選フライヤー

GUESTに、
00年編で紹介した『Bush Babeez!!』が登場しています!
この頃には、初期メンバーから増員があり、
K-TA”(『Beeper』, 『C-HAIS』)なども加入していますね。

そして、
そんな『DANCE DYNAMITE 2002』予選を通過したのが、

1.『X.Y.Z
97年編の『D.I.L』, 99年編の『d-d』で紹介した”MARI”, “KANA”, “Meg”(元『supremes dance school』代表)を中心とする6人組チーム。

2.『inPACT
01年編で紹介した”TOSHI“, ”AGATCH“(現、『YAMAKAJI』のチーム。
2001年は、『TEAM』として優勝しています!
ちなみに、『inPACT』の初代メンバーには “TAKURO”(『激辛リベンジ』,『PUMPKIN HEADS』)もいたそうです。
さらにちなむと、“AGATCH”と“TAKURO”は兄弟です。

3.『名古屋城前ポッパーズ
98年編で紹介した名古屋POPシーンの第一人者的チーム!
 この時は、“ANI”, “BUNPEI”, “KIN”(すべて『ROOT’S ON』), “HIRO-C”の4人で参戦!

4.『MASTERS
※“NOBUTO“(『TEAM』)の生徒で結成されたチーム!”NOBUTO”譲りの巧みなタットでの構成がウリでした。

5.『CONTROL
01年編で紹介した犬山のbboy集団!
 当時の愛知bboyシーンを牽引していたチームです。この時のメンバーは、“SEN”, “L”, “グリム”, “KENSHIN”, “TAKAYUKI”, “MIGU”, “レオ”, “イタル”でした。

6.『goose bumps
※三重出身の全国的ダンサー”RYO“(『S+AKS』), ”RYOSUKE“(ともに現『TYJD』インストラクター) ”CHIHIRO“(現在LA在住)の男性陣と、”AYAKO“, ”Sai“, ”よっちゃん“, ”SHINO“の女性陣からなる7人組。
この年の予選”1位“通過チーム!

7.『Panic
※大阪のPOPチーム!“にしお”, “AKI”, “ひらぱー”(現、“YORI”/『DA PUMP』), “ザッキー”(この時は不参加)の4人チームです!

8.『Summer Peach
00年編で紹介した『FORCE DANCE STUDIO』第一期生チーム!
 当時小学生の“ももちゃん”と“なっちゃん”の2人組。

以上の8チームでした!
かなり顔ぶれが変わりましたね!

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▲DANCE DYNAMITE 2002 本選フライヤー

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▲DANCE DYNAMITE 2002フライヤー中面

GUESTも東京から『SPARTANIC ROCKERS』,
海外から、『EXPRESSION』, 『FRANK
そして名古屋から『CAKRA DANCE COMPANY』, 『Mel-O』, 『MADD
と去年に引き続き、パワーアップしてますね!


そして、その中で優勝したのが、
Panic』でした!
ダイナマイト初の東海勢以外の優勝ですね!

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▲DANCE DYNAMITE 2002 レポート

盛り上がっていますね。


SUPER BAD 2002


さて、
01年編で紹介した伝説のイベントと称したイベントが『SUPER BAD』でしたね。

98年編で紹介した『TOP UP PRODUCTION』が立ち上げ、
当時、『pineapple studio』代表だった “TAKE”(『P.D UNITS』)がプロデューサーとなり、
2002年もさらにパワーアップして開催されます!


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▲SUPER BAD 2002フライヤー

全国各地からガチのモノホンしかいない、
でらヤバい濃厚メンツですね!

DJは、
日本DJ界のレジェンド、
DJ MASTER KEY”(『BUDDHA BLAND』)
TA-SHI”(『ZULU NATION JAPAN』)
刃頭”(『ILLMARIACHI』, 『KEMURI PRODUCTION』/現、『OBRIGARRD』)
が昨年に続き登場します!

さらに、
当時名古屋から全国、世界へと活躍していた “DJ CAUJOON”,
名古屋HOUSEシーンを代表する“DJ HATTORI”,
名古屋のスクラッチDJの第一人者“DJ KENTA”(『P.D UNITS』)
と層の厚みがさらに増しています!

RAPも、
97年編で“DJ BUTCHER”とのユニット出演を紹介した“RYW”が、“MISTA O.K.I.”との『WORD SWINGAZ』で登場!
さらに、
昨年に引き続き、
M.O.S.A.D』(“TOKONA-X”, “EQUAL”, “AKIRA”, FIXER“ etc)
PHOBIA OF THUG』(”Mr.OZ“, “GANXTA QUE“(現、“G.Que”), “DJ 4-SIDE”)
が登場。
何度も言いますが、どちらも、
日本HIPHOP史、WEST COAST HIPHOP史に残るグループです!

さらに、
91年編から紹介している“維月見”(『TEASE.』)が、
ラッパーの“GAKKU”, シンガーの“CHUNG WONG”, DJの“GOOFY”と結成した、
HARDEST TIMA』で登場します!

これが後に紹介する『MONDCKS』結成の足がかりとなった活動でした。

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▲SUPER BAD 2002 フライヤー冊子(DJ&RAP出演者)

そして、
DANCEももちろん充実しています!!

東京から、
・『STREET MESSENGERS
※元『ZOO』の”KAZU“(『STRUT』)と ”MARK“(『カメレオン』)の超大御所チーム!

・『S.T.O.
93年編で”KOU“との繋がりを紹介した ”STEZO“, ”TAKA“(現、『ダンススタジオFLEX 』オーナー)、93年編から名古屋との繋がりを紹介した”HIRO“(『ALMA』), ”TATCHAN“の4人組。

・『WU
※『ALMA』の”KOJI“, 『BE BOP CREW』の”SETO“, 『SOUND CREAM STEPPERS』の”YUKI“らを擁する超スーパーユニット!

とジャンルの壁を超えた表現者たちが集結しています。

逆に関西からは、
・『OGS
※説明不要、大阪のPOPシーンを創り上げたレジェンドクルー!
この時は、”WILD CHERRY“, ”MASAO“, ”TETSU-G“, ”MASANAO“, ”ACKY“の5人で登場!

・『ELECTRIC TROUBLE
※大阪NEW SKOOLシーンのレジェンドチーム!元々違うチームで活動していたスターダンサーが集結したチームであり、メンバーそれぞれの以前のチームが94年編95年編で紹介したDANCE DELIGHTレポートに出ていたりしますね。
 この時は、”YOKOI“, ”BON“, ”SHOHEI“, ”MASSAN“, ”DOMINIQUE“の5人で登場!

・『Perfect Combustion
※元『BRONX』の“ISOPP”, “群青”, “KENSAKU”, “MG”からなるスーパーbboy集団!この頃は活動拠点は東京でした。

と、各ジャンルを極めた求道者たちが登場します!

さらには、
沖縄から『ORIGINAL QUEST』の、
HARUKI”(現、『ZEPHYR DANCE STUDIO』代表)
YUZURU”(現、『HOMELAND OKINAWA』代表)
KAZUHIRO”(のちに『ALL AREA』, 『THE BROTHERS』, 『OGS』など)
が登場します!
もうとんでもないですね。

東海からは、
99年編から紹介している静岡の重鎮チーム
ALL DEGREE』が登場します。
この時のメンバーは、
95年編から紹介している“NOB”(のちに『RAG POUND』),
98年編で紹介した“GAN“(現、『HOOD DANCE STUDIO』代表),
NOBB“aka”Y's
の3人でした!

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▲SUPER BAD 2002フライヤー冊子(DANCE)

さらに、
R&B LIVE に、BANDに、GRAFFITIも、
マチガイナイCASTが並びます。

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▲SUPER BAD 2002 フライヤー冊子(R&B, BAND, GRAFFITI)

これも何度も強調したいことですが、
ドラマーの“KASHI”、
GRAFFITI ARTISTの“DA KOOLAID” (現、“CAZUL”)
の2名がいたことは名古屋ストリートダンサーの感性をネクストに押し上げ、
”名古屋イズム“を育てていただいた要因となったと言って過言ではない人たちですし、
本人たちはダンサーではないけれど、
名古屋ダンサーたち全員の“アニキ”ですね。


それにしても、
本当に濃密なCASTですね。
全国的にもインパクトのあったイベントだと思います。

名古屋クラブシーンを象徴するチームとクルー

そんな第一世代が仕掛け続ける大イベントがありつつ、
プレイヤーとしてはその下の世代が、脂がさらに乗ってくる頃ですね。
この年、名古屋クラブシーンにまたひとつ新しい動きが見られます。

その筆頭が、
新チーム『NIGHT RYDERS』の結成でした。
この新チームのキーマンは、
95年編から紹介している”MASAKI“(『C-HAIS』)でした。

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▲MASAKI × ROSE HIPS

HIPHOPへの愛情に深く、夜遊びが大好きで、人情に厚い性格で、
多くの人から愛され、クラブシーンにも大きな影響を与えていたダンサーでした。

TOMOKAZU“(『PINOCCHIO』, 『C-HAIS』, 『FIVESTAR』, 『PLAYS』)が就職によりシーンの最前線から離れたことなどから、
C-HAIS』としての活動が激減したタイミングで、
名古屋の夜をもう一度盛り上げるべく立ち上がります。

そんな“MASAKI”に招集されたのが、
94年編から紹介している、同じ『C-HAIS』メンバーの“LUPIN”、
98年編から紹介している『青空』の “INO”(現、『EXPG NAGOYA』校長)、
98年編から紹介している『PUNCH』の “SUGI”(現、鉄板料理『らくだ』店長)
の3人でした!

名古屋の夜を誰よりもカッコよく乗りこなす、
NIGHT RYDERS
の誕生でした。

当時、
ダンスシーンに“ハーレムシェイク”流行の波が来ていた時であり、
その波を素早くキャッチし、
NIGHT RYDERS』=”シェイク“
となるほどのスタイルを確立させます。

▲ハーレムシェイク 動画
(NYでは1980年代からスタイルとして確立されていたそうです!)

そして、
前述の『HARDEST TIMA』で活動していた“維月見”と“GAKKU”が中心となり、
MONDCKS
というクルーを立ち上げ、
CROWN SERVICE
というイベントをプロデュースしていきます。

この『MONDCKS』には、
ダンサーとしては『NIGHT RYDERS』, 『TEASE』, 『BENCH SEAT』などが所属し、
ラッパーの“GAKKU”, DJの“SHIMO-DJ”などもいました。

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▲MONDCKSメンバー(SUPER BAD2003フライヤーより)

ダンサーのスタンスのひとつとして、
ヤンチャな大人の遊び場を提供し続け、
名古屋のクラブシーンに大きな影響を与えたクルーでした。


※こぼれ話
MASAKI“が『NIGHT RYDERS』結成を考えていた時、
メンバー候補の中に、NYから帰国した “COZY”(『entrance』)もいたそうです!
COZY”は00年編で紹介した『DEGIL FIRE』からも同時に誘いを受けており、
最終的には、自身がNYで受けた刺激と同じ斬新さを感じた『DEGIL FIRE』の方に加入することとなりますが、
HIPHOPが好きで、“MASAKI“とも仲の良かった “COZY“は、かなり迷った選択だったそうです。
結果的にスタイルが違いすぎる2チームなだけに、
もし彼が逆の選択をしていたらどんな風になっただろう?なんて面白さもありますね。


ベテラン勢の動き


同じように、
第一〜第二世代から活動している人たちは、
他の動きをまだまだ見せます。

01年編で紹介したように『US-TAK』を立ち上げ、
TOSS IT UP』を主催していた “KATSU”(『Beeper』, 『DEGIL FIRE』)も、
相変わらず動き続けます。

この年には、
東京の『masters classic』というイベントに“中部UNIT”で出演するというキッカケで、
HIPHOP、HOUSEのジャンルを超えて、
“ヤバい”やつを集めて中部シーンを彩るチームを作ります。
その名も、
moNsta』でした。

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▲moNsta

メンバーは、
KATSU“(『Beeper』, 『DEGIL FIRE』),
YASU“(『FOOT ILLUSION』, 『ESSENCE OF LiFE』),
TATSUYA“(『C-HAIS』),
YOSUKE“(『Hi-Problem Child』, 『PLAYS』),
TAKAOMAN“(『C-HAIS』, 『PLAYS』),
TONE“(『ESSENCE OF LiFE』),
MO-TA“(『entrance』, 『Bush Babeez!!』),
COZY“(『entrance』, 『DEGIL FIRE』),
TAKAOMI“(『entrance』, 『DEGIL FIRE』),
TAKESHI“(『BEAT RYMERZ』/現、『10GAME』),
AKIMITSU“(『エキセントニック』, 『MASTER BLASTER』),
YOSHIN“(『TとYの方程式』)

の12名の大所帯でした。

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▲moNsta メンバー

一方で、
98年編より、その活躍ぶりを伝えてきた『FOOT ILLUSION』ですが、
この年に、リーダーである”SENBA“が上京します。

90年編より紹介し続けている”SENBA“は、
ダンサーとしてDJとしてオーガナイザーとして、
文字通り、名古屋を牽引し続けてきたレジェンドであり、
彼の上京のニュースは名古屋シーンにも影響は大きく、
少なからず、『moNsta』のようなクルー結成の引き金にはなったのではと推察しています。

また、
逆に上京していた”MO-TA“は東海地方へと拠点を戻し、
この『moNsta』に加入するとともに、
00年編で伝えたように一時解散していた『entrance』も、
MO-TA“, “TAKAOMI“, “COZY“の3人体制で再始動することとなります。
(解散日と同じ9月8日に再始動します。)

そして、
98年編より紹介している『WILD WILD SMILE』ですが、
01年編で、
メジャーデビューの決まった”シーモネーター“(現、”SEAMO“)から、
MICRO“(『HOME MADE 家族』)へとオーガナイザーが引き継がれたことを記しましたが、
今度は『HOME MADE家族』も、2004年のメジャーデビューが決まります!!

そこで、
翌年2003年にはオーガナイザーが”MICRO“から、
TAKAOMI“(『entrance』,『DEGIL FIRE』, 『moNsta』)と、
Coko-1“(現、”CONiY“/『DANCE STUDIO HIGH STARS』)
の2人に”オーガナイザー“が引き継がれることとなります!

ここまで続くとなると、
もう名古屋ダンサーにとってはなくてはならないイベントとなっていますね。


そして、
01年編でメジャーデビューへの動きを紹介した『HB』(“Ryu-B”(aka “K-TA”/現、『Sun-X Dance&Vocal School』代表), “HOZE”)ですが、
この年、デビューシングルとなる
ROCK the HOUSE』をリリースし、
さらに、
2nd Single『Do my thing
もリリースするなど、精力的に活動します。

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▲Do my thing / HB(2002.09.19リリース)
※CDのみならず、『D.I.T.C』の“BUCKWILD”にRemix“Do your thing“をしてもらったアナログカットもリリースしたそうです!
 ロゴはもちろん、“CAZUL“!!


ちなみに、
この当時”DA KOOLAID“(現、”CAZUL“)は、
東京の代官山で『INSIDE WORKS』というアパレルショップを展開しており、
HB』にも衣装提供をしていたり、
上京後の”SENBA“(『MOVE UP』, 『FOOT ILLUSION』)が店員で働いたり、
東海出身の上京メンバーをサポートしていたそうです。

ちなみに、
元々、『INSIDE WORKS』の社長が、
Def Jam』の版権を持っていましたが、
Def Jam Japan』が出来た為に、使用権がなくなってしまったので
新たにストリートのデザインに特化した人間を探していました。
そこでその社長から相談を受けたのが、社長の後輩であった”DELAYAS“であり、
DELAYAS”から”DA KOOLAID“(現、“CAZUL”)が紹介されたという経緯もありました。
改めて、
人の繋がりで仕事を増やしていくスタイルこそストリートですね。

SHOJINの精力的な活動


さて、
そんなこんなな動きがあった中、
99年編より紹介している”SHOJIN“(『密林』, 当時『Family DANCE STUDIO』代表)も精力的に活動します。

99年編でKIDSプロデュース、
00年編でのイベントオーガナイズ、
01年編でのスタジオオープン、
さらにプレイヤーとして、
00年,01年と2年連続『JAPAN DANCE DELIGHT(JDD)』finalistと、
彗星のごとく現れたのちの活躍ぶりを次々と紹介してきましたが、
この年もその活動の手を緩めることなく動きます。

まず、
00年編から紹介している『名古屋武踏会』ですが、
2001年からも年2〜3回不定期に開催されていきます。

毎回GUEST陣も豪華であり、そのGUESTの特性によってコンテンツを変えていたそうです。
(バトルだったり、コンテストだったり。)

2001年は、
vol.2に『COOL CREW Jr.とパパ』, 『SPECIAL GUEST』,
vol.3に『LEXTRIBE』, 『DAZZLE
の豪華メンツをGUESTに迎えており、
2002年のこの年も、
vol.4に『ELECTRIC TROUBLE』,
ドミサキハナシン』(※元『DEF』の ”DOMINIQUE“, ”SAKITCH“と『花井伸二』のユニット)
vol.6に『OSAKA SPECIAL UNIT』(※『花井伸二』+『Hlty&Bosch』+”YUKARI“(『Bitter Box Sisters』))
と、やはり豪華メンツがGUEST出演しています。

そして、
この年の『名古屋武踏会』コンテスト回の時の優勝チームが、
00年編で紹介した『海無組』でした!
当時大学1年生のフレッシュなフィメイルチームが優勝し、一気に注目を集めます!

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▲海無組(上:左から、まや, SAORI, YUKA/ 下:よりこ、MARIKO, みよ)


さらに、
SHOJIN”は、別の大型DANCE SHOWイベントを開催し始めます。
そのイベントが、『[es]』でした。

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▲[es]フライヤー

OLD SKOOLのみならず、NEW SKOOLメンバーも出演していますね!
これまでに紹介してきたメンツが多いですね!

ちなみに、
SHOJIN”は、
97年より『TRANCE ARTS』というパフォーマンス団体を興しており、
ストリートダンスをメインにアーティスティックな作品を展開しよう、
show caseやconcertも開催していました。

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▲名古屋武踏会番外編&party フライヤー


さらに翌年には、
DE LA TOP』というフリースタイルチームも結成し、
コンテストやイベントで活躍します。

プレイヤーとして、オーガナイザーとして、インストラクターとして、経営者として、
かなりのハイペースでアウトプットをしていますね。
相当忙しかったことでしょう。


ちなみに、
名古屋武踏会』は、
翌年の2003年9月のvol.8を持って終了となりますが、
自身のスタジオ『Family DANCE STUDIO』で2ヶ月に1回開催されていた、
名古屋小武踏会』は、
全国各地からエントリーが集まって盛り上がり、
なんと、2013年頃まで続くこととなります。


若手ダンサー主役の場


さて、
ベテラン勢が各方面で活動する一方で、
新しい世代ももちろん動き出します。

99年編で紹介したように、この頃より大学での”ダンスサークル“も徐々に盛り上がるようになってきます。

そこで、
X-STEP』創始者である“GOTCH”が、
東海のダンスサークルをまとめる
東海学生ダンスネットワーク』(現、『TDN』)を立ち上げ、
合同発表会として、『DANCE MISSILE MAX』を開催するようになります。

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▲DANCE MISSILE MAX 告知画像(2002年)


TDN』、そして『DANCE MISSILE MAX』ともに、在学生で代々引き継がれていき、
今なお学生ダンスシーンを盛り上げています。


GOTCH”はさらに学生シーンを超えても活動していきます!
01年編で紹介した『TEAM』の“NOBUTO”とともに、
若手向けダンスコンテスト『GATE』を開催します!
(正確には2001年12月スタート)


このコンテストは伏見にあった
CLUB SOURCE』で毎月開催されますが、
・“インストラクター“レベルのチームは出場禁止
・“インストラクター“レベルの人はソロでなら出場OK
というルールで開催されていました。

そして、毎月名古屋を代表する1チームがJUDGEをするという、
大阪『ADHIP』の『TRUE SKOOL』にならった方式でした。
GATE』第1シーズンは、2001年12月〜2002年12月まで開催し、
年末にはGRAND CHAMPIONSHIP大会が開催されました!

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▲GATE 2002 GRAND CHAMPION SPECIALフライヤー

歴代チャンピオンは、
vol.1優勝:
Chanjya baby』(”AYA“(現、”HONEY AYA“), ”TOMOKO“, ”YUKO“)

vol.2優勝:
ザ★クロ』(“AYUMI“,他)

vol.3優勝:
Summer Peach』(”なっちゃん“, ”ももちゃん“)

vol.4優勝:
にっぷくるう』(”HIROKI“, ”MASASHI“, ”こうすけ“, ”なおみ“, ”さとみ“, ”けいと“)

vol.5優勝:
enokeen』(”AKO”, “YAMA”)

vol.6優勝:
Gripper』(“HAMA”, “あーちゃん”, ”ともこ“)

vol.7優勝:
』(“SHIN-Z”, “YUU”, “C-BA”)

vol.8優勝:
HONEY-DIP』(※情報募集中)

vol.9優勝:
K-Flaver ver.B』(“HARAKO”etc)
※『studio ZOO』での”KATSUO“レッスン生から選ばれた10名のうちの”BREAK“チーム!


vol.10優勝:
Peach Angel』(※情報募集中)

vol.11優勝:
ピンクレモネード』(※情報募集中)

vol.12優勝:
Ugly』(“YASUHIKO“, “HIROAKI“(現、“WOWZ“), “MASA“)

vol.13優勝:
MASTERS』(※前述の”NOBUTO“の生徒チーム)

でした。

そして、
グラチャンで優勝したのが、
Ugly』でした!

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▲Ugly(左:HIROAKI, 上:YASUHIKO, 下:MASA)


準優勝の『enokeen』とともに、
名古屋の次世代を担うのはこいつらだと印象づけました。

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▲enokeen(左から、AKO, YAMA)※写真は2004年時)

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▲GATEグラチャン大会レポート

この『GATE』グラチャン大会は、
コンテストのみならず、お祭りイベント的な要素も多く、
上のレポートに掲載されているように、
名古屋を代表するチームのGUEST showも盛りだくさんで、
さらに当時としては新しい企画もありました。

バトルイベントの歴史について


その企画が、
CASH THE BATTLE』でした。

これはサークルをひとつ作り、
会場中にいる誰もが自由に出ていいサイファーバトルを行い、
現金を持ったJUDGEがサークルの周りで見ていて、
心が動かされれば、JUDGEがそのダンサーにその場で現金を渡すと言う企画!w
(のちに前述の『SUPER BAD』でも採用されるカタチでした。)

DJは”AKIRA SOUL“、
JUDGEは”TAKE“(『P.D UNITS』/当時『pineapple studio』代表)
と、プロローグ編より登場している名古屋レジェンド2人!

となれば、
この日コンテストJUDGEやGUEST showをしていたメンツも入り乱れての大乱戦サイファーとなりました!

ここまでのヒストリーを観ていて、
気づいた方もいるかもしれませんが(?)、
この時代まで”NEW SKOOL“の”バトルイベント”というものはほぼ皆無でした。
なので、
サイファーバトルをしても、同時に3〜4人が踊るのはよくあること、踊り終わる前に潰されるのも当たり前。
という、生々しい感じで行われていました。


全国的にも”BREAKIN’”以外のバトルイベントは少ない時代でした。
例えば、
大阪の『ADHIP』主催の世界的イベント
OLD SCHOOL NIGHT』は、
1999年から”BREAK3on3バトル“のみで開始されており、
2000年は、”POP”ソロコンテスト、“LOCK”チームコンテストのカタチで追加され、
2001年から、“POP”がソロバトルとなり、
さらに2002年から“LOCK“2on2バトルも追加となっています。

ちなみに、
HIPHOP”や“HOUSE”のソロバトルも行われる『HOOK UP』に関しては、
2004年からのスタートとなります。

現在、
東京で行われている世界的バトルイベント『DANCE ALIVE』(『(株)アノマリー』主催)に関しても、
前身の『DANCE@LIVE』が立ち上がったのが2005年となります。
(シーズンチャンピオン決定のFINAL大会は2006年がvol.1でした。)

もちろんそれより前に各地でバトルイベントもあったとは思いますが、
NEW SKOOL”ダンサーが、
全国的に“バトルイベント”に目を向け出すのは、
この年よりもう少し後ということです。

そう思うと、
名古屋武踏会』, 『名古屋小舞踏会』は“LOCK”や“POP”のバトルを取り入れるのが早かったと思いますし、
翌年に始まる『ROCK IT』に関しては、
当時全国的にも例を見なかった(と思う)”生音“でのダンスバトルを仕掛けていましたし、
名古屋の立ちダンサーはもしかしたら、比較的早く“バトルイベント“に慣れていたのかもしれませんね。

ROCK IT』については、
また次編以降で記します。

さらなる若手のチカラ


さらに、
00年編から紹介している“MATSU“(『NEXT SCHOOL』/現、『SOUL CITY TOKAI』主宰)と “AKO”(『enokeen』)の同世代コンビを中心に、
01年編で紹介した“YASUO”(『STEP of ART』/現、『C.C.C』),
MAKOTO”(『CENTRAL PLAYAZ』),
DJ虎清水”(現、『ONE and ONLY』店主)
の5人でオーガナイズされた新partyが、
NIGHT CRUSING
でした!

当時、
SHOWイベント“が増えてきたこともあり、
オールドスクーラーの同世代で“CLUBイベント”をやろうと、
動き出したクラブパーティーだったそうです!

現在も、
当時のオーガナイザーの1人“DJ MATSU”が、
MORIATSU”(現、“MORIARCH”/『BIOBLOOD』)と共に、
システムや開催クラブは変わりつつも、
変わらずダンサーの人気パーティーとして仕掛け続けています。

そして、
前述の『NIGHT RYDERS』が生まれた陰で、
のちに名古屋を賑わすチームも生まれていました。

NIGHT RYDERS』結成に向けて、
それぞれメンバーが抜擢された『青空』と『PUNCH』は、チーム自体がなくなりそうになっていました。
また、
99年編で紹介した『PRANK』も、メンバーの ”YO-SKE”(のちに『Bush Babeez!!』/現、『X-LAB』代表)などが一時ダンスから離れたことなどあり、
同じくチーム存続が難しくなってきました。

そこで、
3チームの残ったメンバーが、今後について相談し合い、一緒にユニットを組む中で、
この年に結成されたのが、
DOW BOYZ
でした!

初代メンバーが、
TANOKEN“(『PUNCH』), ”RYOICHI“(『青空』), ”JIN“(『PRANK』), ”T28“(現、『STAXX』)
でした!
のちに、”YO-SKE“も加入し、
名古屋のクラブシーン筆頭と言えるほどの人気チームとなります。

そして、
話は少し戻りますが、前述の『GATE』は、
翌年も続いていきます。

若手向けであり、
かつ、毎月開催というチャンスの多さもあり、
「まずは『GATE』で優勝しよう!」
というのが目標になったチームやダンサーも多かったと思います。

ちなみに、
ソロでも出場できた為、毎回のようにソロで出場していたメンバーもいました。

KENJI”など、ガチガチのインストラクタークラスがソロ出場する会などもありましたが、
”チャレンジャー“として、よくソロ出演していたのが、
キャラメル”(のちに『名古屋城前ポッパーズ』, 『SOUL FIRE』)
泰智“(『KoRock』)
でした。

キャラメル“は、翌年の『GATE vol.18』の際にあまりにソロが多かったため、
ソロとチームで結果を分けた会があり、
そこで初めてソロコンテスト優勝を果たします!

そして、
泰智”は『GATE』主催者の1人、 “NOBUTO”(『TEAM』, 『Isaac』)の生徒であり、
2002年、当時小学5年生の時に『KoRock』を結成します。
メンバーは、
泰智”,
J”,
いっとん”,
あっつー”(のちに『A.R.E.S』),
97年編で紹介した”KAZUTO”(『S.P.CREW』)
の5人でした。

のちに、
01年編で紹介した“Susumu”(現、“Susumu Spaniel”/『A.R.E.S』)も加入し、
テレビ番組『少年ちゃんぷる〜』などで名古屋発のアイドルダンサーとして、
全国的に人気が爆発します。

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▲KoRock(写真は2007〜8年時)

その後、2008年にメンバーが3人となり、
2010年に上京したのち、
現在も、『プランチャイム』所属のタレントとして活躍しています。


最後に


このように、
KIDSダンサーや若手ダンサーがコンテストに挑戦する機会が徐々に増え、
その一方でベテランダンサーは元々の活動場所 “夜のCLUB“へと深く潜っていきます。
また、レッスンインストラクター始め、専門学校のダンスコースの先生となるように仕事としていく人も以前より増えていきます。

自然とコンテストダンサー、クラブダンサー、学生ダンサーなどと、
ダンサーの中でも棲み分けが始まったのがこの頃なのかもしれません。
どれが良くて、どれが悪いとかではありません。

ただ、
前年の群雄割拠の年を経て、
このような細分化が始まりだしたことは、
裏を返せば、やや閉鎖的なシーンになってきた印象もあります。

どう捉えるかは人それぞれかもしれませんが。


そして、
この年の春、
大学に入学した私”ゆうし”(現、”UC“)がストリートダンスを始めます。

キッカケは99年編で紹介したダンスサークル『N.U.SOUL』でした。
高校時代からHIPHOPを聴くようにはなっており、
高校のツレと「ダンス出来るようになりたいねー」なんて話しつつも、
実際は行動に移すこともなく高校生活を終え、
たまたま大学で流れでサークルレッスンを体験していました。

以来、
気がついたら、
ストリートダンスに、HIPHOPに、
どっぷりハマっていました。
それこそ、サークルなんて刺激足りないくらいに。

なので、
自分がストリートダンスを始めてしまった以上、
名古屋ストリートダンスシーンに身を置いてしまった以上、
この後のことはどうしても自分の”主観“が強く出てしまいます。

先の一文ですらそうです。

ですので、
このような『名古屋STREETDANCE HISTORY記事』は、
一旦ここまでにしたいと思っています。

あともう数年は続けられるかもですが、
今までのクオリティで拾い上げる自信がないのです。

ですから、
次回からは、
2003年以降の自分とその周り史
の予定です(^^;

皆さんの興味が一気に引くのは分かっていますが、
主観とはいえ、なるべく情報を掬っていければと思うので、
引き続き、よろしくお願いします。笑


まとめ

それぞれの世代で新しい動きが活発化しだし、それぞれに交わる動きも交わらない動きも増えていき、拡がる一方で、それぞれがそれぞれで完結しやすいシーンへの移行期となった1年だった。



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