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【ポンポコ製菓顛末記】                   #16 役員は割の良い隠居生活

 昔から役員の地位、権力はサラリーマンの出世のゴールのように思われてきた。特に大企業の役員、重役が得られる3種の神器、個室・秘書・専用車は、サラリーマンの憧れのようなもの。そしてそんな地位、権力が得られる役員は、きっと実力者だと思われがち。私も役員たちと接する前はなんとなくそう思っていた。ところがそれはとんだ食わせ物だった。
 


俺は忙しいんだ!
 

 私は2年前にリタイアしてフリーランスとなった。基本的に家にいて、日々の生活、時間を自分のペースで進めている。タップリ睡眠をとり、ゆっくり食事をして、趣味と仕事の時間配分をゆとりもって自分で決めている。時間がゆっくり流れるので、プレッシャーがあるわけでもなく、極めて心地よい。時間に追われることが無いので、1日にこなす用も限られている。

 当初はヒマでしょうがないかと思ったが、そうでもない。今日やらなければいけないことを一つ、せいぜい半日に一つでも、充分時間が経ってしまい、あっというまに夕方になってしまう。後は夕食を取って、食後に映画でも見て、寝るだけだ。老後はこのペースで充分だ。 

 そんな生活に慣れたある時、ふと気が付いた。
これって、どこかで見たな、と。
そう、ポンポコ製菓での現役時代の上司の専務とのやりとりだ!! 

 ことの顛末はこうだ。

 私は社外の取引先との打合せ、挨拶は基本的に「来るもの拒まず」のスタンスで出来るだけ応じることにしていた。多くは他愛無いものであったが、時に掘り出し物の情報や提案もえられるからだ。間に社内の打合せ、会議も当然入る。さらに私の裁量で決められないこともあるので上司の専務の許可や関連する役員の確認も得なければならない。この社内調整、社内政治に非常に手間がかかった。そんなこんなで、多い日には30分毎、1日20件以上の約束になることもあった。

 ある時どうしても今日中に専務の確認が得なければならない案件があり、私のスケジュールから午前中に約束を取りたかった。専務のスケジュールを見ると午前中は、10:30~11:30の1時間、1件だけであった。私はその前後の時間をもらおうと思い、専務に時間調整に伺った。

 すると「午前中はいっぱいだ」とつれない返事。
私はスケジュール表を見ていたので、「予定の1件以外は空いていますよね」と食い下がった。
すると「俺は忙しいんだ!」と途端に機嫌が悪くなった。
私もカチンときたので、「このご予定は何ですか?」ときいた。
すると「銀行からの挨拶だ」とおっしゃる。
「であればせいぜい1時間で終わりますね」と聞くと、
「まぁ、30分じゃないか」との返事。
「ならばその後30分だけいただけませんか」ときいた。
すると、「11:30だから昼飯を食わなければな」とおっしゃる。
゛もう昼飯か?゛と私は呆れつつも、
それでは「銀行ご挨拶前の30分いただけませんか」と再度きいた。
その時間は恐らく出社後コーヒーでも飲みながら新聞でも読む時間に充てていたのだろう、ますます機嫌が悪そうになった。
が、しつこい私に観念した素振りで、「じゃあ30分だけだぞ」と、渋々時間をもらった。
私は「ありがとうございます!!」と部屋を後にしたが、
゛なんだ、忙しいというのは午前中に1件表敬訪問を受けてあとは昼飯か、いい気なもんだ゛ と思った。 

 用事は1日1件、せいぜい半日1件というペースが如何に心地よいかというのをリタイアした今、私はまさに実感している。但し専務は個室、秘書、専用車付きで報酬は年金生活の私とはケタが違う。
しかも仕事は皆部下がやってくれるので基本的にヒマ。
何とも割の良い隠居生活なのだ。

 ところで、ヒマつぶしで唯一、尤もらしいのが、日本人が大好きな会議だ。その会議での話をご紹介しよう。 

 大企業は会議が大好き。現場の部下は実務で忙しい。但し、本当に意味がある実務かどうかは怪しいが、それは別の機会にご紹介する。
 一方、役員は実務や管理は皆部下がやってくれるので、時間はたっぷりある。本来役員は持続的成長のために、大局的将来的なイノベーションを起こし続けることを考えるのが仕事である。前回お話ししたとおりだ。
 ところが多くの大人はそういうのが苦手。だから非効率な会議を何度も繰り返す。それで仕事をした気分になっている。正直、長時間拘束される会議は体力的に苦痛である。特にお年寄りには堪える。

 ある時長々と担当が役員に説明し、一通りの質疑が終わった後、社長が専務に何か補足があるかと問いただした。

専務は一呼吸おいて質問した。 
一瞬、場が氷ついた。
 
 何故なら寸前まで、担当と社長で延々と審議し、結論付けたテーマを再度専務が同じ質問をしたのである。専務は社長の質疑中居眠りしていて何も聞いてなかったことは誰の目にも明らかだった。
 社長は ゛こいつ、何、言ってんだ゛と口をあんぐりして一瞬何も言い返せなかった。
 そして我に返った社長は「今、さんざん話したじゃんかヨォ!!」と怒鳴った。
 専務のばつの悪さはひとしおであった。
恐らく昼飯後のお昼寝タイムだったのであろう。

 そんなトンチンカンな光景は経営会議では日常茶飯事である。  

役員は割の良い隠居生活


 今の私はそれこそサンデー毎日に近いが、ポンポコ製菓の役員はそれに近い生活を平日、個室、秘書、専用車、しかも経費と役員報酬付きで送れるのだ。 

 下から上を見ていると、出世して役員に上り詰めるのは、さぞかし実力者で日々忙しい方々だと思ってしまう。私も仕事柄、役員の方々と接するまではそう思っていた。ところが実態は大違い。特に日本の企業のほとんどの役員は割の良い隠居生活を送っていると察する。 

何故そんなことになっているのだろう。
何故そんなことが許されるのだろう。 

 この辺りの考察は、河合薫氏『他人をバカにしたがる男たち』、中根千枝氏『タテ社会の人間関係』に詳しい。 

 サラリーマン出世術は、「失敗しないけど成功もしない、よく動くけど勝手には動かない、下には意見するけど上には意見しない」が、実態だという。
 特に日本の場合、西欧と異なりタテ型ムラ社会の文化なので、理性よりも情的要求に重きがおかれる。仕事も組織がしっかりしていれば成果は組織(みんな)の力。極端な話、日本のリーダーはバカでもよく、逆に能力があると疎まれ、むしろ理解力・包容力が望まれる。
 大好きな会議、 稟議制はリーダーの発想を下に押し付けるのではなく、下が上司に具申して採用してもらう制度、場なのだ。

 だから昇進と実績は無関係で、学歴・在籍・残業時間の多さ、欠勤の少なさ等が優先される。責任感や几帳面さは逆に昇進にマイナスだという(大企業ミドルの調査1984)。
 責任感が強い人は他人にも厳しくなりがちなので、その実直さが周りとの関係を悪化させる。人畜無害ほど権力者に好まれ引き上げられて理不尽な人事が繰り返される。 
 
 そういった出世レースに残った方々が役員陣に揃っている。その得意技はヨイショにゴマすり、加えて“嫉妬”。この男の嫉妬がなんともやっかいだ。
 有能な部下を組織の論理という正論で置き換え引きずり下ろす「エンピー型嫉妬」だ。自分より有能な部下がいると、自分と関連する場合は親密さを下げる(疎遠:嫉妬)が、無い場合は安全なので誇りに思う。自分と親しい部下で自分より有能な場合は関連性を下げる(左遷)が、低いと安心して、やはり誇りに思う。これが「エンピー型嫉妬」だ。部下が上司と付き合うには実力発揮のさじ加減をわきまえないと思わぬ地雷を踏む。

  このオイシイ生活、心地よさをいつまでも維持したいというのは凡人の人情であろう。それが老害の基、過剰な執着心となって、引き際の見苦しさを引き起こす。

 実際、ポンポコ製菓の役員定年というのは内規で決められていたが、ことごとく破られた。余人をもって代えがたしといって、会長を筆頭に、社長、専務、常務と、のきなみ延長されていた。社員の定年、役職定年はバッサ、バッサと規定通り進めるのにだ。しかも往生際が悪いことに、辞める場合は自分だけ辞めるのは耐えられないのか、俺が辞める時はアイツも辞めさせると、駄々をこねるケースがよくあった。 

 だから読者が企業で出世を考えているのなら、この「エンピー型嫉妬」を刺激してはならない。
 間違っても私のように、「専務のスケジュールは空いてますよね?」、などと生意気なことをいってはならない。 

 では、こんな理不尽は今の日本だけかというと、さにあらん、古今東西、昔からあった。 

 次回はその辺りを掘り下げよう。  



PS.
老後の「ボケないための頭の使い方」は「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。教養と教育かと思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。逆にいつ死ぬか、或いは、動けなくなるか解らないので「キョウするヨウは今日する、今日行くべきところはキョウ イク」を心がけている。シニアの「教養と教育」は勉強ではないのだ。
若い現役の方はもちろん、勉強である。 




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