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【ポンポコ製菓顛末記】                   #18 会社は誰のもの?

昭和の役員は、出世さえしてしまえば誰でも出来る、割の良い隠居生活だ。
それでも一年に一回、緊張する時がある。
そう、それは株主総会だ。
社長にとって夜も眠れないその日を失敗しないために、会社はありとあらゆる手をつくしてきた。
 
 

俺も頑張っているんだ!!


 読者には株主総会はあまり縁がないかもしれないが、それでも毎年6月末の総会ラッシュする頃に総会の結果のニュースを目にすることだろう。特に昨今は「ものいう株主」の質疑により、総会が荒れたという事件が記事になる。
 
 株主総会なのだから、株主が会社に対して質問をして役員が応えるというのは、考えてみたら至極まともなことなのだが、じつはこのようにまともな総会に各社が行うようになったのは最近、21世紀に入ってからのことなのだ。
 
 それまでは、会社側が用意した決算報告と総会議題を淡々と説明、提案し、株主が異議なし!!と満場一致で可決するというのが、当たり前だった。時間にしてものの数十分、完全な形式的総会だった。そのありさまを称して、「シャンシャン総会」といっていた。
 
何故か?
 
 お話ししたように、昭和の会社は決まった仕事を毎年繰り返し、つぶれず、成長せず、株主には決まった配当をしていれば良かったからだ。だから株主総会で余計な質問や反対意見が出たり、ましてや提案議題をひっくり返すなど、とんでもないことであった。
 
 だから早々と総会をつつがなく終わらせるために、用紙周到な準備をする。通常、総会は総務部が仕切るので、総務部はその日に粗相がないように、議長である社長に恥をかかせないように全力を尽くす。
 
 そのために顧問弁護士の指導の下、想定問答を用意し、リハーサルを繰り返す。
役員には会場に入るときの挨拶の仕方や、腕を組まない、目を閉じないなど総会中のマナー指導もする。まるで幼稚園の子の指導のようにトイレの心配までする。
当日は社員株主に休暇を取らせて会場の前席にはべらせる。社長の説明には拍手喝采、社長の提案には人一倍「異議なし!!」と大声で発生して、会場の主導権を握る。
かつては会社に問題があると総会屋という反社会勢力が脅し行為をしてきた。それを総会当日、事を起こさないように、丸く収めるのも総務部の役割だった。

 そういう、至れり尽くせりの準備の上に、社長を筆頭に役員たちが総会セレモニーを繰り返してきたのだ。昭和、平成までは。
 
 ところが90年代になって会社は出資している株主をもっと大切にせよ、という株主価値経営をアメリカから迫られた。それに伴い経営効率や株主総会の在り方も2000年以降改善が図られた。

 とはいってもなかなか変われないのが日本企業だ。
 
 ポンポコ製菓の株主総会も21世紀に入っても昔ながらのスタイルを変えなかった。

 2010年頃の総会対策会議での一幕だ。
ひととおりの予行演習が行われ、最後に司会の総務担当が顧問弁護士にコメントを求めた。初老の顧問弁護士は答えた。
「当日前席にすわる(さくらの)社員株主の拍手、異議なしの声が小さい!もっと元気よく異議なし!!と答えるように」
というものだけであった。
 
 時代錯誤も甚だしいコメントに同席していた私は耳を疑った。
『何、言ってんだ、このジイサン』
あるべき姿への示唆するでもなく、旧態然の指導するだけの対応である。それでもお土産をもらい、顧問料をもらっていた。
ここでもオイシイ仕事である。
 
しかし、このような仕儀は序の口である。
 
 同じ時期の株主総会当日の事件。
ポンポコ製菓の株価は何十年も低位安定し微動だにしない。しかし株主は安すぎて売ろうにも売れない。所謂塩付け状態である。
一通りの説明を社長が行い、質問を受けた。
ある株主が質問した。「どうして御社の株価は上がらないのか」
一番聞かれたくない質問である。答えられないからだ。
社長は汗をかきかき、「一生懸命頑張っているが、こればっかりは私どもだけではどうにもできない」などと答えてのらりくらり逃げた。
質問した株主も埒が明かないと観念して「まぁ、頑張ってください。期待しています。」と矛先を修めた。
社長は次の質問に移ろうとしたが、そこで事件が起きた。

 臨席していた会長が「チョット待った」と言ってマイクをガバッと取って立ち上がった。
そしてこう答えた。
俺たちも頑張っているんだ!!それなのに株価は上がらない。何故上がらないか、こっちが聞きたいくらいだ。温かく見守って応援してくれ!!」

 アチャーという感である。経営者が最も言ってはいけないセリフである。しかし、驚いたことに会場からはなんと拍手が上がり一件落着と思われた。

 ところが別の株主がまともな質問をした。「財務基盤も弱く、成長に向けた事業戦略もみえない。経営者として怠慢である。」
今で言う物言う株主であろう、極めてまっとうな質問をした。会長はじめ役員はぐうの音も出ない。会場はシーンと静まり返った。
 
ここでさらにとんでもない、度肝を抜くようなことが起きた。

なんと、まともな質問をした、かの株主に対して別の株主がヤジを飛ばしたのだ。
曰く、「社長さんはじめみんな頑張っているからいいじゃないか!!」
するとそのヤジに乗じて、その他大勢の株主も「そうだ!そうだ!ひっこめ~!!」とやんやのヤジの応酬で、想定外の会社擁護をしてくれたのだ。頼んでも無いのに。

質問したまともな株主はすっかり浮いてしまい、黙ってしまった。

 そう、当社の株主はAKBやジャニーズの親衛隊のように、ほとんどファンなのである。「俺たちも頑張っているんだ」などと経営者としてあるまじき発言をした、かの会長は創業家3代目だが、根っからの会社ファンの株主にとっては恐らくスターのようなものなのだろう。見てくれも昭和の演歌歌手然としているので、なおさらだ。
 
 こうした経営陣と親衛隊株主のぬるま湯的関係は、90年代以降の株主価値経営が目指した企業と投資家(株主)による建設的で質の高い関係とは、雲泥の差だ。変革が謳われて20年以上経っても、この昭和チックな緩すぎる風景が一部上場企業でもまだ見られることに今の日本企業の体たらくを象徴している。

 現在はこの事件からすでに10年経っているが、おそらく多くの日本企業、特に中小企業はきっとまだこんな状態が続いているのであろう。
 

企業は社会の公器


 
 さて読者の皆さんは会社は何のために存在するか、考えたことがあるだろうか?売上を上げるため?儲けるため?日頃、実務で忙しい皆さんは、そんなことをまともに考える機会はなかなか無いことだろう。

 古来日本には「売り手よし 買い手よし 世間よし」の『三方良し』という近江商人の言い伝えがあった。売り手の利益を得る、買い手(お客様)に商品・サービスを提供するだけでなく、世間(社会)の為に貢献して皆が共存共栄してこそ持続的成長があるという考えだ。

 現在のCSR(企業の社会的責任)、SDGsに相通づるもので、明治以降の起業家、創業者も皆「企業とは社会の公器」、即ち社会の為につくすために企業は存在するという理念を持っていた。
 従って売上を上げることは手段であって目的ではない、利益も顧客に価値提供した結果、適正額が得られるものであって、それ自身が目的ではない。企業は顧客、従業員、社会、株主といった利害関係者にバランスよく価値提供した結果、自らの利益を残すように事業経営すべきなのだ。

 株価は株式市場のマネーゲームの要素も確かにあるが、企業の通信簿と言われるように基本的には事業経営がまともにできているかどうか、成長が期待できるかどうかのバロメーターと言える。何故なら投資家(株主)は投資して成長し、リターンが得られるかどうかを見込んで投資するからだ。

 それを「頑張っているけど株価は上がらないのはしょうがない」では経営者失格であろう。まして「こっちが聞きたいくらいだ」などと開き直るなどは言語道断である。
「そこには企業の社会的責任を果たす」という信念が無い。所詮会社は俺の者という創業家企業にありがちな甘えが見える。

 創業家企業というと一般的に自己保全的なマイナスイメージが付きやすいが、そうとも言えない。そもそも創業者は社会の為という信念をもって起業したものが多く、創業家はそのスピリッツを受け継いでいるケースが多々あるので、サラリーマン社長よりも真剣に経営するものだ。
ただ裏目に出るとスピリッツは引き継かず資産だけ引き継いで伸びないケースもある。2代目、3代目で身上潰すというケースだ。

 ポンポコ製菓も創業者は立派だが創業家はだめだという社員の評判であった。
 
 これだけ資本主義の歪がでている現代だ。是非『三方良し』の精神を皆さんの仕事にも活かしてほしい。


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