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【ポンポコ製菓顛末記】                   #49 無知の知

  
 今の若者は自信が無いと言われる。特に諸外国に比べてその低さは顕著だ。自信を持つことは生き様を決める上で本当に大切なこと。
しかし大事なのは「謙虚」あっての「自信」。全能感丸出しの「お山の大将」ではいただけない。
 


お山の大将


 
 前回お話しした「全能感」のオトナの最もいただけない点は世の中を知らないことだ。自信を持つことは結構なことだが、それは自他ともに認められる、客観視出来ているかという点だ。「自分で何でもできる」「世界は自分を中心に回っている」と思って、自分だけ認めているだけでは所謂「お山の大将」で何の価値もない。下には下がいると自信を持つことと同様、上もいくらでもいるという謙虚さが最も大切なのだ。
 そのためには経験を積むこと、広く世間や歴史を知るということが肝要だ。しかし経験も本来の教育も受けずにある程度の年を重ねる、オトナになってしまうと周りとの兼ね合いから見栄を張らなければならない場合が出てくる。ましてリーダー、トップともなると大変である。それはある意味喜劇であり、時に悲劇でもある。
 
 ポンポコ製菓の会長は本当は気が弱くチキンなのに、それを隠そうとして誇大妄想狂で大ぼら吹きなことは社内でも近しい人間の中では常識であった。

 その会長が社長就任時、いろいろな有名企業のトップと会談したいと我儘を秘書にもらした。今とは比べ物にならないほど、隆盛を誇っていた当時のSONY社長出井氏と会談の運びとなった。恐らく先方は面食らったであろう。何の面識もない菓子会社のトップが面談を求めてきたのだから。
 時を同じく、楽天・三木谷氏とも会談をした。会長は三木谷氏が何者かをほとんど理解していなかった。会談後「なかなかアグレッシブなやつだ。ウチに呼べないか」と本気で言っていた。楽天は既に当社の時価総額より遥かに大きい大企業であった。世間を知らないということは実に恐ろしいものである。
 
 会長の世間知らずはそれだけではない。
 
 ある時、経産省の官僚にマクロ経済の役員セミナーをお願いした。バブル崩壊後の低迷する日本経済の課題を勉強するためだ。世間知らずで「えーかっこしー」の会長はミエをはろうとした。こともあろうに、説明が終わってから講師の官僚に「あなたも知っているだろうが・・・」といって日本経済について自分の知っているツタナイ一般知識をご披露、御高説ぶったのだ。
 相手は専門家、しかも政府の官僚である。百も承知の話だが相手のほうが1枚も2枚も上手だった。苦笑いしながら黙って聞いていた。アレンジした担当役員は冷や汗ものだった。
 
 見栄っ張りは冗談みたいな場合もある。
 
 海外から提携先トップが工場視察にみえたので、会長が案内することになった。見学が終わり、先方が英語で長々とお礼と挨拶をした。その時通訳がいなかったので会長が訳した。一緒に居合わせた現場担当者は期待して聞いていたのだが、会長の訳は最後の”ThankYou”、「ありがとう」だけだった。明らかにもっと沢山お礼を述べていたので、担当者は「えっ」という怪訝な顔で会長のほうを見た。空気を察した会長は、「要するにそういうことだ!」と、ばつが悪そうだった。
 
 

下には下がいるし、上には上がいる


 
 すべての悩みは対人関係の悩みであると、精神科医のアドラーが述べている。自己啓発の源流として、哲学者の岸見一郎氏が古賀史健氏と著した『嫌われる勇気』のアドラーの教えだ。20万部を超えるベストセラーになった。
 悩みとは別の誰かと相対的に自分を比べて優劣をつけてしまい。その結果自分が劣っていたとき、ことさら自らを卑下して悩み、傷つくわけだというのだ。しかも、この自分が劣っていると判断するのも「ほとんどが“決めつけ”でしかない」とも言えるそうだ。
 
 そもそも何でも比較してしまうところに原因があり、さらに自信を持つべきなのに自身を過小評価して卑下してしまうところに不幸が始まる。逆に自身を過大評価し謙虚になるべきなのに傲慢になってしまうことも不幸だ。前者は自分が不幸だが、特に後者は自分は満足かもしれないが周りに不幸をまくので事は重大だ。
 
 いずれも、客観的に自己を評価できないところに様々なトラブルの主因がある。
それは「全能感」から抜け出せないことに起因することが多い。
お山の大将は、過大に自己を評価してしまう、或いは卑下した自分を隠す行為の表れで、裏を返すと他人を過小評価する傾向があるので質が悪い。
 
そうならないためにも、自己を研鑽し、経験を積んで、自身を客観評価する姿勢が大切だ。

世の中、下には下がいるし、上には上がいるのである。

それが出来ずに妙な決めつけをして多くの人が悩んでいる。
 
 

大体わかった


 
 ポンポコ製菓の会長は社長になって初めて自己研鑽する機会を経験した。トップともなると、ルーチンワークを部下がこなし、めくら判を押していれば良かったそれまでとは事情が違う。指針を示さなければならない立場なのだ。
 
 ちなみに当社の会議の意思決定の手順は概ねこうであった。まず部下が提案し議長(担当役員であったり、事業部長であったりする)に判断を仰ぐ。議長は提案者に問う。「キミはどう思う?」 すると提案者が意見を述べる、「〇〇が良いと思います」。議長は「ならばそれで良い」 
まるでむかしのお殿様である。
 
 さすがに社長はそうはいかない。だから会長は社長になってから一生懸命、勉強した。書物も読んだ。しかしそれにも元々の底の浅さが露呈した。「大体わかった」、と読書本は最初の数ページしか読まなかった。
何故解るかというと、読んだところ(最初の数ページ)は手垢がついてアブラまみれだが後はキレイそのもの。最後まで読まないで解ったつもりになっているのは明白だった。それでは決して深い研鑽をつめるはずはない。

 研鑽しない、バカほど「要するに○○でしょ」と話をまとめたがるという。多くの「知者」と言われる人は「知ったかぶり」をしているだけで、本当は「知らないことを知らない」状態にある。無知を知らないから成長しない。本当の「賢者」は「知らないことを知っている」からもっと学んで成長する、とソクラテスが説く。有名な「無知の知」だ。
 
 現在多くの企業、ビジネスマンが使うパワポの資料はバカを育てるというのでアマゾンでは禁止しているらしい。アマゾンの会議資料は文書で、しかも会議出席者には事前配布で熟読して会議に臨む方式に変えている。ポイントを述べる、まとめて箇条書きで説明する、理解したつもりになるという現代の風潮とは真逆だ。世の中の実情というのはかように複雑であり、真相を理解するにはそれなりの努力が必要なのである。
 
 福沢諭吉が「学問のすすめ」で述べている・
・人間の見識や品格を高める要点は、物事の様子を比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることだ。
・ 実際に活かせない学問は学問にあらず。読書して知見を持つは内側一辺倒。精神の働きを工夫して外に活かす。それには物事を観察(observation), 物事の道理を推察(reasoning),議論し、多くの人に伝える演説(Speech)が必要だ。
 
 研鑽だけでは足りず、さらに現場を知ることが必要と述べている。
 
ちなみに会長の世間知らずのエピソードだ。
 
 会長がまだ本部長時代、地方の工場での会議に出席する予定であった。いつも社用車で本社からドア トゥー ドアで出かけていたが、ある時たまたま社用車では間に合わなくなってしまった。秘書が新幹線なら間に合いますと伝えたが、なかなか出発せず、モゾモゾとしていた。事情を聴くと自動券売機で切符を買う自信がなかったためだった。普段は事前に秘書がすべて用意してくれていたのだが、一人で切符を買ったことが入社以来何十年も無かったのである。



 

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