【ポンポコ製菓顛末記】 #32 人間が何をすべきか、何をなすべきでないかの線引きは学問では出来ない
コンプライアンスは一人一人の道徳、倫理観で成り立つ。
良き市民、良き企業であるために、道徳、倫理を極める、品格を高めるには、どうすれば良いか?何をしてはいけないのか?
学問と社会は地図を見る時と実地歩行の時との如きである
「品格を高めるには物事の様子を比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることだ」
と福沢由紀は『学問のすすめ』で述べた。
知見を高める、知識を得るのはもちろん大事だが、頭でっかちだけではだめで、実践が必要ということだ。それは社会は理屈通りに行かないことばかりで、知識。知見を如何に実戦で役立てるか次第だからである。
学問と社会は地図を見る時と実地歩行の時との如きであると、福沢は述べている。どんなにGoogleMAPの画像で確認していても現地に行って現物を見ると、゛あ~、こうなっているんだ゛とあらたな気付きがあったという経験を読者も持っているであろう。言うなればそういうことだ。
かように現代のように科学万能主義、何でもデータ、理屈で優劣を決める、新しいことがすべてみたいな傾向は行き過ぎということだと思う。現実とは複雑なのである。
「人間が何をすべきか、何をなすべきでないかの線引きは科学では出来ません。その答えの一つが『倫理』だ」
と科学哲学者 村上陽一郎 (2017)は述べている。
福沢諭吉は、また、述べている
欲張り・ケチ・贅沢・誹謗の類は欠点だが、各々には美点と欠点の境界に一つの道理があり、道理をわきまえれば、経済的・節約・相応・批判となる。同様に驕りと勇敢、粗野と率直、頑固と真面目、お調子者と機敏さも、どれも場面と程度と方向性によって欠点にも美点にもなる。道理、倫理次第で人間の行動は良くも悪くもなる。
そのバランスが難しい。成功と失敗を繰り返し、実体験するしかない。それも若いうちからが良い、年齢を重ねてからの失敗はそれこそ品格が無くなるからだ。
さて、ポンポコ製菓社長の次の逸話はどうであろうか?
オイ!サッサと出せ!
営業上がりの7代社長は金持ちのクセにケチで有名。しかも高級住宅地で育ち、それこそ福沢諭吉のトップ私立校を卒業しているので育ちはいい筈なのに大のB級グルメ好きだ。
その社長主催で半期に1回、役員だけのゴルフコンペを毎年行うのが恒例であった。コンペ終了後、成績発表を兼ねてパーティルームで宴会を設け、ひととおり飲食をする。
問題はその後だ。
2次会と称して地元のラーメン屋に半ば強制で繰り出すのだ。しかも往復は役員車、ハイヤーで移動しているので、黒塗り車が5~6台、大挙して地元の小さなラーメン屋めがけて集まる。
想像してほしい。土日の夕方、地元の人々が家族で慎ましくラーメンをすすっているところに黒塗り車がドドドッと駐車し、中から20人くらいオッサンが出てきて席を占める。反社会的勢力と誤解されても致し方ない(実際通報されてパトカーが来たこともある)。
そしてそこから2次会が始まる。ビールとラーメンを全員が注文し、社長はメンマが好きだからメンマだけを追加で頼む。その異様な光景に小さな子供はおどおどした目で見ていて、大概の家族は怖がってそそくさと出て行ってしまう。
そしてオチは精算だ。
社長が誘ったんだから当然驕りと思いきや、さにあらん。「なんで、俺が払わなければいけないんだ」と言わんばかりに、社長はコンペで獲得した賞金の放出を促す。優勝者から始まり、2位、3位と順番にだ。
ある時それでも足りなかった。不足分は社長が補填するのかと思いきや、社長は吠えた。「4位は誰だ!!」ちょうど4位は私であった。エッと思って下を向いていると「なんだ、生方!!サッサと出せ!!」
渋々私の賞金を提出しても、まだ足りない。皆、苦り切った顔をして、場は気まずい雰囲気が蔓延していた。
そこを察して、さすがに専務が残りを支払った。なんとも世知辛い話だ。
エンピー型嫉妬 怨望
ところが 、こんなケチな話はまだ可愛いほうだ。
人間社会で最大の害は「怨望(他人の幸福をねたんだり恨むこと)」であると福沢は忌み嫌った。
完全に欠点一色が「怨望」である。怨望は諸悪の根源でウソも騙しも怨望から生まれる。逆はない。他にも猜疑、嫉妬、恐怖、卑怯の類も同じだ。怨望とは公共の利益を犠牲にして私怨をはらすものだ。
この怨望、妬み、恨みは厄介だ。特に男の妬みは最悪だ。
創業者木村一雄の孫である5代社長、例の創業百周年事業で失敗した創業家世襲の社長だ。この社長は何でも一番でないと気に入らない。確かに理論派で頭は良いので、ある意味正論を述べるのだが、部下や気に入らないヤツが異なる正論を述べると自論のほうが正しいと何でも反対する。時にはそれまで自分で説いてきたことが会議で部下から提案されると一転して反対に回ることもあった。とにかく他人が正論を述べるのが気にいらないのだ。
なんとも器が狭い。
これは#16,17で紹介したエンピー型嫉妬だ。 「エンピー型嫉妬」とは有能な部下を組織の論理という正論で置き換え引きずり下ろすジジイの得意技。自分より有能な部下で自分と関連する場合は親密さを下げる。疎遠になったり左遷したりする、ところが関係が無いと誇りとかいって褒める。狭量の極みだ。
似たような話は他の役員でもあった。
ポンポコ製菓では早くから生産部門にISO規格を導入していた。ISO規格とは組織の品質活動や環境活動を管理するための仕組み(マネジメントシステム)で、生産の品質マネジメントシステムがISO 9001、環境マネジメントシステムがISO 14001である。決められた管理、運用が出来ているとスイスの国際標準化機構から認証が得られる。言うなればしっかりとマネジメントが出来ているという国際的お墨付がもらえるという訳だ。
しかし認証をもらうにも、また、それを継続するにも諸定の様式の資料、報告が義務付けられている。これがけっこうなボリュームで現場の負荷となっていた。
更新時期に生産部門からこの認証を返上したいという申し入れがあった。もう十分管理が確立しているし、世間の信用もあるので作業負荷の割に得るものが少ないというのだ。提案を受けた私はそもそもISOのマネジメントというものを調べた。するとそれは単なるお墨付、或いは、資料報告だけでなく、通常運用の整合性が常に保たれるように形式を通じて行われるようガイドするものであった。所謂、「PDCA(計画(Plan)→実施(Do)→見直し(Check)→改善(Act)」という組織活動のサイクル」の実践で、マネジメントの原点である。
となると現場が言うような資料造りが面倒だ、大変だということとは論点が異なる。資料については工夫の余地があるかもしれないし、今後海外生産する場合も有力な武器になる。何故なら極東の小さなメーカーであるポンポコ製菓は世界的に認知されていないがISOは世界的にオーソライズされているからだ。
そういうことで私は返上については再考するように生産部門に依頼した。すると生産部門は頑なであった。どうしても返上したいと。とりわけ生産担当役員の態度は強硬で、むしろ現場よりも頑固であった。私は再度、再検討の理由を丁寧に説明し、併せて、何故それほどまでにかたくなになるのか役員に尋ねた。
するとその回答に開いた口が塞がらなかった。なんとISOの事務局担当者がたまたま担当役員の学生時代の同期で、ずっと気に入らない輩だった、というのだ。
情と趣味で決める。正論だろうが何だろうが、アイツの言うことは絶対きかない。これもエンピー型嫉妬の類である。
このような指向、行動をしている限り、品格は伴なわない。