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父の手|無職日記
父とのひとつの記憶。
1年ほど前、父と母が観劇のために上京してきた。故郷が舞台となっている演目で、ちょっと見てみたいと珍しく父がいうものだから、東京を案内しつつ、母と父と3人で観劇をした。
畜産農家として生計を立てる父が自宅を離れることはほぼなく、ひさびさの遠出になる。
姉と妹とわたし、それぞれが有給を取り、姉と妹は家業を手伝って、わたしは東京で2人をアテンダントするといった具合。家族総出の観劇プロジェクトだった。
劇場の入り口でそれぞれがもぎりの方にチケットを渡して入場したとき、父がおもむろに「手、汚ねぇかなぁ」と、つぶやいた。
父の手。
土に触れることはもちろん、餌やら薬品、機械にさす油など、さまざまなものに日々触れている手は、爪のふちが黒ずんでいたり、皮膚が硬くなっていたり、マメがあったりと、たしかに一目みただけではお世辞にも綺麗とはいえない。
でも、キレイゴトとしていえば、自分の手をキレイでやわらかく保つことなんかよりも優先して、わたしたちを養ってくれた手、なのである。
父方の祖父は、父が18の頃に他界した。そこから大黒柱にならざるをえなかった田舎の農家の長男の人生。後継になるはずの息子もできず、現在は孫もいない。多分まだまだ人生に葛藤があると思う。
それでも娘三人を都会の大学に通わせてくれた父で、そのごつごつとした手は何にも変え難がたい父の強さそのもののように感じていたことに気づいた。
咄嗟に、「気にしないでよ!」と口を突いて出たのは本心だった。父には手がキレイかどうかなんて気にして欲しくないと思った。思春期には臭い! とか言っていたのに、図々しい娘である。
その日は、一緒にスカイツリーにも登った。東京の景色を見て、日が暮れて夜景が輝き出すまでを一緒に見つめた。
さらーっと一周するのが目的になってる母と、真剣にどこが何の方向か見極めようと景色を見つめる父。それぞれの動きが手に取るようにわかるし、気持ちもわかるし、わたしの両親だなという感じで、ムズムズした。
父と共に過ごすゆったりした時間が久しぶりというか初めてで、少し泣きそうになった。こんな瞬間はもうないかもしれない、と思ったけど、もう作るしかないのだ。今度は家族5人で、なんとかして、とか考えていた。
全員が全員、自由奔放で無計画な放蕩娘しかおらず、両親にはずっと心配をかけ続けている(いまもわたしは無職になってしまったし)。
自由にさせてくれる父や母を尊敬している一方で、譲れない考え方の違いでまだまだ衝突することもあるんだけど、
父が父の人生こそ正解だと、そして母が母の人生でよかったといつか言ってくれるように、やっぱりわたしは稼ぎたい、と思う。
(家族とはいえ、個人は個人なんだけど。家族への執着はわたしに染みついた生きる仕草なんだろう)
その後、地元に帰ってからしばらく、父も「東京の匂いがするな」とか「俺は案外東京でも生きていけるわ」とか言っていたそうだ。いいぞ、いいぞ、どんどんやろう。
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