教科書では教えてくれない      本当の日本近代史

③日本人が知らない七年戦争
七年戦争(フレンチ、インデアン戦争)とは、イギリス、プロイセンVSフランス、神聖ローマ帝国、ロシア、その他欧州連合の王朝戦争である。当時のヨーロッパでは、いつもやってる領土の取り合いです。それと、もう一つが白人対有色人種の戦争で、北米大陸やインドなどでやっていた侵略戦争です。こっちはガチの戦争で、どっちがとってどれだけ搾り取れるか、どこが海王覇権取れるかで争っていました。フランスの植民地の北米大陸とインドをイギリスが奪いに行く構図でした。この頃からヨーロッパの国々が世界に飛び出していった。そして、戦争の末、カナダとインドがイギリス領になった。この時イギリス海軍はフランスの同盟国のスペインを追いかけてスペイン領マニラを陥落した。これが日本にとって大きかった。ヨーロッパの強国が着々とアジアに迫ってきていた。
この頃日本では、徳川吉宗(1716~1745年)白人のことを真剣に研究し始めます。田沼意次(1767~1787年)資本主義化を開始。積極的な探求と測量をする。徳川家斉(1767~1841年)天下泰平だった。
④天下泰平平和ボケ
徳川家斉は50年近く将軍にいた。50年もいたら流石に政治も腐敗する。経済自体は良くなっていったが、だれもい家斉に逆らえなくなっていった。
この頃世界では、1989年フランス革命がおこり、フランス革命がヨーロッパ中に広がり、フランス革命戦争が起こる。基本的にはフランス対イギリスです。フランスが革命を輸出しようとして起きた。イギリスがナポレオンを叩き潰そうと、1989~1815年迄続いていた。とはいうものも、日本にも来ていた。オランダはナポレオンにやられて国がなくなっていたのにそれを隠して日本来ていた。しかし日本はそれを見抜いていた。それぐらい日本はインテリジェンスがあった。1808年、フェートン号事件が起こる。イギリスがオランダ人を追いかけて長崎に来た。そしてオランダ人を拉致する。日本はオランダに泣きつかれて、身代金を出したという事件が起きた。当時のイギリス海軍は世界最強で日本が敵うわけがなかった。なので、泣く泣く身代金を払った。しかし日本の世論はなぜか1825年、異国船打払令が発令。ヨーロッパでは、1815年ナポレオン戦争が終結して、ウィーン体制(英露仏墺普が五大国)が完了した。ヨーロッパでの戦争が収束していよいよ本格的に世界を侵略に出て行った。

⑤アヘン戦争(1840~1842年)
徳川家斉の時代でかなり平和ボケしてしまいました。文化や経済は良くなったが、政治と軍事がダメダメになってしまいました。その頃お隣の中国ではアヘン戦争が勃発しました。イギリス商人が密輸したアヘンを清国の林則徐が焼き捨てる。それに怒ったイギリスが広東沿岸を焼き払い、清国は降伏した。着々と日本にも脅威が迫っていました。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?