哲学者みたく喋ってみろよ

俺たちは望んで生まれたわけじゃない
ただ子孫繁栄の役目を全うした人間から生まれてきただけ
別に望んで生まれた訳じゃない
そして大抵の人間は今生きてることに理由はない
ただ生まれてきて死ぬことが怖いから生きているだけ
じゃあ死ぬことが何故怖いのかって
死後の世界は死ななきゃ分からないから
そこは無かも知れないし天国、又は地獄があるのかも知れない
人間は理解できないものに恐怖を感じる
例えば道端で四足歩行で歩いてる人間とすれ違ったら大抵の人間が恐怖を感じるはずだ
この恐怖の正体は何故人間が道端で四足歩行で歩いているのか理解出来ないからだろう
理解すると言うことは生きていく上で必要な事で、理解出来ないものに直面した時に恐怖を感じるようになっているのだとしたら、長い人類の歴史の中で、誰一人死という事象を本質的に理解できていないから恐怖を感じているのではないかと思う
死とはなにか、生命活動が終わる時
それはこの世界からいなくなること
身体はいずれ骨になり朽ちていくが
だとしたら俺達の魂はどこに向かうのか?
いやそもそも魂は存在しているのか?
脳内の機能が停止した時点で魂も死ぬのだとしたら死後の世界は完全な無なのだろう
もし完全な無なのだとしたら俺は死ぬのが怖い

現代の社会は生きることを労働することと定義している気がする
だが生きる為に今の社会では労働が必要なだけでそれは誰かが決めたルールでしかない。労働する為に学校に行く。労働する為に勉強する。労働する為に頭の良い大学に入る。労働する為にお金を払う。
これらは現代社会を生きやすくする為の条件ではあるが、そもそも生物本来の生き方として労働環境を軸にして生きることは本当に正しいのか

俺達はいつか死ぬ、それは明日かも知れないし50年後かも知れない
世間の目や、しがらみという鎖に繋がれ、無意識の内に他人に行動を抑制され、こう生きるのが正しいと社会に洗脳された挙句、あの日夢見た世界すら自ら捨て、生きる目的を見失ったお前はそれでもこの世界で心の底から笑えるのか?
誰のために俺達は生きているのか
自己犠牲を美徳にするほど俺達は孤独に慣れてはいけない
傲慢でいい、他人は結局他人なのだから
脳内を共有することが叶わぬ限り本当の意味で他人を理解できる日は来ない
それでも繋がりが欲しくて友や恋人を作っても
そもそも俺達はへその緒が切れた時から誰とも繋がってはいない
人類が孤独であり続ける限り、俺達は孤独じゃないだろ
なに言ってんだろおれ、仕事やめたぃ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?