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あなたのエネルギーを下げるもの 

こんにちは。今日は、ここ1年続けている「コーチング」のセッションについて書いてみます。

なぜ、コーチングを始めたのか?


コーチングのセッション。オンラインでコーチの人とつないで、「自分が何をしたいか?」「どんな想いをもちながら日々を過ごしているか」を、口にしてみるという時間をもっている。
はじめた動機は、軽井沢に移住をして、自分の中で変化を感じたから。自然と湧き出す、何かやってみたいな、という想いをキャッチしたからです。

でも、それは思いつきかもしれない。
単なる移住でテンションが上がっているからだけかもしれない。

内側から湧き上がっている輪郭のない想いを手触りのあるものに変えたくて、「人に聴いてもらうこと」「その過程を通して自分で確信をつまえにいくこと」を試してみることにしました。

ここまでやってきた手応えとしては、すごくいいです。
相性もあると思うのですが、お願いしているコーチがひたすら「聴く」という姿勢に徹してくれているために、圧倒的な安心感がある。僕は、普段から率先して話すタイプではないために、スラスラと考えを口にできません。むしろ、喋ったあとに、あれも言いたかった、と次の日になって湧いてくるようなタイプ。

話しに抵抗がある大きな理由は「誰も自分の話なんて聞きたくないだろう」という思い込みが邪魔しているから。けれど、コーチングの時間は、沈黙OKで、たっぷりと次の言葉が出てくるまで、待ってくれる。「話がまとまらなくていい」「詰まってもいい」「沈黙でもいい」。この安心感のために、奥の奥から湧いてくる言葉を、思うがままに吐き出すことができます。

すると、驚くことに、自分でも思いもかけない言葉や発想が、自分の口から飛び出してくる。まさに「答えは自分の中にある」なんだなぁということを、会を重ねるたびに実感しています。

エネルギーを下げるものの正体は?


さて、コーチングの中で得た気づきのひとつをシェアします。
それは、自分のエネルギーを下げるものの正体は何か?ということです。

1年のコーチングを経て、やりたいことはかなり明確になってきました。ある程度の一貫性をもって、言葉にまとまってきた、という感覚のところまできています。
しかし、ここ数ヶ月、まったく逆の感覚に襲われることがありました。

「これでいいんだっけ?」
「自分なんぞが、こんなこと言っていいのか?」

ビジョンが明確になってくると同時に、身の丈にあってなさに「遠慮」のような感情が湧いてきたのです。

コーチングの世界では「サボタージュ」という考え方があるそうです。
Schooの講義でこのテーマについて語られているものがあったので共有します。

焦りや不安、もしくは恐れの感情を生み出し、自分らしい選択を阻害することもある、自分の中に無意識に存在する前提、と言っています。

logmi.Biz

とあります。

自分の中のビジョンも明確化した。やりたいことも腑に落ちている。なのに、ふとした瞬間に「これでいいのか?」と恐れの感情に襲われることがある。しかも、それは無意識の中に存在するという。半日くらいどよ〜んとテンションが下がり、目の前のことに集中する気が削がれてしまう。

そこでコーチのアドバイスはこうです。

「まずはどんなときにサボタージュが起きるのか観察してみる。エネルギーを下げる原因は何か? あらわれやすいサボタージュとは何か? そして、そこで時間をしっかりとる。自分はどうしたいんだっけ?という問いとセットで考える。Willに立ち戻る。その往復の中で根が強くなります」

ここで僕が受け取ったのが、「しっかりと時間をとる」ということです。人は誰しも、無意識のレベルで思考を続けてしまって、客観的になることができにくい。「時間をとる」ことを意識づけることで、サボタージュに陥ることは止められなくても、そこからしっかりWILLに戻すことができるし、その往復によって、「根を強くする」。つまり、WILL の揺るぎなさを確認ができる。そんなことではないでしょうか。

振り返ってみたときに、僕のエネルギーを下げる原因は、「自分でいいのか」という思いではないか、と仮定しています。サボタージュを感じやすい状況。それは、圧倒的な人や実績を目の前にすると、譲ってしまう、という思考パターンです。

これは小学〜中学時代の経験に遡ることができます。
あえてわかりやすい言葉を使うと「スクールカースト」。そのなかで目立つ存在。積極的な人。人気のある人。そんな人物を見ると「どうぞどうぞ」「やったほうがいいね」ととても積極的に席を譲ってしまう。自分を卑下しているとまでは思わないけれど、「資格のある人がやるべきだ」という想いがある。他人の活躍を前に、自分をセーブしてしまう傾向がとても強いのですね。

実は、この思考パターン、悪いことだけではなさそうです。
この話を妻にしたところ、彼女から返ってきた答えは「組織に必要な人材じゃない?」「全員がやりたい、やりたいだと会社は成立しないよ」というもの。会社人間としてぴったりだったのか。そんな気づきもありました。

「序列思考」から抜け出す

自分がやりたいことがあるのであれば、実績をつけてから。そんな順番を勝手に課していた気持ちもありました。一方で、そんな時代でもないんじゃないの? 実績を競って、数字でわかりやすく人を序列化するしくみはどうなんだろう? という想いももっていた。

実は、軽井沢に移住をしてきて、やりたいことが湧いてきた理由もここにあるのではないかと思っています。

東京にいるときは、集合無意識のなかで、実績を出すことでの承認欲求や必死であることの正当性に、飲み込まれていたような気がします。常時オンライン接続で、それを断ち切ることは「降りる」こと。つまり、勝ち負けの軸でいくと「負け」になるのではないか。そんなことも頭をもたげいました。

環境を変え、東京と距離を置くことで、まったく別軸での生活がメインとなり、気づくと比較思考は薄れていました。その結果、もともともっていた「やりたいこと」という熾火にふと火がついたのではないだろうか。そんなふうに、自分の変化をとらえています。

少し話が脱線しましたが、「本当にこれが自分のやりたいことなの?」「やりたいなんて言っていいのだろうか?」そんな想いにとらわれることは、少なからずあるのではないでしょうか。
そのときに、少し時間をとって「いま陥っている、サボタージュってなんだろう?」と見つめてみることで、原因が見えてくるかもしれません。

僕の今の考えをもう少し書いておくと、「序列」や「できる奴がやる」という思考から、社会が、そして僕自身も早く抜け出して、「自らが正しいことを、自らの立っている場でやること。各人が在り方を変化させていくことで社会は必ず今より良くなる」というものです。

これってなんの意味があるの? いわゆるブルシットジョブに対して、「いや、これをやらないと食えなくなるし」「自分の居場所だと仕方ない」そんな諦念を乗り越えて、少し変化を起こすこと。そこに加速度をつけていければ、より良い社会に向かうのではないかなぁ、という仮説があります。

まぁそれについてはまた別の機会に!

最後に、素敵なコーチとの出会いを斡旋してくれたサイトを下記に貼っておきます。おすすめです。

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