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僕は化学物質過敏症なんじゃないかと自覚した日

僕はこれまで化学物質に敏感ではあったけれど、化学物質過敏症というほどではないと思ってきました。

なぜなら僕が初めて出会った化学物質過敏症の人は、柔軟剤はもちろんシャンプーなどの匂いのついた人、すなわちこの国に暮らすほとんどの人とは面と向かって会話もできないほどに深刻であったからです。

化学物質によって壊される社会とのつながり

そんな彼女が外に出られるのは、愛犬との早朝の散歩の時くらいで、人々の活動が活発になる頃には家にこもって人を避ける必要がありました。

彼女は愛媛は松山の郊外に住んでいて、大都市と違って緑はたくさんあり、田畑もそこかしこに見られるような環境でしたが、それはそれで農薬だったり、野焼きの煙だったりに苦しんでいました。

僕と会話できたこと自体が、彼女にとっては驚きだったのですが、それは僕が野宿で四国遍路をしている最中で、体も服も水だけで洗濯していたから可能だったわけです。

柔軟剤の香りのついた服の人とすれ違うだけで、気を失うレベルの過敏症の人がいるとは知っていましたが、彼女もそのレベルだったのでしょう、自殺願望が芽生えるまでに追い込まれていました。

彼女とはそれっきりで、もう5年以上も前のことです。

認知されているようでされていない「香害」

それ以降、「香害」などという言葉まで生まれて、柔軟剤などの香りによって苦しむ人が増えている現状は少しづつでも広まっているのだろうと思っていますが、それにもかかわらず香りの強い柔軟剤や洗濯洗剤の勢いはとどまるところを知らないように感じます。

それがために学校に通えなくなった子がいたり、塗装屋さんや、農薬散布中の農家さんがつけるようなマスクをつけないとお店に立てないコーヒー屋さんの亭主がいたりするわけです。

東京に戻るたびに目鼻がかゆくなる

で、僕個人の話に戻すと、幼少期からアレルギー性鼻炎と言われて育ち、鼻水はしょっちゅうズルズルで、ティーンネイジャーの後期まで両鼻が開通することがほとんどないような人生でした。

そんな鼻が右も左も常時開通し始めたのは、生まれ育った東京を離れてカリフォルニアに行ってからなので、東京の環境汚染事情もあったのでしょうか。それ以降も地方で働いたり、長期登山をしたりして東京に戻ってくるたびに目鼻がムズムズしだしたものです。

東京以外でも、ホコリっぽかったり、カビっぽいところに行くと鼻水が滝のように流れ出すこと多々あれど、20代以降は10代までと比較して、だいぶ症状がマシになってきていましたから、しんどいけども、まあこんなもんかという、(鼻水に)達観したようなところはありました。

サイキンミンナクサイ

ところが最近、人々の服についた香りが以前より鼻につくようになってきました。

洗剤の香りが強くなっているのか、僕が弱くなっているのか。僕は自然洗剤を時々少し利用するくらいで、基本的には洗剤と無縁の暮らしをしていますから、余計に気になるのかもしれません。

近所の人も、宅急便のお兄さんも、道ゆく人も、皆、洗剤の香りがします。

その香りを嗅ぐと僕の鼻水センサーが反応します。

僕にとってはどぎつくて臭い香りなのですが、僕の主観として臭いくらいだったら別になんてことはないのです。ただの好みの話ですから。それを良い香りと思う人がいるなら良いです。

しかし、臭いまでならまだしも、もはや危険を感じると言っても言い過ぎでない刺激が鼻をつくんですね。とっさにちょっと体を遠ざけてしまうくらいです。

化学物質過敏症でないかと自覚した日

それで、先日リサイクルショップに行って古着コーナーを見ていたのですが、途中で鼻水スイッチが完全にONになってしまったのです。

あ、ちょっとこの服は匂いが強いなと思って間も無くしたら鼻水が滲みでてきまして、鼻を手で隠したら、その服から手に移った香りが再び鼻を刺激して鼻水が余計に出てくる始末。

その後も、鼻水が垂れそうになるたびに手で鼻を軽く拭ったら、油断していました、手に匂いがついたことを忘れてまして、再び鼻水が加速しだすということを何度か繰り返したのです。

いやはや鼻水が垂れたら、鼻に手が行くのは一つの条件反射のようなものですからね。

古着の大半は強烈な香りがするので、これまでも「匂い抜き」をしなければ目鼻への刺激が強すぎて着られたものではないのですが、ここまで酷かったっけという感じ。

大量生産大量消費でまだまだ着られる古着の溢れるこの時代、出来るだけ新しく資源を切り崩さないようなものを利用したいのですけれど・・・

もともと鼻水多き人生だったために、これまでは「化学物質過敏症ってほどではないけれども、化学物質の刺激によって目鼻がしんどくなる」というように自分の症状を評価していたのですけれど、

これはもやは、化学物質過敏症って呼べるレベルなんじゃなかろうか?と初めて思ったのがその古着コーナーでの顛末だったのです。


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