できない配慮というだれかへのそれ
自分が配慮してやったことが人の琴線に触れて責められた時、どうすればよかったのかと混乱してしまう。
仕事上だったらどうとでもできる。
恋人や家族との関係でのそういうのが本当に対応できない。
その度、家族もパートナーも持てないし、おそらく誰とも共に生きていくことはできないだろうと思う。物悲しい話だ。
しかし、どうにもならないことがあるとすればこれだ。
自分のせい、自分のおかげで物事が起きた時、配慮したにもかかわらずそれが事件になったならば自分の「配慮」の根源を見直さざるをえない。