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無言の信仰

宗教を超越した求心力。建築にはそれが作れる。言葉にはできないエネルギー・インスピレーション・ショック。それは大自然を前にして大声を叫びたくなる衝動にも似た根源的な原動力の湧出であり、無言の信仰とはこの感動体験を求めて生まれた人間の本性の一断片である。

だが時に求心力は予期せぬ物事も同時に引き寄せてしまう。それは時に飛行機であり、鉄球であり、ダイナマイトである。果てしない求心力ゆえに人間の憎悪も同時に引き寄せられて当然で、それは求心的建築の宿命でもあるのだろう。この文章は宗教を越えた求心的建築にまつわる本性を炙り出そうとする試みである。系譜学を越えた先に垣間見える、原初的な建築の本性を。

近代神社のナショナリズム

信仰の大きさは、空間に蓄積された歴史の長さには比例しないのだろうか。日本で最も参拝者が多い明治神宮の創立は比較的最近のことだが、大抵の人々はもっと古い歴史を持つ建築だと見積もるらしい。中には奈良時代建立だと思う人もいるほどだ。明治神宮が持ちうる国家的モニュメントとしての空間的な求心力は、時間の重層性を越えた神聖な領域を無意識的に作り出しているのだ。

伊東忠太の指揮によって唯一神明造り(伊勢神宮)や大社造り(出雲大社)に縛られない、「純日本式建築の最後を飾る大作」と言われる明治神宮が完成したのは大正9年であり、その建築的・環境的・政治的・社会的な存在意義はとてつもない速さで獲得されていった。海外からも参拝者は絶えず、例えば鳥居の下で一礼し、拝殿の下で手を合わせる所作は民族を越えた共通のふるまいを誘発しているどころか、彼ら自身の所作によって明治神宮が持つ威厳を高める一助になり、明治神宮へ至るまでの知識と所作が相乗的に明治神宮の神域性を強めていく。

また同じころ大正10年には靖国神社の大鳥居が完成した。そこは戦没者の魂を御神柱として供養することを目的とした建築であり、今でも青銅製の大鳥居は建ち続ける。日本では敵味方関係なく魂を供養する伝統があるが、この靖国神社では日本国民のみを限定しており、天皇への忠誠心を高めるための手段としてこの建築が存在している。その意味性から特に近年では単なる建築的な意味を越えた政治活動の一端にまで腫れ上がり、建築が持つ多義的な役割を再認識させられる。

無言の信仰とはまさしく、この必要以上に高められてしまった建築のメディア性であり、ロゴ性であり、ブランディングである。実際の歴史として国家発揚の原動力として近代神社を建設し、建築の実質的な意味のすり替えを行っていたことは否めない。それは目的ではなく手段であり、アメリカにとってのB-29戦闘機が日本にとっての近代神社だったのである。近代神社は国民の精神性を統一するための軍事的な加速度装置であり、ナショナリズムへの誘いだった。

(medya TVより)

9.11に見るアメリカ大聖堂

「アメリカの大聖堂」は無残な終焉を迎えた。近代が生み出した発明である高層ビルと飛行機は一騎打ちし、共に灰となって消えたのだ。約3000人の死と共に、その煙はテロとのグローバル戦争におけるスターターシグナルとなった。

ミノル・ヤマサキの設計によるアメリカを象徴するワールドトレードセンター。イスラムやカトリック教会に多く見られる尖頭アーチのモチーフを多く取り入れているものの、結局は箱型の資本主義迎合型の現代建築に変わりはなかった。マンハッタン島のゲートウェイとして佇む鳥居はアメリカの神社本殿をどこにも見出せなかったのだ。だがそれが破壊と共に宗教、経済、政治のメディアとして表現されるようになり、その後のアメリカとイスラムの対立構造を紡ぐことになったのだ。その鳥居は破壊されることによって初めて本殿を生み出すことができたのだ。実存ではなく表現としての本殿の姿を。

話は湾岸戦争にまで遡る。湾岸戦争の後、アメリカ軍はサウジアラビアに駐屯し、イスラム教の聖地を土足で踏みにじった。さらにイスラエルとパレスチナをめぐるアメリカの対応も相まってアメリカに対するイスラムの不信感が募ってしまったのである。近代化が進むグローバルな社会の中で戦争が作り出した内紛や貧困、環境問題を清算できずに21世紀が到来し、その募りに募った不信感の最終形態が同時多発テロとして露呈したのである。近代化が豪語した「世界の平和と繁栄」という伏線は回収しきれず、ジハード(聖戦)や十字軍という新たな単語と共に新しい局面を生み出した。

宗教は建築の最大のパトロンである。宗教なしに建築史を語ることはガソリンなしに自動車を語ることと同じであり、宗教の存在意義は建築空間の大きな原動力となってきた。建築の破壊は宗教の破壊であり、それは拡張された信条である。その意味でワールドトレードセンターはグローバル時代の資本主義の中心であり、直接的に宗教とは結び付いていないものの信条が拡張されたアメリカの象徴だった。グローバルな資本主義時代に生きる現代人によって行われた無言の信仰は、大聖堂と言われても過言ではない建築メディアを作り上げたのだ。

セントラルパークと皇居

場所を同じくして100年以上前のニューヨークでは「西洋文明における最も果敢な予言行為」が行われた。それはつまりマンハッタン島のグリッド化であり、タブラ・ラサ(白紙状態)の大地に対して行われた人間文明の植民地化である。セントラルパークが呈する都市的様相はかつてのマンハッタン島に残る郷愁でもなんでもなく、ただ人工的に創成された二項対立的な自然環境を収容したアーカイブ空間であり、ナチス政権がユダヤ人を収容したのと本質的には何も変わらない。

その意味で東京の中心に位置する皇居はセントラルパークとは比較対象にならないほどに神域化された中心を携えている。天皇への信仰心が作り上げた東京の地理的特性は日本人の信念がそのまま顕在化された都市的文脈である。首都高速、鉄道、区画が皇居を中心に作られている事実は東京に満ち溢れる民族的精神性の露呈であり、東京の求心エネルギーにおける太陽を透かし見ることができる。東京が世界一の人口密度を誇りながらも世界一安全な街である理由をこの地理的特性に見出そうとする考え方は流石に無理があるのだろうが、少なくとも東京が持つ神聖な中心性は、自然と親しみ共生する日本人的な都市像を感じ取ることができよう。

マンハッタニズム

建築家レムコールハースは著書『錯乱のニューヨーク』でマンハッタニズムという単語を用いて当時ニューヨークで促進されていた都市発展の姿を述べたが、皮肉なことにそれは現代にも通じる話である。都市は資本主義と共にその外観をアップデートしてきたが、まるでPCのキーボード配列がタイプライターの配列をそのまま継承したのと同じように、古い常識をそのままに表面だけ新しくなっているのが現代都市なのである。

グリッドは様々に複合されている形態と機能が並置される都市の最大単位であり、各ブロック内では摩天楼がフロアレベルで空間のグリッド化を行っている。その結果、「規則的な都市構造と不規則な都市景観」「単一ファサードと複数フロア」という都市的分裂と建築的分裂とが同時に発生した。その外部と内部の二重分裂は精神外科手術で使われる「ロボトミー」という単語で表現され、建築は虚飾的にふるまう都市の意思であり、都市はそれらが寄せ集められたブランディングとアイデンティティを乗せるためのペルシャ絨毯であるのだ。床面積の増大を求める資本主義社会は、ペルシャ絨毯としての都市空間の中にサランラップとしてのファサードを持たざるを得ず、ストリートには実在に見せかけた虚構の連続ドラマが連なるのだ。

文化産業

そのペルシャ絨毯に寄生していったのがショッピングモールであり、それはありとあらゆる場所に浸食していく寄生虫のような存在である。ショッピングは公共活動として都市空間に残った最後の形式であり、都市生活の全側面を植民地化して自らの価値に置換していく。教会・駅・ホテル・遊園地・美術館までもがショッピングを取り込み、その呪縛から逃れられずにいるのだ。ショッピングモールとはいわば、「宿り主を失った寄生虫」であり、逆説的にそれは宿り主そのものを寄生虫へと変換させる(どちらが建築のエージェントなのか不明にするという)役割をも孕んでいる。文化産業に迎合することがあまりにも成功するために、ショッピングはそれ自体で一つのエンターテインメントになりつつあり、今やエンターテインメントにおける観客と演者の区別など存在しない。

文化と階級に関係性はあるのだろうか。つまり、文化の差異は階級の差異へと帰着させることができるだろうか。ここでの解答はショッピングモールの全国的な浸透に見ることができる。国内に広がる地域性はおろか、世界レベルでみても文化産業のモール化は均一に広がっているように感じられる(好みのベクトルや歴史的なバイアスの反映は多少あるものの)。モール中央の吹き抜けには水道管むき出しの噴水があり、広場のアイコンとしてのアーチ型の壁沿いにベンチが連なる。ベンチ脇には樹木が置かれ、雨風の代わりに小さな子供の叫び声と大人の反響した喧騒にさらされる虚構的な自然。モールの全床面積を均等に割り振ることができるのはエスカレーターと空調設備が区画とフロアとの関連性を喪失させているからであり、シャワー効果といった心理学的操作によって人々は上の階に吸い寄せられていく。通路は広くてタイルカーペット敷きで、大抵の場合は有名ブランドの看板よりもトイレの標識が真っ先に目に入るのがオチである。

批評家ジョン・シーブルックは文化産業という単語を使っているが、階級差を均一化させること(ノー・ブラウ)に利潤のシステムを見出しているのが世界にカビのようにはびこるモール化現象であり、同時にそれが現代都市の均一化でもある。ここでさらなる問題として挙げられるのが、「階級」という言葉の影に取り残された「貧困」層であり、文化産業が階級の均一化を行うことでまるで経済格差まで均一化されたように錯覚させることである。ショッピングモールは問題を何も解決していないし、むしろ露呈させる形になっているのだ。建築は影響を与える変化ではなく、影響を受け取る容器であり、社会のアップデートを促進させるための求心的な外観でしかない。

駅が作る場所への信仰

ショッピングモールが世界共通の公共活動的な場所性を獲得していることは分かったが、それではバナキュラーな様式、すなわちその地域でしか起こり得ない唯一無二のエネルギーを作り出す建築とは何であろうか。その地域にしかない人間の息吹を纏った求心的な形式、リアルに感じられる高揚感とはどこに生まれ得るのか。例え地域コミュニティや公共活動をモール化の波に寄生されたとしても、やはりその地域でしか存在できない求心的な、街の根幹として存在する、公園のようにおおらかに包み込んでくれる優しみと親しみに溢れた、人間のようでいて暖かい建築。心の拠り所。郷愁の場。原風景。それが必要であるはずだ。

僕は一人で三週間ヨーロッパ周遊したことがある。モスクワに始まってオランダ、ベルギー、ドイツ、スイス、フランス、イギリス、そしてローマ。とても長かった。でも毎日が新鮮だった。多分それは一つ一つの街に降り立つ前にそれぞれの駅空間を体験しているからであった。東京駅のモデルになったアムステルダム駅、大きなキャンチが特徴的なロッテルダム駅、ヨーロッパ最古と言われるアントワープ駅、付属のスターバックスが美術館のように美しかったヘント駅、大きくて戸惑ったブリュッセル中央駅、ガラス天井でとても明るく開放的だったフランクフルト駅(本当に感激!)、大きさの割に軽快な印象だったバーゼル駅、暗くて印象の良くなかったローザンヌ駅、漫画にも出てきそうな高揚感を生み出していたモンパルナス駅…。駅こそが街の始まりであり、毎日の旅のスタート地点である。

特に印象に残っている街がある。それはベルギー・リエージュという小さな街。サンティアゴ・カラトラバによる駅舎が見たくて立ち寄った。素直に感動した。もちろんである。でもそれだけではなかった。街も美しかったのだ。雨で歩きにくく、中心部のモール(案の定ここにも寄生済みだ)は人が少なく、教会以外はこれと言って立ち寄った建物はないが、確かに街全体が心地よかった。駅に改札は無く、街の広場がコンコースに繋がり、多くの人は駅に集い、話し、くつろいでいた。街の反対側の駅空間では、久しぶりに再会したのだろうか、大人の親子が走り寄ってハグをしたのだ。それを見て僕は学んだのだ。駅という都市的機能が人間にとってどれだけ大切なのかを。

出会いと別れ、文化の結節点、街歩きの始点と終点、移動空間の集合、公共空間、街の中心性。駅にはたくさんの要素が織り込まれている。その全てを同時に成立させつつも街のシンボルになり、街の第一印象にもなる建築なのだ。駅空間と街の公共性が結び付き、新たな場所性を作り出せると思った。公共空間が作り出す社会のありかたをアップデートできると。それは駅への信仰というよりはホームタウン、故郷への愛着心であり、誰もが持っているにも関わらずあまり口には出さない無言の信仰であると気付かされた。

建築の求心力

日本の街には大きく三種類ある。社寺仏閣を中心とした門前町、地方大名の眼下に広がった城下町、江戸と大阪の間に発達した宿場町である。都市の発達には地理的・歴史的にルーツを持った強力な理由が隠されている。街が作られるエネルギーには住民の共感を生む求心力が備わっていて、強い地域共同体がそれを強くし、その逆もまた同様であった。

そしてどんな街でも必ず社寺仏閣が存在する。日本の社寺仏閣の総数はコンビニの数よりも多いことはよく言われるが、僕の小さな生まれ故郷でさえ80個の社寺仏閣が存在したことを知って驚いた。日本人はよく無宗教だと言われて批判される。でも僕は思う。無宗教でもいい。絶対に信仰心はどこかに眠っているのだから。その信仰とは無意識に持っている故郷への愛着であり、弱小化しつつある地域住民への友好であり、現代だからこそ繋がることのできるネットワークかもしれない。いずれにしても日本の街にはその信仰を集めるための装置、求心力が備わった建築が足りないのであり、それは常に共感を呼び、作り上げた時に感動を呼ぶべきものである。

あなたは名古屋城がどのように作られたか知っているだろうか。名古屋城の建設は1円で落札された(狭間組)。それは地域の名誉としての事業だったからだ。だがいくら名誉とは言え流石に資金面で難しい。そこで行ったのが、名古屋市民に城の瓦を寄付してもらうだけでなく、足場に上ってもらい、市民自身の手によって瓦を取り付けていったというのである。本来の建築的求心力とはこのようなボトムアップ型の行為によって生まれるものである。名古屋城が建築学的に価値が低い(例えばRC造である)などはどうでも良く、地域が一丸となって作り上げた建築にこそ本当の愛着が生まれ、共感が生まれ、信仰が生まれるのである。例え口にはしなくとも、名古屋を歩くサラリーマンや高校生、商店街にいるおばちゃんは地元名古屋に何がしかの信仰心を持っているはずである。現代にも無言の信仰は十分にあり得ると信じる。

歴史か。空間か。

建築は歴史を作ることができる。空間は簡単に壊せるが、歴史は揺るがない。歴史を伝える書物が無くてもいい。歴史は外部化された物語ではなく、今に生きつがれてきた暗黙知の次元における生活体系の中に存在するからであり、日本人として生き繋いでいく僕たちは歴史そのものなのである。空間のスケールではなく歴史のスケールで建築を考えていくこと。そうすることで無言の信仰を集める求心的建築が生まれていく。歴史か。空間か。空間は避けられる。

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