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義父の介護

2003年6月からアルコール依存アルツハイマー型認知症徘徊するようになった義父の介護を始め、その他もろもろいろんな気持ちを持て余していたけれど、芥川賞を受賞したモブ・ノリオ氏「介護入門」を手にしてからは、かなり救われた。
彼の表現は突拍子も無くトンでいるけれども、介護した経験のある人だけがわかるであろうニュアンスに、胸がスーッと軽くなって、少し笑えるようになった。
義父を介護していた頃に書いていたWEB日記の中から、思い出深いものをピックアップしてみようと思う。
ひとり暮らしをしていた義父が認知症になって、元夫の実家まで通うようになったのは、息子が中学受験を受ける1年前のことだった。

義父の家の庭
                2004.11.06(sat)

今朝デイサービスに義父を送り出した後、庭を眺めていた。
急に草むしりをしようと思い立った。

もともと神経質だった義父が認知症になってからは更に神経質になり、庭に降りるたびに、池の中を覗き込んでは小さなゴミを拾う。
何年も掃除せず、ポンプも止まったままの雨水が溜まった池。
落下したら危ないので、1年前に埋めてしまった。
この池には、義母が生きている頃は大きな鯉がいた。
主人の実家などという所は子どものいない嫁には居心地が悪く、いつも手持ち無沙汰だったので暇つぶしに良く餌をやっていたが、義母が他界した後に全部死んでしまった。
義父は義母が連れて行ってしまったと言ったが、実は毎日餌をやっていたのは義母だったらしい。

息子が生まれ義妹がまだ実家にいた頃は、たまに息子を連れて遊びに行った。
義父が中国からお土産に買ってきた上海シルクで、器用な義妹が3人お揃いの半袖シャツを誂えてくれた。
息子が3歳の頃に3人でそのシャツを着て実家へ行き、家族5人で1度だけこの庭でバーベキューをしたっけ。

結構広い庭。どちらかといえば大きな家。
義母が生きている頃あんなに毎週のように、主人は嫌がる私を無理やり連れて帰ったのに、義母が他界してからは全く行かなくなった。
せめて盆暮れ正月だけはと私が促して行っていたが、もし義母がもう少し長く生きていれば、ちょっとはましな家族になっていたのかもしれない。

1人で庭の草むしりをしていて、妙に悲しくなって来た。
『奥様がいつもひとりで頑張られていて、かわいそうになります』
先日、私はヘルパーさんにそう言われてしまった。
『そんな事無いですよ。私はもっと前向きな人間です。こうなってしまったのは、この人(義父)がいけないんです。心配しないで下さい。私は大丈夫です』
その時はそう答えたが、帰宅してから切なくなった。
私はもしかしたら、かわいそうな嫁なんだろうか?
でも、自分でそう思ってしまったら、自分が惨めな気がする。
息子に聞いてみた。
『ママって、かわいそうかな?』
『見方によればね。』
そっか!! 見方によればかわいそうなんだ。。。。
でも、違う見方をすればそうじゃないわけだ。。。
じゃあ、私が違う見方をすれば問題無いじゃんね!(*^○^*)


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