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こころからイジワルなお母さん

私の母はよく私を無視する人だった。はっきりいって意地悪で

話を聞いてくれないし、聞かされるのは愚痴ばかりだし、

心から嫌いで、どこかよその家の子になりたいと

いつだって本気で思っていた。

家の手伝いも私だけ、長女の私だけ徹底してやらされて、

母は祖母との折り合いも悪く、家に居たくなかった。

本当に 母が嫌いだった。嫌な人で意地悪で、だけどごますりをしないと

生きていけないので 蘇生術として嫌いな人でもそつなくこなして

成長してきた。

もちろん私も彼女に迷惑をかけたことはたくさんあると思うが、割愛させてもらう。

大人と子供、同じ土俵に立つのはフェアじゃない。

大人には逃げ場がある、子供には逃げ場がない。

父と喧嘩したときだけ私に優しくしてくれた母は、用が済めばまた

私を突き放し八つ当たりをし、こき下ろし、ふみつけ、時に首を絞めたりもした。

そうと思えば、1ヶ月 子供の私と話せないくらい寝込んだりすることもよくあった。回復すると決まって「私は自律神経失調症。お母さんは家族みんなにいじめられて体がボロボロなの。」と私をよく脅したものだった。気を遣えってこと。家事をやれってこと。お前の話なんか聞きたくないってことだ。子供より自分をいたわれってことだ。

子供を持った今、少しぐらい子供に気を遣えよ と思う。

それだけ、自分こそ1番の被害者 悲劇のヒロイン だ。今もだけれど。

 

気に入らないことがあるとすぐ無視をしたり家族の中で私だけ仲間外れをした。

小学校1年の時だったか、みんなみたいに毎月お小遣いが欲しいとお願いしたとき、

そんなにほしいんだったら 自分でおやつは買いなさい

鉛筆や消しゴム 必用なものも 全部自分で店まで行って買ってきなさい

と ものすごく 一方的に怒られた。まだもらうと決まっていないし

月額 500円だ。

その後 みんながおやつの時間に私は呼ばれず…

茶の間では 母・祖母・妹で わいわい楽しくおやつを食べている

私に見せつけるように。

無視して呼ばれなかったのか、私は家の隅っこ 玄関の壁の角で

立って声を抑えて泣いていた。

離人症がそのころには 発症したらしく

泣いている私の画像が今でも事細かく思い出せる。

床の色 着ていた服 立っていた場所 うつむき加減

解離だ。

 

私以外の母・祖母・妹はいつもの茶の間でおやつをワイワイしているのに

私は呼ばれないのだ。

この時はいつもぶっちょうずら 不機嫌の母も

私をいじめることで 腹が落ち着くのか

ニコニコ楽しそうに私に見せつけるようだった。

まだ 小学1年だ。街を歩く小学1年生を見ると

私はまだ あんな小さな肩幅で、丸々太った目の吊り上がって

獲物を探す爬虫類のような母のいじめを受けていたんだな。

そして祖母も、それを分かっていながら助けてくれなかった

もちろん父に相談もできなかったんだなと

いまだに 鮮明に思い出せる。

もちろん 母がそれ以上の虐待を受けてきたのはわかるが、それは母の問題だ。母がそうやって生きた証を私は体をもって私の人生をもって知っている。

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