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フリーライターはビジネス書を読まない(32)

半壊したアパートから追い出された

神戸と芦屋で3日間の取材を終えて、これから1週間で原稿をまとめないといけない。書いておきたいことと書くべきことが多くて、版元からオーダーされた文字数をオーバーしそうだった。どの話を削っても、現実を伝えられないような気がする。

取材をしていく過程で聞いた話には、ひどいものもあった。
住んでいたアパートが半壊したので、避難所へ身を寄せていた男性がいた。すぐに大家さんが探し当てて、男性を訪ねてきた。

「大変でしたね。当面、お金がいるでしょう」と、30万円ほど手渡してくれた。しかも「返さなくていいです。困ったときはお互い様ですから」とまでいってくれたという。
その男性が部屋を片づけようと思ってアパートへ戻ると、自分の荷物がすべて部屋から出されて路上に積み上げられていた。

「誰が勝手に、こんなことを?」
そこへ大家さんがやってきたので、ことの次第を説明した。すると大家さんは、
「解約したじゃないですか」という。
「解約なんかしてませんよ、まだ私の部屋ですよ」と抗議すると、
「昨日、避難所で保障金をお返ししましたよね」と、まったく悪びれる様子もない。
男性は、それ以上抵抗する気力が湧いて来ず、結局泣き寝入りしてしまったというのだ。

似たような話は、神戸じゅうであったそうだ。採算の悪いアパートを取り壊して、土地を高く売るチャンスととらえた地主もいたらしい。

取材前に聞いていた噂のほとんどは噂の域を出なかったが、こうして新たに耳に入ってくる噂があったら、時間が許す限り裏付けをとることに努めた。

原稿を書き始めた初日、福岡県に住む2歳下の従弟から電話がかかってきた。
福岡県は父の郷里である。父は20歳のとき、家出同然に大阪へ出てきて、そのまま住み着いた。29歳のとき、勤め先の近所に住む娘と見合いをして結婚した。その結婚相手が私の母である。
その頃には父も福岡の本家に大阪での居場所を知らせてあり、家出したことも許されていたらしい。

福岡の家は父の兄、すなわち私の伯父が当主になっていたが、祖父は入院中ながら91歳で健在だった。
電話をかけてきたのは、伯父の長男である。もっとも、父と伯父は折り合いが悪く、日ごろは疎遠になりがちだった。従弟の声を聞いたのも、じつは18年ぶりだった。
前に会ったときは、私が中学生で従弟が小学生だった。

「親父が亡くなった」
電話をとるなり、従弟はいった。当たり前だが、すっかり大人の声になっていた。

ちなみに福岡の本家は、伯父・伯母・従弟・その妹(従妹)の4人家族で、伯母が明太子工場でパートタイマー、従弟は電機会社、従妹は医療機器メーカーで働いているから、昼間在宅しているのは10年ほど前に民間企業を定年退職した伯父ひとりだった。
伯母が昼休憩で家に戻ったら、伯父が台所で倒れていた。慌てて救急車を呼んだが、間に合わなかったらしい。

ということは、通夜と告別式がある。それは、いつだ?
従弟がいうには、親戚が集まりやすい土曜に通夜、日曜に告別式をやる段取りで、お寺と調整したという。

通夜は3日後だ。
3日あれば、原稿はなんとかなる。
従弟からの電話を切って、すぐに福岡行きの航空チケットを予約した。

(つづく)

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