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フリーライターはビジネス書を読まない(7)

サラリーマンを辞める

敢えて社名は伏せる。
日本資本最大手の警備会社といえば「あぁ、あそこか」と察しが付く人は多いはず。

1990年の初冬、勤務先のホテル警備隊で夜勤を終えた私は、隊長が出勤してくるのを待って、
「ちょっと、ご相談が」と声をかけた。
普段と違う様子に察するものがあったのか、隊長は場所を変えようといった。

そこは地下1階にあるホテル従業員専用のカフェで、我々のような協力企業としてホテルで勤務しているスタッフも利用できた。

「相談って何や?」

元陸上自衛隊の衛生兵だった隊長は、タバコに火をつけながらいった。

「今月いっぱいで退職させてください」
ストレートにいった。遠回しにいっても時間がかかるだけだ。

「え゛っ!」
驚いた拍子に、隊長が咥えていたタバコを落とした。
マンガみたいなことが本当にあるんだなと、意外と冷静に観察していた。

「ほかにやりたい仕事があるんです」

「お、お、お前がそんな冗談いうなんて、珍しいな」
タバコを拾い上げた隊長は、平静を装っても本気で動揺していた。

「本気です」

「ちょっと待て、お前を辞めさせるくらいなら、使えない若手を2~3人まとめて辞めさせるほうがマシやわ」

そういってもらえるのはありがたいけれど、そんなことで決心は変わらない。

「とにかく、俺の一存で『そうか辞めるか、ご苦労さま』というわけにはいかん。支社に諮ってみる」
隊長の声は上ずっていた。

後日、ホテルに隣接して建つインテリジェンスビルに入っている大阪中央支社から、警備課長がやってきた。話し合いの場所は、同じホテルのラウンジになっていた。

普段は不愛想な課長が気持ち悪いくらいの作り笑顔で慰留してくれたが、私の決心が変わらないことを知るとガッカリして、支社へ戻っていった。

その後、支社次長も、私に退職を思いとどまるよういいに来た。

会社の戦力としてそこまで重宝されているとは、ありがたくもあり、意外でもあった。なんだか申し訳ない気持ちになってくるが、ここで折れてしまったら夢を諦めることになってしまう。
せっかく人の繋がりができたのだから、一歩踏み出すタイミングは今なのだ。

支社次長の説得でも決意を変えないので、とうとう支社長に呼び出された。

また慰留されるんだろうと思って支社を訪ねると、なんと「退職は認めよう」という。「ただし――」と支社長は続けた。
「雇員として、土日だけ手伝ってくれ」
雇員というのは、臨時雇いで勤務日数も少ないアルバイトのようなもの。この当時から、銀行のATMコーナーが土曜と日曜にも無人稼働させることになって、障害対応や電話対応の要員に警備会社が協力していた。その要員として、土日の2日間でもいいし、どちらか1日でもいいからやってくれないかという。

もともと会社がイヤで辞めるわけではないから、引き受けることにした。そしてその業務で遭遇する様々なエピソードを集めて、初の自著を出版することになるのだが、それはまだ少し先の話。

支社長と話し合った結果、年末の繁忙期を控えて、さすがに年内の退職は思いとどまってほしいということで、年が明けた1月10日付の退職が決まったのである。

(つづく)

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