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選択は体験の冒険には違いないが

パートナーと休みが一緒だと時々言い合いになる。

先日天気の良い日、美味しいヒレカツ定食を食べに行こうと、

毎月のパートナーの両親にお花を買いお墓参り🙏

そして仲良く?温泉♨️に行ったのに、だ💧

その夜の事、何気にある記事のコメントを見ていた。

そこには、

”私のパートナーがとてもかっこいい!”

と、

それは何か?😳と興味をそそられた。

その人のパートナーは、会社で一人だけマスクせず堂々と仕事をし、

どこかに出かけ ”消毒して下さい”  と言われても ”結構です”  とハッキリ言って跳ね除けるらしい。

“あー、それはカッコいい人だー” 😲と思った。

それで、ムッムッと、お馴染みの気持ちが湧き、

そして唐突にパートナーに、

「前から○○の考え方嫌いなんだよねー」

と突如口から出てしまった。

「どうした?」

「社会に従順でTV脳で疑問も持たず、自分はいいと思って生きてるのかもしれないけど、その考え嫌いなんだよ」

と言い放つ。

事の起こりは、パートナーが会社の強制でもないのに、責任者であるからという理由なのか?

3回目ワクを私が知らない間に打っていた事に、反発心があった。

人が選択する事を口出ししない、と肝に銘じてはいたがやはり干渉したくなる。

先日、電話の会話を聞いて知った私は、気持ちを抑え何も言わなかったが、

この記事を読んで思い出し気持ちが爆発💥した。

もう2ヶ月以上両目が赤いパートナーは、

「花粉症も重なったから赤いんだよ」

とこじつけて言う。

「いや正月からだったでしょ!
ワクは強制じゃない、何故自分の身体考えないの?、肝臓疾患あるし3回目は絶対無理だってあれだけ言ったのに」

マイナスに考える私は、パートナーが時に記憶力も悪化したような、喋りもおぼつかない感じに思えてくる。

心配を通り越し怒りすら増すのだった。

一応せっせと私なりの解毒法や食事法、足マッサージなどしてあげる。

「足マッサージは?」

とあちらから要求されるとイラッとする。

「自分を大事にしないとこっちが迷惑なのよ」

と嫌味を飛ばす。

生まれも育ちも違う、思考回路が違う人間同士が共に生きるのは時に苦痛に感じる事さえある💧

発想が違うもの同士、良いところもあるけれど。

「考え方が違うんだから、こっちの事はかまわないでくれ」

しかし、こっちの言い分もあり、

「構うな!と言われてもね、体調悪くなったらこっちにも降り掛かるのよ、あの時入院したのだって、私の言うこと聞かないからでしょ」

そう2年前、パートナーは腸閉塞で入院した。

売り買い言葉に買い言葉、散々言い合った後、

「もう、これでお終い、この話は終わり!!」

と言い、あとは何もなかったように、しれっと、お互い自分のやる事に勤しむのであった😆

先の未来など、こうしたからこうなると断定は勿論できない。

未来は経験しないと分からない。

だから、それぞれが何かを考える感じ、行動し、何かを得て、次に活かしていく。

私からすると、この人は自ら実験台の為に志願したのだ、と思うようにした。

その人にとっては体験と冒険なのだ。

どちらにせよ、地球を去るまでこのスリリングな世の中の変動を誰もが体験していく。

何も目の前の恐れや不安に煽られ打たなくてもいいのに、と私は思うが、

私も何かに恐れている。

だから、干渉し言いたくなってしまうのだ。

でも、きっと人は形は違えど冒険したいのだ。

この混沌とした世の中、時代を選んだのは自分自身。

だから刺激してくる相手も自分で引き寄せたのだろう。

もう散々、と思ってる割には、いつも何かをほじくり返し、これはどうすれば良いのだろう?

と問題の解決を糸口を見つけ出すのに、ワクワクする自分がいたりする。

未来はこれからどうなっていくのか、想像がつかない、

皆んな何に向かって生きてるのかさえ、それぞれで、向かう道は分離するかもしれない。

この人とも死んだ後は、会えるかどうか分からない。

違う方向かもしれないし、生き方の形は違ってても、魂の方向性は一緒かもしれない。

人生の冒険を楽しんでるもう一人の自分がいるのは確かだ。