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世界一のワイン(ロスチャイルド外伝)

世界一のワイン

ワインの国フランスでボルドー産の赤は一目置かれるが、その赤の中でも最も美味とされる第一級(Premier Cru プルミエ・クリュ)の格付けのものは、昔からラフィット、マルゴー、ラトゥール、オー・ブリオンの4つのブランドだけだった。

このうちラフィットがロスチャイルド家のものである。

この誇り高きブランドに、1855年以来初めて行われた1937年の格付け改定で、ムートンが加えられたときには世界中のグルメが驚きの声を上げた。

ムートンもまたロスチャイルド家のワインである。

つまりロスチャイルド家は世界一のワインと称される5つの第一級のうち、実に2つを独占することになったのだ。

パリ・ロスチャイルド家がボルドー地方のジロンド川左岸メドックのボイヤックにあるラフィットのブドウ園を買ったのは1868年のことである。

2代目ジェームズが死去する直前だった。

135ヘクタール(うちブドウ園は74ヘクタール、現在は92ヘクタール)が売りに出され高額なため買い手がつかないでいるところを、二度目の競売で414万フランで購入したと伝えられている。

銀行家がワイン造りを始めることについては家族の間にも異論があったが、ラフィットはすでにパリ万国博覧会が開かれた1855年の格付けで第一級ワインの名声を確立したブランドである。

購入価格は高いけれども、いいワインが採れる当たり年の売上げの8倍程度に過ぎない。

ロスチャイルド家としては十分採算の取れる投資だと計算したのだ。

それになによりも隣接するムートンのブドウ園が、15年前の1853年にロンドン分家が購入してロスチャイルド家のものになっていた。

ロンドン分家がフランス・ボルドーのブドウ園を買ったのは不思議なことではなかった。

当時のイギリス国民はボルドー・ワインを樽詰めで輸入して大いにワインを飲んでいたから、むしろロンドンの方がワイン造りが商売になることを知っていたのである。

ワイン造りは、気候や収穫のタイミング、ブレンドの割合、熟成などによって年ごとに微妙に味が異なり、当たり外れのリスクもあってそれだけで虜になる面白さがあるのだ。

なにしろ1985年のクリスティーズでの競売で200年ものの古いラフィット(1787年)が1本10万5000ポンド(約1360万円)もの値をつける世界である。

しかし、ロスチャイルド家が、ワイン造りにのめり込んだのは、指折りの品質に名門ロスチャイルドというブランドの魅力が加味されて、ほかのワインを上回る高値で売れて収益を上げたからであった。

ラフィットには優雅にして繊細な芳香があり、その完璧な調和を味わうことができるとされ、ワイン好きにはたまらない魅力のようだ。

ワインなど分からないというような人でも、コルク栓を抜いた瞬間に漂う高雅とでもいうべきブーケ(芳香)にはなるほどとうなずかせる力があり、味わいも重厚で奥の深さが感じられる。

ラフィットやムートンのこうした味わいの秘密はなによりその土壌にあると言われている。

ジロンド川の左岸、メドック地方のロスチャイルド家のブドウ園のある高台は、ところによっては厚さ3〜4メートルもの砂利層、その下が通水性のある石灰質の混じった粘土層、大理石の地盤という構造である。

このためブドウの木は水を求めて根を長く深く伸ばす。

それが乾燥にも大雨にも強い丈夫なブドウの木を育て、適度なミネラル分を含んだワインに最適なブドウの実をつけて、1000もあるボルドー地方の他のシャトーやカーヴを寄せ付けないのだ。

パリ・ロスチャイルド家が第一級のラフィットを買ったとき、隣のムートンを持つロンドン分家は、1855年の格付けで二級とされていたためにいささか自尊心を傷つけられた。

いや、何事も超一流でなければ気がすまない一族にとってはいささかどころではなかったようで、このライバル意識のために、創業者マイヤー・アムシェルの教えでは何事につけて結束しなければならないロンドンとパリのロスチャイルド一族が、ワインを巡ってなりふり構わず激突したのだった。

フィリップ男爵の新機軸

いまも語り草になっているロンドンとパリのワイン戦争の話は第一次世界大戦後まで遡らなくてはならない。

発端はロンドン分家のフィリップ男爵(1902〜88)が1922年、父からブドウ園の経営を任せられ、ボルドーに居を移して良質のワイン造りに本格的に取り組み始めたことにある。

男爵はまずそれまでの樽売りをやめてビン売りに切り替えて、中間の仲買人のコストを減らすとともに、ムートン・ド・バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドのブランドで売り込みに本腰を入れた。

地元でのビン詰めにはそれなりの費用がかかったが、次第に売上げを伸ばして隣のパリ分家をあわてさせるようになった。

次いでフィリップ男爵はムートンの格上げ工作に乗り出した。

ラフィットと変わらない土壌と遜色のない品質から第一級ワインであることを確信し、ムートンを第二級とした1855年の格付けはいわれのない侮辱であると考える男爵は、自らプルミエ・クリュ(第一級ワイン)協会を設けた。

これはムートンのフィリップ男爵とラフィット、マルゴー、ラトゥール、オー・ブリオンの経営者の五人による集まりで、この協会を通じて格付けを変えようとしたのだが、壁は厚かった。

フランスがヒトラーのドイツに占領された第二次世界大戦中は、ラフィットとムートンのブドウ園はヴィシー政権に差し押さえられた。

ドイツのゲーリング元帥が有名なワインを個人的所有にしたがっていたため、ヴィシー政権がフランスの宝であるワインを守るために接収したとも言われている。

しかし、ドイツに追随するヴィシー政権がユダヤ政策でもドイツにならってユダヤ人であるロスチャイルド家を標的にしたというのが真相であろう。

ブドウ園とその施設は一時的にドイツ軍の駐屯地にもなった。

戦争が終わるとフィリップ男爵はすぐボルドーに戻って荒れ果てたブドウ園の復旧に努めたが、そこに妻エリザベスの姿は無かった。

エリザベスはユダヤ人ではなかったがロスチャイルドという名前ゆえに強制収容所に連行されて殺されたのである。

救いだったのは一人娘のフィリピーヌが無事だったことだ。

悲しみを乗り越えて、男爵は古色蒼然としたワインのラベルを世界的な芸術家の絵に切り替えるという新機軸を打ち出した。

ピカソ、ダリ、ミロ、シャガール、ヘンリー・ムーアらが描く、カラフルで毎年変わるラベルをつけたムートンは、ワイン界の常識を覆した。

ボトルを並べるだけで名画のコレクションになるという趣向が大きな反響を呼んだ。

芸術家の絵のラベルは今もムートンのボトルを飾り続けている。

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ワイン造りを軌道に乗せたフィリップ男爵は地元の関係者ばかりでなくパリの農業者にまで働きかけて再び格上げをねらった。

これに対して今度はパリ分家のエリ男爵が1952年、ムートンを排除した四者で第一級協会を開いて対抗措置にでた。

第一級のワインが増えればその価値が下がるのは市場の原理だとして既得権の防衛に動いたのだが、これをきっかけに、一世紀以上にわたってくすぶっていたパリ分家とロンドン分家の対立が表面化した。

パリ分家の狭い了見に対して怒ったフィリップ男爵は、ワイン関係者を広範に組織して古めかしい格付けを改定しようと呼びかけ、ロスチャイルド家の対立はフランスのワイン界を二分する騒ぎに発展したのである。

ぶどう酒の国フランスのこと、いたるところで熾烈な論議が行われた。

けれども個人の好みもからむ微妙な味わい、嗜好の問題である。

一世紀以上もたつ古い格付けの変更はなかなか実現しなかった。

ブドウ園を隣り合わせに持つパリとロンドン両家の冷たい関係は20年も続いた。

そして1973年、ついに格付けの再検討(ボルドー・メドック地方)が行われ、ムートンは第一級に格上げされた。

他の多くのワインについても検討されたはずなのに、変更されたのはムートンただ一つだけだった。

ロスチャイルド家の政治力が大いに発揮されたことは確かと見られているが、ともあれ半世紀にわたって土壌の改良と品質の向上に努めてきたフィリップ男爵の努力は報われ、ロスチャイルド家はついに二つのプルミエ・クリュを手中にしたのである。

それでもラフィットは「プルミエ・デ・プルミエ」(第一級中の第一級)とラベルにそのプライドを誇示して、なおもムートンを刺激している。

ワインをめぐる両家のライバル関係は依然として続き、超高級ワインが抜かれる食卓に話題を提供しそうだが、興味深いのはロスチャイル家がちゃっかりこの争いの合間にも商売にしていることである。

その一人はパリ分家の一匹狼エドモン(1926〜)で、メドック地方で2番目に広い1190ヘクタールものブドウ園(ブルジョワ級)を買い求め、ワインのカタログ販売を行って上々の利益を上げている。

フィリップ男爵は格付けをめぐる戦いの合間にムートンにワイン美術館を建てて観光の目玉に仕立てた。

また周辺のブドウ園を買い広げてバロン・フィリップのワインと銘打って売り出し、アメリカのカリフォルニアにも進出してムートンのノウハウを投入、1988年に亡くなるまで高級ワイン造りに情熱を傾けた。

その情熱はフィリピーヌ(1935〜)に引き継がれている。

パリ分家もまたボルドー地方にブドウ園を買い増して事業を拡大する一方、ポルトガル、さらにはチリでもワイン・ビジネスに乗り出している。

一族の企業家精神は止まるところを知らず、ロスチャイルド家はいまや金融王国からワイン王国を目指しているようである。(笑)

おしまい

【参考文献】『ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』横山三四郎(講談社現代新書)

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