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忘れてはいけないこと

着られる衣があり、
喉が渇けば飲める水があり、
腹が空けば食べられるものがあり、
雨風しのげる家がある。
そして、働ける場所がある。
これだけそろって、何の不服があろうか。
そして、それに加えて、そばに居てくれる家族、友人、伴侶動物の存在がある者は、本当に幸福者であろう。

これを満たしているにもかかわらず、幸せを感じられない者は、意外と多い。
それは、そこに“感謝”がないからである。
学び求める求道心が途絶えると、“希望”という光を自身の胸中に失ってしまう。
今の現状が、“あたりまえ”になってしまっていると、幸せも感謝も消えてしまう。
“あたりまえ”、という慢心から、一歩でも抜け出すと、世界が違ってみえる。

衣は、何で出来ていて、誰が作り、誰から買うことができるだろう。
水道水は、どこから来て、誰が管理をしているだろう。
食べ物は、どのような環境で育ち、誰がどのように育て、どのようなところで販売されているだろう。
今住んでいる家、アパートは、どのような場所に建ち、誰が建てたものだろう。
今働いている場所は、どこにあるだろう。
歩いて通勤出来る人は、歩道を使う。
自転車の人もバイクの人も、車、バス、電車などの乗り物で行く人もいる。
挙げたらきりがないが、まわりの物全てが、たくさんの支えの中で出来ている。

お金さえ払えば、何をしてもいい。
お金さえ払えば、何でも手に入る。
勘違いをしてはいけない。
お金だけあっても、事は成り立たない。
あなたの周りに、あなたが求める物を生み出してくれる存在があるから叶うのである。
“あたりまえ”ではないのだ。

そばに居てくれる存在も、いつ居なくなるかわからない。
昨日までの変わらない笑顔、優しい言葉やたくさんの喧嘩、 毎日の食事や洗濯、掃除をしてくれる家族。
楽しいこと、辛いことを分かち合い、時には夜中まで語り合う、友人。
ふわふわの毛並みに、つぶらな瞳で甘える伴侶動物、その無邪気な姿はあなたの疲れを吹き飛ばしてくれるに違いない。
しかし、それも、“あたりまえ”ではないのだ。
近くに在りすぎて、それが普通になってしまい、大切にすることを人は忘れてしまう。

お気づきだろうか。
もっとあたりまえになり過ぎてしまっているものが、私たちに存在する。
生きるには欠かせないもの。
それは、空気である。
きれいな息の出来る空気。
これを私たち人間は、自然界から無償で、生まれて死ぬまで、いただいている。
これを“あたりまえ”だと思うだろうか。
これも勘違いしてはいけない。

私たち人間は、自然の恩恵を充分過ぎるほどいただいている。
そしてあろうことか、その自然を破壊しているのだ。
生きていくのに、自然との共生は決して切り離せない。
空気も、水も、大地も、大自然のこの大切な基盤があるからこそ、私たち人間は生きて様々なことが可能になるのだ。
このことわりを忘れ、“あたりまえ”になり、傲慢の一途を辿り続ければ、未来は黎明の光ではなく、終焉の闇に閉ざされ、全てを失う世界になる。

幸せになるためには、まず感謝の心から始まる。
その中で、絶望の闇が希望の黎明に変わり、光輝く。
時間はかかる、しかし、あきらめてはいけない。必ずその歩みは、確実にあなたを最善の峰へいざなってくれる。

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