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世界一周その1-2 - 日本からはるか離れた世界都市ブエノスアイレスに行く 世界最大の絶景の滝イグアスに日帰りで突撃する編

日本からはるか離れたアルゼンチン・ブエノスアイレスへの旅ということで長くなってしまいましたが、ブエノスアイレスの街並みを散策し、いよいよ世界遺産イグアスの滝に臨むところからになります。

最初から読まれたい方は下記の記事からどうぞ。

追伸:アルゼンチンの旅についてはpodcastで配信してみました。


1.なりゆきでイグアスの滝に行く計画をたてることに

アルゼンチンに来て、ただブエノスアイレスに滞在しても次回いつ来られるのわかりません。もちろん世界都市を見に来たのでそれでもよかったのですが、せっかくなので、とにかくまわりに薦められるがままに、滞在中にイグアスの滝に出かけることになりました。

イグアスの滝は、アルゼンチンの北のはてにあり、ブラジル側からいくことも多いのですが、近くに空港があることを知ります。さらに実は日帰りで行けるのではないかということで、ブエノスアイレスの人に聞いてみると「クレイジー」とみんな言うばかりです。ただいろいろ下調べをして日帰りで決行することにしました。

今回の移動に使った便は下記のとおりです。

結論からいうと全然いけます。

ただしイグアスはアルゼンチン側、ブラジル側双方から見てみたいという人はとても時間が足りないぐらい見るポイントが多数あります。日帰りは無理だと思いますので一泊ください。(プエルト・イグアスという街があります)今回は日帰りなのでアルゼンチン側からのみ5時間ひたすら見て帰りました。

2.早朝の便でいざ現地へ、お昼前には滝へ

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午前のアルゼンチン航空にのって2時間ほどかけてイグアスの滝空港に行きます。途中まで永遠と牧草地帯です。

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空港周辺は熱帯雨林のど真ん中で10kmぐらいでイグアスの滝の公園にはたどり着けます。バスはありません。(街向けのはある。ちなみに写真左上に空港が見えます。)

タクシー乗り場が明確な感じで設置されいないのですが、空港の公式プラカードを掲げた人が、「街に行くのか」「パークにいくのか」と聞いてきて、白タクでマンマとぼったくれるのではないかと思いましたが、他に選択肢もないので使うことにしました。往復で1400ペソ(約2800円)なのでかなり高いですが、帰りのタクシーの時間を確認して迎えに来てくれる親切ぶりでした。(白タクというかそれが公式のタクシーとして役割を果たしているようでした。タクシーの民度はこのタクシーの運転手が一番高かった)

3.国立公園に入り滝までひたすら歩くとすごい水量の滝が

滝の雰囲気はまあこんなものかという感じですが、とにかく水量がすごいのです。滝の上からみただけなのでそういう感想ですが、動画で記録してきました。

滝がいくつもあります。下は見えません。水しぶきが舞い上がってきてしまうからです。逆に虹はかなりはっきり見えます。滝の美しさを楽しむ・霊的に崇める日本とは異なり、全てを覆い尽くす大自然の雄大さと自分との関係性をただただ感じる場なのだと思いました。にしても、たくさん滝がありたくさん歩く場所があります。

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国立公園の中はかなり整備がされています。ジャングルの動植物も多数います。

にしても最高気温が36度にもなったので(その日のブエノスアイレスは22度)むちゃくちゃ暑かった。帽子は必須です。飛行機の遅延も特になく、日帰りで帰ってこれましたが、ただただ疲れました。そういう意味で「クレイジー」なのでしょうね。

国立公園は16:30に閉館になるのですが、そのままタクシーで空港まで移動し、20時すぎにはブエノスアイレス市内に戻ってきました。ブエノスアイレスは夜のレストランタイムがとても遅いのでそれから全然普通にディナーで大丈夫でした。

4.南米やアルゼンチンについて知る

今回アルゼンチンに行く過程でいろいろなことを調べました。

一番衝撃的だったのは、かつて世界史の勉強を経て持っていた自分自身の世界観が全否定されたところでした。

南米は一律にスペインやポルトガルの植民地で本国から常に搾取される存在。やがて産業革命を経て帝国主義時代に、フランス革命の過程でナポレオンが登場しヨーロッパが混乱する中、運よく独立できますが、東南アジアと同じくプランテーションの仕組みを作ることを強制され、いつしか南北貿易の仕組みに巻き込まれ、一律貧しく今日に至る、という世界観が、これまで自分が持っていたものだったのですが、これが完全に覆されたことでした。

アルゼンチンはロシア南部の肥沃な大地を持つウクライナとよく似た構造で気候も良く、牧畜をはじめとする第一次産業がさかん。人手が足りないのでヨーロッパから1800年代に多数の移民を受け入れ国が大きく発展したようです。(隣国ウルグアイは今日でも例えばシリア難民を受け入れています)また1945年の第二次世界大戦のときは、アルゼンチンはどちらにもつかず交易を行なっていたため外貨準備高が世界一になった、という事実もあったのです。

そういえば以前に第二次世界大戦を扱った映画で、ドイツ敗戦前夜、ドイツの核兵器やロケットミサイルなどの秘密兵器をUボードを使って日本に送るために遠くアルゼンチンを目指したけど撃沈されたみたいな話を思い出しました。

また有名な長編アニメ『母を訪ねて3000里』の舞台はイタリアジェノバから遠くアルゼンチン共和国を目指すという話です。当時の南米にはたくさんの仕事があり、出稼ぎの場だったのです。時間があったのでamazon.comで映画版の動画をレンタルしてみました。特に時代背景やアルゼンチンやブエノスアイレスのことを身近に考えるられるようになった大人になってから見るとかなりよいです。主人公マルコよりも、マルコの周りにいる大人の言動・描写がとても考えさせられます。主人公が最後3000里の先に出会った重病の母親を救う手術代をもらおうとしない医者に「大きくなったらアルゼンチンの地に戻って医者としてこの地のたくさんの人達を救う」と言ったセリフには思わず涙が。(最近こんな感動するアニメってありますかね、、、、)

実際ブエノスアイレスは、1800年〜1900年代前半にかけて整備されたきれいな街並みが広がり、競馬やポロなどのスポーツも市民権がある。どう考えてもオーストラリアより先進国な気がするのですが私たち日本にそうはうつりません。これはどういうことなのか。

おそらく違うのは言語圏の差かと思われます。大雑把に書くと、1800年代に産業革命に取り残され戦争で荒廃するヨーロッパやイタリアをはじめとする南ヨーロッパの人たちは南米を目指し、アイルランドでじゃがいも飢饉で英語に近い人たちは新大陸を目指し遠くオーストラリアやアメリカを目指した。

当時はブエノスアイレスとニューヨークが比較対象になったぐらいだったそうです。1800年から今日に至るでは、早期に産業革命を果たしたイギリス、そしてアメリカ合衆国が世界の覇権を握ります。この英語圏を選んたのか否かの差しか考えられません。

日本の場合、明治維新以降、それまでの中国・蘭学に変わって、英語・ドイツ語・フランス語を導入し、第二次世界大戦を経てアメリカに追従していくフットワークの軽さが今日の繁栄をもたらした一方で、アルゼンチンはアメリカとは国の成り立ちから含めて依存関係は作らなかった。イギリスの資本は多数入ってきましたが、イギリスの植民地になることなく対等に渡り歩こうとした。

大前研一氏の本には、アルゼンチンが全盛期を迎えその後、対等に渡り歩くあまり、多くの優秀な人達が北米にいってしまった、とBAの現地の談話が紹介されます。移民で大きくなった国はまた移民していくのでしょうか。戦後、化学肥料の発展で世界各地で農業の生産性が大きく向上し、アルゼンチンの優位性はゆらぎます。国土が肥沃なために産業の高度化にかじを切りきれなかったのでしょうか。

かつての先進国が、海外からの投資をうけるための内需が育ちきらないのか、そのために海外向けに債券を発行したりして、次第にアメリカの金融業界に都合よく利用されて、対外債務がたまりデフォルトする、もしくはアメリカと対決し、通貨危機におちいる、そんな流れですかね。

6.最終日にブエノスアイレスの休日を楽しむ

日曜の夕方の飛行機で次の目的地スペインに飛ぶ予定でしたが、せっかくなので通貨危機のアルゼンチンの人たちの休日はどんな感じなのだろうと最終日市内を楽しむもう一度いろいろ散策してみました。

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競馬やってました。確かにアルゼンチン共和国杯ってJRAでありますよね。1800年代イギリスとの経済交流が盛んな時期に競馬やポロが持ち込まれたようです。(スペインの文化の影響じゃないんだ、とそこは意外)

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南半球はちょうど春ということで、ポロの大会も開かれていました。アルゼンチンはポロの競技人口はなんと世界一だそうです。

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スペイン語の書籍がたくさんならぶ「世界で二番目に美しい書店」らしい。スペイン語の書籍しかない本屋さんははじめて行きました。訪問する国の都市の民度はだいたい書店に行けばわかるということで昔から書店ウォッチャーですが、なかなかポイント高かったです。劇場をリノベーションして本屋さんになっています。(古くからのヨーロッパ系の都市は劇場が本当に多い)

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ここだけ雰囲気が違うアルゼンチンタンゴの発祥地である下町の観光地。ブラジルみたいですね。

ライオンと触れ合える世界一危険な動物園は時間切れでいけませんでした。またブエノスアイレスに行く機会があれば行きたいところです。

7.まとめ

今回、オーストラリアを経て最初の目的地のブエノスアイレスに行く過程、行った先で過ごしたことを通じて、「あれ、なんでここではこうなっているのだろう」とか「歴史について考えてみよう」となってネットで調べたりしました。そこに様々な気付きがあり、世界中のすべての場所・すべての人には様々な必然があっての今日の存在があります。それはおそらく自身もそうです。

こうした旅行を通じた気づきは、今後の未来に大きく影響するものも出てくるのではないかと思いました。仕事での海外出張では仕事のことで頭がいっぱいになるので、なかなかここまで考えることは出来ません。学生の頃からあまり旅行をしてこなかったのですが、このようにして写真に残したり、文字にして抽象化する過程で自分の中で物事を整理するとても良い経験になっています。

また滞在でお世話になったおばあちゃんに、「またアルゼンチンに来たい、今度は夫婦で新婚旅行で果たせなかった南極旅行に行くと気に寄るよ」というと「やめとけ」と。船酔いはひどいし飛行機はとんでもなく入れるし寒すぎるからだめだと。逆に下記の場所をおすすめされました。かなり品のよいおばあちゃんなのではずれはないのでしょう。

まあカナダの大自然もいいけど、南米もいいよ、ということなのでしょう。

これで南半球の旅は早くも幕を閉じるのですが、南半球の国は2カ国だけでした。

2カ国を通じた感覚しかありませんが、それぞれの国は文化的にも経済的にも成熟しているのに、ゼロサム化することなく、金利は高いし、対外投資は受け続けるし、街は発展しているし、人々は前向きに消費している。インフレ率が40%になっても、余暇は取るし、競馬場で競馬やポロで楽しむ。もちろんサッカーも。休日の公園は人でいっぱい。陽気なラテン系の人たちが羨ましい。

日本は、戦争や様々な天災を通じて定期的に社会体制がリセットされてしまうことに振り回された私たちはいしつか「被害者妄想」「備えあれば憂いなし」ということで、あまりにも身構えすぎるようになってしまっていないでしょうか?

南半球は太陽の動きから季節もすべてが反対です。すべてが斬新に見えてしまう一週間の旅でした。

8.次の旅は?

とはいえまだ今回の世界一周旅行はまだまだ序盤です。次の旅程は、ブエノスアイレスを離れ、遠くイベリア・カタロニア地方の世界都市バルセロナに赴きます。

ブエノスアイレスと同じスペイン語圏ですが、南米とそのルーツであるイベリア半島とでどう違うのか結構楽しみです。大西洋を横断し南半球から北半球へと移動する再び長時間のフライトです。イベリア航空は大西洋を縦断する航路を最初に開設した航空会社らしく、南米とイベリア半島との結びつきは昔から強かったようです。

追伸:次の旅の記事について追加しました。




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