私が真珠の耳飾りの少女に夢中にならなかった理由。
先日私はMauritsuhuis美術館( https://www.mauritshuis.nl/jp/ )へ行ってきた。
オランダのデン・ハーグという街にある「真珠の耳飾りの少女 / ヨハネス・フェルメール」で有名な美術館。
しかしなぜだろう、私は思ったよりも感動しなかった。
もちろんこの絵を見たくてこの街へ向かい、この絵のためにこの美術館を訪れた。
なのに、こんな散漫な自分には呆れてしまう。
前回記事のフランドル画家のWillem van Heachtという男。でも触れたが、もっと興味を引かれた絵画を見てしまったからである。
今回はその作品について触れたい。
まず一作に、クララ・ペーテルスの「チーズ、アーモンド、プレッツェルのある静物画」
こぶりなキャンパス(34.5cm × 49.5cm )でチーズ、アーモンド、プレッツェルを描いたクララ・ペーテルス。
西洋絵画(静物画)は、なぜこんなに食卓を描くのか。
そう疑問に思っていたこともあった私だけれど、この2年間、月に3回ほど美術館へ通い、数多くの作品を見てきてようやく気がついた。
食卓の静物画には美術の歴史、言葉、奥行き、物語、時代背景、陰陽、感情、政治など、全てが吹き込まれている。
そう、いわば、食卓の静物画こそ当時の生活なのだ。
クララ・ぺーテルスは、果物、高価な食べ物のある静物画を専門としており、このタイプの静物画は、オランダ語で「banketje」(宴会)と呼ばれる。
この時代の静物画には様々な階級の生活が描かれているが、この作品ではまさに彼女の専門としていた裕福で安定的な生活が読み取れる。
この存在感のあるチーズ、実際に見ると、他の食材よりも表面が乾燥していて、今にも芳醇なチーズの香り届いてきそうだった。
また、アーモンドの光沢、ナイフの硬質的な冷たさの温度感が実物を眺めているようで惹きつけられた。
よく見るとナイフに彫られた作家のクララ自身の名前。これらの細かさがまさに実物感を一層引き立てている。
そしてチーズの横にはボトルが立っているが、その銀キャップにそっと映り込むクララ。
どうですか?
愛らしくてたまらないのは私だけではないはず。
そしてもう一作がこちら、パウルス・ポッテルの「若い牡牛」
この作品はクララの作品と比較にならないほど巨大なキャンパスに描かれている。( 235.5 cm × 339 cm )
複数の部屋、階層に分かれてるものの美術館にしては見て回りやすいサイズ感の邸宅美術館 Mauritsuhuis。(Huis=家)
隣の部屋へ行けばまた、作品と部屋の装飾で全く違う雰囲気を各部屋が持っているのもこの美術館の魅力ではあるが‥
その部屋に入ってこの巨大なキャンパスに描かれている牛を見たとき、もはや、それが「現れたとき」とでも言いえるだろう。
初めてヨーロッパの農場を歩いた時に放牧している牛たちを間近で見たあのときと同じ感覚。
はっとして、一瞬ときが止まる感じ。
日本、ましてや東京に住み慣れていた者にとって、こんな光景に親近感なんて持つわけもなく、私は突然現れる牛たちにたじろいでいたところ、牛たちはこんな目で私を見つめ返してきたのを思い出したのです。
それほどまでに臨場感を与える作品。
アンティークで照明の落ち着いた室内で草や土の匂いまで感じられそうなほどの立体感。
牛の目の周りに描かれてる小バエたちは、なんとも煩わしくてまさに生物の存在をそこに感じるのです。
そんな突然現れた巨大なキャンパスは、とっても穏やかで、優しい作品で、
まるで牛の象徴をここまで含めて表しているようだった。
そして最後にこの作品。
テュルプ博士の解剖学講義 / レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインの作品。
描かれているのは、ニコラス・テュルプ博士が腕の筋肉組織を医学の専門家たちに説明している場面。
ご遺体はその日の午前、持凶器強盗の罪で絞首刑になった。
矢作り職人Aris Kindtのもので、その状況を取り囲む見学者の一部は、この絵にともに描いてほしくて代金を支払った医者たちだそう。
この講義が行われたのは1632年1月16日にまで遡る。
テュルプ博士が市制解剖官を務めていたアムステルダム外科医師会では、年に1体、処刑された犯罪者の遺体を使った公開解剖が認められていたそう。
17世紀の解剖学講義は社交イベントでもあった。
そのため、解剖劇場(anatomical theatre)と呼ばれる公開専用の講義室が設けられ、学生や同僚の博士、一般市民がこぞって入場料を支払って見学したという。また、見学者は、厳粛なる ”社交イベント” にふさわしい服装を着用することが求められた。
この絵に描かれている見学者たちの高揚したかに見える表情が研究への情熱であると信じたい。
なぜそもそもこの絵にこんなにも興味を持ったのかというと、解剖学の歴史についての記事を過去に読み、イタリアのボローニャにあるアルキジンナシオの解剖劇場の存在を知った。
去年の夏、20日間のロードトリップでイタリアのBiennale di Veneziaを含むアート三昧な旅をし、アルキジンナシオの解剖劇場へも訪れたばかりだったからだ。
イタリアは今まで旅した中で現在、最もお気に入りの場所なのでまた別記事でイタリアン芸術について語りたい。
この場所が世界で初めて人体実験を行った場所だという。
実際にそこへ腰を掛けてみた。
大理石テーブル(解剖台)との距離感、椅子の手すりのすり減り方。当時の見学者たちを感じ、外は夏の猛暑なのに震えたのを覚えている。
この白い大理石を囲んで皆、真面目に、乗り出すように学び、今の医療技術があると思うと偉大だ。
実際の現場は見たとはいえ、どのように解剖を見学していたのかは想像力に任せられる、そんな状況だった私に、真正面きってこの絵が飛び込んで来きたのだ。
この絵を描いたレンブラント、当時若干の26歳。
医学会の専門家たちは彼の描いた筋肉や腱の正確さに脱帽したという。
レンブラントはこの知識をどこで得たのだろうか、解剖学の教科書から詳細を写し取ったのか、それとも現場を注視して正確にその場で模写したのだろうか。
目の前で解剖が行われているとき、あなたはそれを注視し描けるだろうか。
そう思うと私はこの絵の前で足を長く止めざる得なかった。
これらを見たあとに私はフェルメールの真珠の耳飾りの少女を見た。
見覚えのある彼女は、私の心情を察したように優しく振り向いていた。
凛として、美しかった。
この美術館の構造、観覧順のせいか、
私の立ち止まりすぎる性格のせいなのか。
これが私が真珠の耳飾りの少女に夢中にならなかった理由。
彼女は絵では無く、そこで人々を待っている少女だった。
そしてまた、それがフェルメールの意図していたことなのもしれない
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