見出し画像

ビッグパレットふくしま

震災以降、何が一番嫌だったかといえば、それは自由を奪われた事だった。好きな時に、好きな場所で、好きな事ができない。自由奔放に生きて来た自分には何よりそれだった。でもそれよりも自分が誰の何の役にも立てないもどかしさや無力感の方が、何よりも辛かったかもしれない。

2011年の3月のある日、当時の会社のスタッフが避難してるときいて、ビッグパレットふくしまに会いに行った。そこは最大で2500人をこえたという東北最大の避難所で、イベント会場は勿論、通路から踊り場まで、ダンボールと毛布だけで寝転がってる富岡町の人たちを目の当たりにする。そこで当時のスタッフ、知り合い、同級生などに会うたびに、無力感がどんどん自分をしめつけていって何度も込み上げてくるものをグッと飲み込んだ。一緒に並んでもらった昼食のパン一個とジュース一本にはとても手をつけられずじまい。ただ有名な避難所だったので、のちには支援物資は溢れるほど集まっていたし、色んなイベントなんかが催され、芸能人の慰問があったりで、逆に他の小さな避難所との格差が大きかったりした。ただ盟友の渡辺俊美君も、最初はまったく歌う気になれなかったといっていたな。それほど過酷な状況の頃があった。
後にビッグパレットの北側に郡山南一丁目応急仮設住宅ができて、そこにボランティアで訪れる度に、ビッグパレットの様子を思い出したり。いや、いまでも近くに行くと当時のことが頭をよぎる程、強烈な思い出だった。
その後、いわき、福島、郡山、白河、三春、会津、新潟など、スタッフや友人、支援者などに会うために飛び回り、それぞれの環境や境遇の違いに驚き、国や自治体の支援の無策さに憤り、そんな中でもなんとなく情報を収集、整理しながら、今自分に何ができるかを考え、それは後に富岡町の情報発信サイト「富岡インサイド」へとカタチになっていった。そして後に他の被災地と言われる地域にも訪れるようになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?