私は死んでいる。”死んだ”というほうがタイムリーかもしれない。 「死人が文章を書けるわけない」 ごもっともである。 私は死んでいるかもしれないし、生きているかも…
こいつはリバタリアン
2018年10月12日 21:01
私は死んでいる。”死んだ”というほうがタイムリーかもしれない。「死人が文章を書けるわけない」ごもっともである。私は死んでいるかもしれないし、生きているかもしれない。そう。シュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの男だ。ともあれ、これを読んでいる貴方が”観測”するまで、”死んだ私”と”生きている私”が存在することになる。当然だが、世界のメモリには限界がある。(宇宙は広