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人材版伊藤レポート2.0を関連データと掛け合わせて読み解く今後の人材戦略

人材版伊藤レポートとは?

人材版伊藤レポート第1弾は、経済産業省が2020年9月に公表されました。これは持続的な企業価値の向上に向けて、経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するかという点について、「人的資本経営の実現に向けた検討会」を設置し、議論を重ね出されたものです。
その後2022年5月に昨今の社会情勢や新しい資本主義を踏まえてバージョンアップし人的資本の重要性を再確認するために企業の実例も踏まえ、より実践を意識した踏み込んだ内容に改定(人材版伊藤レポート2.0)して公表されました。
また、2023年から上場企業に課せられる人的資本可視化に関して、2022年8月に指針(人的資本可視化指針)が発表されています。
特に上場企業は、来年に向けて人材版伊藤レポートや価値協創ガイダンスを参照しながら人的資本を高める企業活動が必要になります。

今回、人材版伊藤レポート2.0の発行主旨を踏まえると、付属資料とともに複合的に読み解く必要性を感じ、弊社アナリストの独自解釈をまとめてみました。

人材版伊藤レポート2.0が示すもの

まずはこのレポートの人的資本に関する用語の出現回数を調査しました。

人材版伊藤レポートから抽出

1位はダントツで「CHRO」。なんと124回も出てくるのです。このレポートの核となる部分が「CHRO」にあると言えるでしょう。
経営層にCHROという人材の責任者を置くことで経営にコミットする人事が必要になると読み解けます。
2位は「CEO」。人的資本を重視するためには会社のトップが重要になり、「CEO」と「CHRO」が両輪で進めていくことが必要と感じました。
3位は「人材戦略」。ある意味この言葉が最も重要かもしれません。
これまでは「人事戦略」という言葉が一般的でした。ここ数年タレントマネジメントという言葉が出てきて「人事戦略」→「戦略人事」という言葉に変わってきています。
人事戦略と戦略人事の違いについては、様々な説明がありますが、概ね人事主導で採用・育成を行っていたものを経営者も含め経営戦略として人事を行うという意味で使われていました。
実際ネット上では、人材戦略という言葉はあまり使われていない言葉です。
あえてこのレポートで「人材」という言葉を使っているところを見ると、人事というひと固まりで捉えるのではなく、一人ひとりの能力に着目して採用・育成・配置を行う必要性を強く説いていると感じています。より個の力を重視する戦略(いわゆるタレントマネジメント)をこれまで以上に注力する必要を示していると考えられます。
4位は「経営戦略」。人材戦略と一緒に使われていますが、人材戦略を経営戦略の一部として考える必要があるというメッセージだと感じます。
5位は「リスキル」。学び直しや新たなスキル開発をすることで現状人材の戦力強化を示していると思われます。
6位は「KPI」。法定開示となる人的資本の可視化でモニタリング状況を開示する必要があるために重要になってきます。今後は何をKPIに設定しているかが、その企業の人的資本の考え方を示すことになるでしょう。
7位は「人的資本」。これは2018年の価値協創ガイダンス(2022年に価値協創ガイダンス2.0にバージョンアップ)で詳しく記載されていますが、人件費や人材開発費用を経費とみなさず企業経営上の重要な資本として考える必要があると読み取れます。
8位は「エンゲージメント」。エンゲージメントの高さと営業利益や労働生産性には相関があることが研究※で示されています。しかもこの研究によると比較的短期間で効果があることがわかりました。
※出典:「エンゲージメントと企業業績」に関する研究結果を公開(株式会社リンクアンドモチベーション) 
9位は同率で「人材ポートフォリオ」「リモートワーク」です。
リモートワークはコロナ禍に伴う働き方の変化で重要になってきました。今後優秀人材の採用や維持、エンゲージメントを高める手法として重要になってくると考えられます。
人材ポートフォリオに関しては今までのタレントマネジメントで行われたような現時点での能力値によるものだけではなく、将来性も見据え個人個人のポートフォリオを明確化しリスキルをしながら適性を伸ばすことがより重要になってくると思われます。
10位は「ダイバーシティー」。今後はグローバル化が重要になってきますし、女性活躍と合わせて企業の重点ポイントになってくると思われます。

出現回数順位の解説はここまでとしますが、個人的にはレポートを読んで一番驚いたのは、11位の「課長」でした。政府の資料でミドルマネージャーの重要性が書かれることはあまりないのですが、それだけミドルマネージャーが人材戦略上重要なポイントになっているのだと思われます。
株式会社リンクアンドモチベーションの研究レポート※でも、従業員数が増えるほどミドルマネージャーとの関係がエンゲージメントにおいて重要になっていることが示されています。
※出典「従業員数と従業員エンゲージメントの関係」に関する 研究結果
当社でもミドルマネージャーの重要性とその育成や研修を重視して行っていますが、それが大事だったと再認識しました。
また、出現頻度としてはランク外ですが、「事業担当人事社員(HRBP)」という聞き慣れない言葉が出てきています。これは従来の人事部では経営数値が生まれる現場の現場感がわかりにくいため、人事部若しくは事業部に人事を担当する社員を導入・選抜し、人材に関して現場での裁量を大きくできるようにする意味があると思います。
このレポートがそれだけ現場で活用できるようにしようという気持ちが伝わってくる内容になっています。

しかもこのレポートには付属の資料として以下の2つの資料があります。
~人材版伊藤レポート2.0~ 実践事例集
人的資本経営に関する調査 集計結果
実践事例集では大手19社の独自の取り組みが記載されているので実践の参考になるでしょう。
また人的資本経営に関する調査では、上場企業へのアンケートに基づいてこのレポートが示しているポイントがどの程度進んでいるのかを示しながら、今後具体的に進めるための指針にもなっています。

人材版伊藤レポート2.0でのポイント(3つの視点と5つの要素)

このレポートでは、経営戦略と人材戦略を3つの視点と5つの要素に分けて書かれています。

人材版伊藤レポート2.0 9P参照

事例集や人的資本に関する調査もこの点を踏まえた内容になっています。
例えば、人的資本に関する調査ではこの3つの視点と5つの要素に関する現時点での進捗度が表されており、特に動的な人材ポートフォリオの項目が低い状況になっています。

人的資本経営に関する調査集計結果 4P参照

人的資本経営に関する調査集計結果の7P「2.2.3 「動的な人材ポートフォリオ」の進捗」内「人材ポートフォリオの定義」では、検討している段階、重要性は認識しているが未検討、認識していないと答えた企業が全体の81.8%となっており8割以上の企業が実行に移せていない実態がわかります。
2.「必要な人材の要件定義」では対策を実行できていない企業は78.6%となっていて企業成長に伴う将来必要な人材の定義等ができていない可能性があります。
また、このアンケート調査では管理職、非管理職(従業員)も調査対象で、経営層と従業員の間でも進捗度についてギャップがある項目も多く、人的資本経営が社員一人一人に浸透していない状況がうかがえる数値です。
パーパスや企業理念(ミッション・ビジョン等)を設定しているかの設問では、ほとんどの企業が策定はしていますが、従業員まで浸透していく段階で課題があると考えられます。

株式会社TWINKLESTARS資料より

上の図は、経営層、マネージャー、従業員と階層が下がるにつれて、目線の軸が変わってくることを示したものです。
MBO等の評価制度を取っている会社では、年間目標が定められ、社員の行動軸は目の前のことに集中します。そのため企業のパーパスやミッションのような未来への価値基準には目が向きにくい状態になるです。
そのため、パーパスやミッションに基づいた日々の業務の価値観に繋がるバリューや行動指針を策定し、現場の課長・マネージャーが常に日頃から意識的に価値観を伝えていく必要があります。経営層と管理職、管理職と従業員には認識や思いのズレ(経営層側はここまでやっている、従業員は何もしてもらってない)が発生しやすくそのズレの解消役がミドルマネージャーになってきます。
そう考えると人材ポートフォリオの軸作りはマネージャーの要件を先に決めてから行うと作りやすくなります。

CHROについて

CHROについては、大手企業ではかなり設置が進んでいると思いますが、このレポートでは少し踏み込んだ内容が記載されています。例えば下記のような記載です。

”CHROは、人材戦略を自ら起案し、CEO・CFO等の経営陣、取締役と定期的に議論する。CHROが実効的な人材戦略を策定する上では、本社での戦略スタッフの経験とともに、事業側で成果責任を担った経験が有効となる。”

”なお、経営戦略と連動した人材戦略を策定し実行する責任は、本来CEO
が第一に担うものである。しかし、CEOは経営全体の責任を負っているため、代わってCHROが主導する、ということであり、CHRO任せにすべきではない。このような観点から、本報告書では、多くの項目で「CEO・CHRO」と併記している。”
”人材戦略を通じた経営戦略の実現や、それを支える事業経験を持ったCHROの輩出には、事業・人事の両部門間で人材交流を活発化させる等、過去の慣行とは異なる施策の実行と意識の変革が求められる。そのため、CHROは、各部門の業務運営への影響も踏まえながら、社内の理解を醸成する。”

人的資本経営の実現に向けた検討会報告書 人材版伊藤レポート2.0

元々人事部長とCHROの違いに関して、経営に責任を負うか負わないかという議論はありましたが、このレポートはさらに踏み込み事業側、つまり売上・利益が生まれる現場の知識・経験を求めています。単なる人事畑の人を格上げしてCHROにするのではなく、しっかりと経営指標に関して影響力を持てる人材を配置するか、経験を積んでもらう必要があるという事です。ある意味ジョブ型雇用では生まれないものかもしれません。逆に従来型のメンバーシップ雇用の方が必然的に経験を持っていることが多いでしょう。しかし、このレポートや人的資本経営可視化指針を見る限り、人材の流動性を公表することになれば、ジョブ型雇用が一般的になっていく可能性があります。そうすると他部門の経験が積みにくくなるので、人材育成において次のCHRO候補の選定や育成を戦略的に行っていく必要が出てくるでしょう。
今回のレポートの大きな部分をCHROに割いているところを見ると、CHROがこの施策において重要なポイントとなっていることがわかります。

社員エンゲージメントについて

このレポートでは社員のエンゲージメントについても具体的に記載があります。エンゲージメントに関しては、把握する仕組み、下がった際にあげる仕組み、上げていく仕組みの3つの仕組が必要になります。
具体例に関しては事例集を見ていただいたほうが良いと思いますが、ミドルマネージャーとCHROの連携が欠かせないと思います。
結果的に社員のエンゲージメントはミドルマネージャーが担っています

”各社員のエンゲージメントの向上につなげていくために、平時から、各部門がそれぞれのビジョンや職務内容、チームの魅力を社内に発信し、社員が公募して新たな仕事に挑戦しやすい環境を整える。”

人的資本経営の実現に向けた検討会報告書 人材版伊藤レポート2.0
68P

公募制のくだりでの記載ではありますが、各部門が平時から部門のビジョンやバリューを発信していく事が重要だと考えます。
筆者はかつて1部門のマネージャから、5部門のマネージャーに変わった際、1部門であれば日々口にできるのですが、部門が多くなると物理的に時間が取れないこともあり、それぞれの部門毎にミッション・ビジョン、バリューを作成しました。もちろん会社のミッションやビジョン、経営戦略に基づき分解し、その部門の役割をに沿って作成しているのでズレは生じません。会社の大きなビジョンより自身の仕事の延長線上にあるビジョンやミッションの方が身近に感じますし、イキイキと仕事をしてくれるようになります。
社員のエンゲージメントを上げようと、福利厚生や労働環境の整備をするのは分かり易い施策ではありますが、本当の意味で社員のエンゲージメントが上がるのは、「仕事を通じた成長」です。
人材戦略として、社員一人ひとりの成長に企業としてどのように取り組むのかという視点で考えることが近道のように思います。

最後に

このレポートは今後5年、10年くらいにわたって日本が人的資本経営に舵を切っていくための参考資料としては、沢山のヒントがあります。しかしながら「じゃあ、具体的にどうやったらいいの?」という企業も多くあるのではないでしょうか。今後、それぞれのパートに分けて、具体的な手法も含め記事を上げていきたいと思います。
筆者は人的資本経営の鍵は、「それぞれの社員の成長をどうやって推進していくのか」だと思います。このレポートでは言及されていませんが、それは成果主義からの脱却ではないかと考えています。日本に成果主義(MBOもOKRも同様)が入ってきて30年程、まさしく失われた30年、企業成長や給与が上がらなくなった時期と同様です。今後は成果主義ではなく”成長主義”の評価制度を一般化することがこの日本がグローバルの成長していく唯一の方法だと考えています。
それと、このレポートを見た率直な感想は「上場している大企業って随分遅れているな」でした。
筆者はベンチャー企業経験が長かったのですが、体系立てて行われなくても現実的に実施していることが多かったです。
例えば人材に関しては下記のように記載されています

”事業環境の変化が激しい分野では、各事業で必要となる人材の質と量を、
現場から離れた本社の人事部門が判断するのは現実的ではないため、事業
部門が人材ポートフォリオの策定や人材の確保を主導する体制とする。”

人的資本経営の実現に向けた検討会報告書 人材版伊藤レポート2.0
45P

前職のベンチャー企業では、事業環境が激しいので、各部門の責任者が部門の人事責任者として一定階層以内の採用権限を付与されていましたし、自部署の将来計画から逆算した人材要件を定義して人材確保をするようにしていました。
また、20年以上までの会社でも、すべての本社社員は営業経験者か営業研修(一定の成果が出るまで戻れない)を課していました。現場がわからないのに施策はできないというその会社のCEOの考えでした。
確かに大手企業はベンチャーのように小回りが利かないから仕方がないと考えるかもしれませんが、大きくてもユニット毎にしてみれば同じような規模にする事は可能です。
事業環境の変化が激しいVUCA時代においては、大きな企業でも小単位のユニットに分けて考えてみればできることだと思います。それは稲盛さんのアメーバ経営に通じる部分かもしれません。
逆に、この伊藤レポートにあるような施策を規模が小さいうちから実践できれば企業成長も早くなると思います。
これは上場企業のことだから、大手だけのことだからと考えず、中小企業でもベンチャーでもこのレポートを参考にして改善を重ねることで飛躍的な成長をすることができることでしょう。