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新古典主義の思想に倣って心を落ち着かせるという大学教員

皆さんこんにちは。鼓です。
来週の月曜日にライブに行くんですが、その座席が今日判明しました。
多分なんですけどこのアーティストはFC会員は比較的良席になりがちで、私も今までアリーナの肉眼距離しか入ったこと無かったんですが初めて2階席になって落ち込んだ私です。
でも、スタンドの前の方って会場見渡せるしファンの一体感が魅力のアーティストだからそれを楽しめると思えば良いかなと。

そんな今日はとある教員の話です。

新古典主義『高貴なる単純と静かなる偉大』に心を寄せる

私の通っている大学は4年生になると大学院の授業が受けられる制度があり、今期から大学院の授業を一つ履修しています。
授業内容としては18~19世紀のフランス芸術を読み解く授業です。
芸術の歴史の流れや芸術家たちの背景や考えを踏まえた上で作品をどのように鑑賞するかという授業で、とても面白いです。

先日の講義内容は絵画における新古典主義の授業だったのですが、その中で強く心を惹かれた内容がありました。
新古典主義がどういう派閥(?)なのかという説明の中で、その研究をしていたドイツの学者が提唱した一節を先生が紹介していました。

それがこの『高貴なる単純と静かなる偉大』という一節でした。新古典主義とは、一つ前の派閥であったロココ主義という流派に対抗して、もう一度厳密さ・明瞭さ・合理性を求めて完璧な美を求めようよ!という流派だったらしいです。(なので輪郭とかくっきりした絵が多いらしい・・・)まあ、こんな素人の説明なので1ミリくらいしか合ってないと思うので、この説明に反論とかはご遠慮頂きたいですが、この一節は新古典主義のどっしりとしつつも繊細な・・・?美を・・表しているんだと思います。

ともかく、この先生はこの一節を海の底に例えていて、それもすごく素敵だなと思いました。
海の底は流れが速いわけでもなく荒波が立つわけでもないので基本的に静かじゃないですか。でもどこか偉大さも感じられる部分がある海の底のような一節であると。
そして、先生は心がモヤモヤしたりざわついたりする時にはこの一節を思い出し海の底にいる気分になって落ち着きを取り戻すらしいです。
す、すごい・・・。

70超えの癒しおじいちゃん教員

初回の授業の自己紹介で、定年退職をしてから臨時講師として戻ってきたけど、もう充分働いたから今学期のこの授業で完全引退するつもりだと話していました。
確か70歳くらいだと言っていた気がするんですが、若くても65~6歳。40年?とかフランス芸術に携わってきた人の教養力や人間力って23歳のヒヨッコからは想像もつかない領域に達するんだな、と凄く感心しました。
だって、新古典主義の思想に思いをはせて心を落ち着かせるって凄くないですか?想像もできない教養力。

正直最初は「いやめっちゃおじいちゃん先生やん!」って思いました。
だって実際年齢の高い先生って機械全然使えなかったり、一方的にずっと話してたり面白くない授業する人が多いので。
でもこの方は全然そんなこともない上に、話も分かりやすくても面白いし履修して良かったなと思いました。
少し前に、学生は映画が安かったり大学に図書館がある意味が分かってきたという投稿をしたけど、そこがさらに私たちが芸術に触れる意義が分かった気がします。良い例に出会えたというか。

https://note.com/tuzu_fleurs/n/nd39207e27023

芸術然り、エンターテインメントはやはり必要

やっぱり人間は芸術に触れていくべきですね。
ルイ14世?だったかは国の繁栄のために芸術が必要と考えていたらしいけど、ほんとその通りだと思います。人間理屈や頭脳だけでは絶対上手くやれない部分が出てくるんだと思う。カチコチに固まってくるというか。

これからも頭と心が柔らかくそして寛大でいられるように芸術やエンターテインメントを大事にして生きていこうと思います。

今回もここまで読んでくれてありがとうございます。
良かったらスキ・フォロー・Twitterもよろしくお願いします。
では、また。
https://twitter.com/tuzu_fleurs


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