見出し画像

人はなぜ笑顔の絵文字を添えるのか?─インターネットの言語学(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第17回
"Because Internet: Understanding the New Rules of Language"
(なぜならインターネットが:言語の新しいルールを理解する)
by Gretchen McCulloch(グレッチェン・マカロック) 2019年7月出版

「悪いんだけどxxをお願いします😅」

LINEやその他のメッセージアプリでこんなお願い文を受け取ったことはないだろうか。今回紹介する本のテーマは、この文末にくっついている「😅」である。

インターネット上でコミュニケーションを取るとき、私たちは独特な言葉の使い方をする。それは一体、なぜだろうか? どうして絵文字を使うのか? ネットスラングはどのように生まれるのか?

言語学者であるグレッチェン・マカロックの初の著書"Because Internet"(なぜならインターネットが)は、そんな「インターネットと言葉の関係」を体系的に紹介する、ありそうでなかった一冊だ。

「常に正しい」言葉は存在しない

本書の特徴として、マカロックは「正しい」スペリングや言語というのは集団的な合意に過ぎず、その合意は時代によって変わり得る、という立場を取る。だから、インターネット上で飛び交う、誰かにとっては得体の知れない会話も、何らかの目的や理由があって使われていると考える。

いわゆる「ネット民」(Internet People)の歴史やSNS上の言語分析など、本書がカバーする領域は広範である。この記事では、本書のハイライトのひとつである絵文字についての仮説を紹介しよう。

絵文字は何をしているのか

絵文字は日本で生まれて、2010年から文字コードの国際標準規格であるUnicodeにも"Emoji"として登録されるまでになった。けれども、厳密な定義に照らせばそれは言語ではない、とマカロックは語る。文法などの「メタ構造」を持たず、ただ羅列しても意味不明だからだ。

それでも、絵文字はコミュニケーションにとって何か重要な機能を果たしている。その役割を解き明かすために、そもそも「書き言葉」とは何だったかをマカロックは説き起こす。

本書によれば、「書くこと」とは、言語から身体情報を取り除く技術だ。それは情報の効率的な伝達を可能にする。

けれど同時に、身体情報を失うことは、書くことの最大の欠点でもある。私たちがコミュニケーションを取るとき、「何を」伝えるかだけでなく、「いかに」伝えるかも重要だからだ。直接会って話すとき、人は実際の言葉の内容だけでなく、表情や声のトーンやジェスチャーを使って、自分の思いや心理状態を相手に伝える。

絵文字の機能とは、失われた身体情報を、書き言葉に復元することだ。マカロックは本書でそう結論付ける。

書き言葉のあり方は、その時代に手に入るツールの影響を大きく受ける。木や石に刻むならば文字は直線が多い方が楽だけど、筆とインクで紙に書けるならば曲線を表現できる。

ネットとスマホが普及して、画像を簡単に送れるようになった。私たちはそのツールを使って、これまで書き言葉で表現されなかった身体情報、つまり笑顔や汗や涙をチャットやメッセージに埋め込む。「自分の周りの世界を描写するためではなく、自分たちをオンライン上により完全に再現するために、私たちは絵文字を使っている」とマカロックは語る。

だから、絵文字は言語よりも、ジェスチャーに近い。親指を立てるポーズなど、よく使われる絵文字の多くは実際のジェスチャーの模倣だ。それは、書き言葉にすると失われるニュアンスやコンテクストの情報を伝える。人にお願いをする文章の末尾に笑顔の絵文字をつけるのは、その方がより丁寧で礼儀正しい依頼に見えるからだと本書は分析する。絵文字やその他の画像表現は、感情を流通させる通貨(emotional currency)のようなものなのだ。

ネットの言葉は「デジタルでドライ」なんかじゃない

さて最後に、本書を読んで思った余談。

ネット上のコミュニケーションというと、リアルなコミュニケーションよりも感情が通わないドライなもの、というイメージを抱く人がいるかもしれない。

けれど、本書を読むと印象が逆転する。むしろ、ネット上のコミュニケーションは、感情的でウェット過ぎるものになりやすい、と理解すべきではないだろうか。なぜなら、本書が概説するように、かつてなかったほどに個人の感情を表現するツールと技術を、私たちは手に入れたからだ。

グレッチェン・マカロック著"Because Internet"(なぜならインターネットが)は、2019年7月に発売された一冊。なお、本書の研究対象言語はあくまで英語であることを著者は認めている。世界には7000の言語が現存していて、世界の人口の少なくとも半数は2つ以上の言語を話す。インターネット上に現れている言語はその一部だけだ。言語という「人類の最も壮大なオープンソースプロジェクト」(本書中の表現より)には、まだいくらでも研究の余地があるのだ👍😉

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら


よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。