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ケンブリッジ・アナリティカ事件の当事者が語る「民主主義をハックする」方法(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第20回
"Mindf*ck: Inside Cambridge Analytica’s Plot to Break the World"(マインドファック:世界を壊したケンブリッジ・アナリティカの内幕)
by Christopher Wylie(クリストファー・ワイリー) 2019年10月出版

ケンブリッジ・アナリティカ事件を覚えているだろうか。同名の政治コンサルティング会社(以下、CA社)が、膨大なFacebook上の個人プロフィールを取得し、ブレグジットやドナルド・トランプを支持する政治広告に利用していたとされるスキャンダルだ。

この事件が世界的な注目を浴びたきっかけは、2018年に当時28歳であった同社の元社員クリストファー・ワイリーが行なった内部告発である。

本書"Mindf*ck"は、ワイリー本人が、自らの生い立ち、CA社の誕生から終焉、内部告発とその影響、そしてデジタル社会のあるべき規制の提言までを語る一冊だ。読み終わるときには「こんな事が実際に起こっていたのか」と戦慄を覚えるかもしれない。

個人データを利用した「心理操作」

カナダ生まれのワイリーは「コンピュータールームだけが学校で疎外感を感じない場所だった」少年時代を過ごし、高校生の頃からリベラル系の政党で投票データを分析する仕事に従事していた。

2013年の春、彼はSCLグループという企業の代表であるアレクサンダー・ニックスと出会う。のちのCA社の親会社である。もともと軍事機関を顧客として、心理作戦(psychological operation)とその影響を研究していた同社で、ワイリーは好きな研究をしていいとオファーされる。同社は心理学者とデータサイエンティストたちの集まりだったが、ニックスが何をしようとしているのか、ワイリーは理解できていなかったという。

そしてワイリーはニックスからある人物を紹介される。後にCA社の副代表、そしてドナルド・トランプの選挙顧問を務め、首席戦略官としてホワイトハウス入りした、スティーブ・バノンである(なお、バノンは2017年に辞任し政権から離脱)。

こうしてCA社の中心となる人物が集まった。ケンブリッジ・アナリティカとは何だったのかを振り返るジャーナリストとのインタビューで、ワイリーは「それは、スティーブ・バノンの心理操作ツール(psychological mindfuck tool)だった」と述懐している。

政治もファッションも「トレンド」に左右される

ワイリーとバノンは、ある点で意見が一致した。それは「政治とファッションは同じもの」という考えだ。ワイリーは、ファッションと政治の中心にあるものは、「カルチャー」と「アイデンティティ」の流行サイクルであると考えていた。

ワイリーは変わった経歴の持ち主で、名門大学であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律学を学んだ後、ファッショントレンドの研究を専攻に選んで博士号を取得している。

本書でワイリーは言う。選挙で重要なのは、政策よりも、新しい見た目と、フィーリングだ。政治とファッションはどちらも、人間が自分を他人にどう見せたいかというニュアンスをめぐる産物である。ナチスもマオイスト(毛沢東主義派)もKKKも、過激主義者はまず見た目から入る。ジハーディズム(イスラム過激派)の隆盛と、クロックスの人気は、流行のサイクルや普及率など、全く同じ理論体系を使って説明できる、と。

ニックスとバノンが考えていたことは、ファッションのトレンドに影響を与えるように、大量の情報を使って政治の風向きを変えてしまうことだった。ワイリーも、自らの理論を実証研究するように彼らに協力してしまう。

バノンが名付けた「ケンブリッジ・アナリティカ」社は、ブレグジットを問うイギリスの国民投票と、2016年のアメリカ大統領選挙で大規模な選挙広告のオペレーションを行なった。しかし、実は彼らはそれ以前に、トリニダード・トバゴやケニア、ナイジェリアなどの国で、選挙結果に影響を与えるための「実験」を進めていたのだ。

ただし、ワイリーはその過程でニックスと仲違いし、大統領選挙より前の2014年にCA社を辞職した。時を経て内部告発者となったワイリーは、本書でCA社の手法を詳細に紹介している(ちなみに、内部告発以降、身の危険は常に感じているという)。それは、民主主義をハックするためのレシピである。

「壁を作れ」の本当の目的

まず、ワイリーはカナダでデータ分析の仕事をしていた時代から、地域や年齢層で有権者を分類して選挙活動を行うよりも、パーソナリティによって有権者を分類する方が効果的であることに気付いていた。

心理学による人格のプロファイリングに基づく投票行動分析。これがCA社の中心コンセプトのひとつで、具体的には「ファイブ・ファクター・モデル」と呼ばれる人格分類モデルを使用していた。「開放性」や「精神的安定性」といった5つの要素で人格を分類するモデルである。CA社は、この分類に応じて選挙広告のメッセージを無数に変えて、どれが強い反応を得られるかのテストを行った。たとえば精神的安定性が低い人には、より不安や恐怖を強めるメッセージを与えてみる、というように。

対象とする相手の詳細な情報を入手して細やかな宣伝を行うこうした手法は「マイクロターゲティング」と呼ばれる。ワイリーによれば、米国の選挙でこの戦略をはじめて大規模に行なったのはバラク・オバマだったという。民主党はデータを使った選挙キャンペーンで先行していたのだ。CA社が関与した2016年の大統領選挙までは。

CA社は、真実かフェイクニュースかを問わず、たとえば選挙の対立候補を中傷する無数のメッセージをソーシャルメディアに流布して、それがクリックされたかどうかの効果をテストした。本書でワイリーはCA社とロシアの情報機関とのつながりも暴露している(ある章のタイトルは"From Russia With Like"「ロシアよりLikeをこめて」である)。

マイクロターゲティングという手法自体は、一般的なマーケティングでも使われるものだ。CA社は、それをプロパガンダに利用した。かつてのプロパガンダでは、例えば同じメッセージが書かれた大量のビラを空から無作為にばらまいていた。CA社が行なったプロパガンダとは、ひとりひとりに対して異なるメッセージが書かれたビラを、狙い撃ちで届けるようなものだ。

ワイリーによれば、ドナルド・トランプが選挙で多用したメッセージの多くは、CA社がテストしたものだという。例えば、有名な"Build the Wall"(壁を作れ)というメッセージ。メキシコとアメリカとの国境に壁を築くというこの公約の真の目的は、物理的な壁ではない。人々の間に心理的な「壁」を作ることこそが狙いだったとワイリーは語る。

ただし、こうした「マイクロターゲティング・プロパガンダ」を大規模に行うためには、大量の個人をプロファイリングできるだけのデータが必要になる。CA社が利用したのはFacebookのデータだ。彼らが開発したアプリは、インストールしたユーザーの友人のプロファイル情報を芋づる式に取得した。2014年の8月までに取得したユーザ情報の数は、米国を中心に実に8700万ユーザにのぼっていたという。

「個人に最適化されたタイムライン」の落とし穴

ケンブリッジ・アナリティカ事件は、Facebookによる個人情報管理が適正であったかという観点でも議論され、マーク・ザッカーバーグは議会で証言を求められた。

ワイリーは本書でFacebookをはじめとする巨大プラットフォーム企業のビジネスモデルの問題点についても持論を語る。

Facebookは、1.7億人の米国ユーザーから、平均でひとりあたり約30ドルの収益を挙げているとワイリーは語る。ユーザーの滞在時間が増えるほど、より多くのクリックを行うほど、プラットフォーム企業の広告料収入は増える。

だから、Facebookなどのプラットフォームは、ユーザーの情報をできるだけ多く収集して、その行動を分析できるようにデザインされる。「ユーザー・エンゲージメント」という名の下に蓄積されたその個人データは、政治的なプロパガンダを培養するための格好の場所でもある。

皮肉なことに、CA社が自分たちの政治広告に関心を集めるためにターゲットの個人データを分析した手法は、Facebookをはじめとするプラットフォーム企業が、ユーザーの「エンゲージメント」を高めるために個人データを分析する手法と、地続きのものだ。

だから、ケンブリッジ・アナリティカのストーリーとは、個人のアイデンティティや行動データが、取引される対象になってしまった時代の産物でもあるとワイリーは語る。Facebookはオンライン広告の売上を増やすためにそれを使い、スティーブ・バノンは、政治経験の無いリアリティ・ショーのパーソナリティをホワイトハウスに送るためにそれを使ったのである。

テクノロジーは民主主義を侵害している

さて、本書はクリストファー・ワイリーの一人称で語られる内部告発本である。心理プロファイリング、マイクロターゲティング、ソーシャルメディア上の大量データ、そしてフェイクニュース。CA社が民主主義をハックするために使ったレシピは衝撃的なものばかりだが、注意しなければならないのは、これらが実際の選挙結果にどの程度影響を与えたかは検証されていない点だろう。

CA社が関与していなければブレグジットは起こらなかったのか。トランプは当選していなかったのか。それはおそらく誰も検証できていない。

社会的な意義を保留して、本書をクリストファー・ワイリー個人の視点で読むと、「世界をひっくり返してしまった」若者の物語として読める。

「どこにでもいる主人公が、世界の運命を決める鍵を握る」

アニメや映画では、そんな設定がよくある。ワイリーは、現実でそんな感覚を経験したのではないだろうか。

トランプが当選した日、ワイリーの携帯電話は、知人からの連絡で鳴り止まなかったらしい。親しくしていた民主党員の知人は「お前は遊びのつもりだったかもしれないが、こっちは人生がかかっているんだ」と連絡してきたという。

かつてホテルで出会ったスティーブ・バノンが、アメリカ大統領の右腕となった。そのときの心境を"Holy fuck!"(なんてこった)とワイリーは語っている。勝手な想像ではあるが、それは、現実がぐにゃっと歪んで、世界がジョークに見えるような体験だったのではないだろうか。自分の影響力のスゴさを感じたからではない。世界が欠陥だらけだと気付いたからだ。本書の終盤で、ワイリーは次のように語る。

"I used to believe that the systems we have broadly work. I used to think that there was someone waiting with a plan who could solve a problem like Cambridge Analytica. I was wrong. Our system is broken, our laws don’t work, our regulators are weak, our governments don’t understand what’s happening, and our technology is usurping our democracy"
(世界のシステムは概ね機能していると私は思っていた。ケンブリッジ・アナリティカのような問題を解決できるプランを持った誰かがいると思っていた。それは間違いだった。私たちのシステムは壊れていて、法律は機能していない。規制当局は無力で、政府は何が起こっているのか理解していない。そして、テクノロジーは民主主義を侵害しているのだ。)

クリストファー・ワイリー著"Mindf*ck"は2019年10月に発売された一冊。良い本というのは、読者に新しい視点を与えて、読む前とは違った目線で世界を見られるようにしてくれるものだと思う。そう考えると、読む前と後とで、この社会の現実が違った形で見えるようになってしまう、という点で、本書はとてもショッキングな「良い本」だと思う。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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