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闇に包まれた建築家ミース・ファン・デル・ローエ(山村健)

山村健の「建築家の書斎から」第3回
Mies Van Der Rohe: A Critical Biography” by Franz Schulze 1985年出版
評伝ミース・ファン・デル・ローエ
著:フランツ・シュルツ  訳:澤村明 鹿島出版会 2006年発売

ミース・ファン・デル・ローエは闇に包まれている。
ル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトとならんで、近代建築の巨匠として位置づけられる建築家である。「Less is More」の言葉を残し、黒いスーツに身を包み葉巻を吹かしている写真が有名である。
しかし、彼の素性は明らかではない。
それはひとえにミース自身が書籍を著さず、講義録もほとんど残っていないことから、彼の考えについて触れる材料が少ないことによる。

本評伝は訳者あとがきにおいて「これまでのミース研究の中で質・量共に傑出している」ものとして位置づけられている。確かに、ミースの伝記的な書籍の中では、ミースの講演会の内容や他者の回想が含まれており、充実した内容となっている。時系列に語られる史実の端々にミースの挙動が詳細に記されていて面白い。
例えば、ミースの最高傑作の一つであるニューヨークのマンハッタンにたつ超高層ビル「シーグラム・ビル」(1958)の設計では、模型を高い机に置き、椅子に座ると地面の人間の目線の高さになるように調整し、その視点で何時間もスタディをし続けていたことが分かる。それがエントランス前のニューヨークで初めてのオープンな都市空間に繋がったことを教えてくれる。
しかし、これは一例であり、全体としては、読めば読むほどミースという人間がわからなくなっていく、不思議な本である。

「わからない」ことが浮き彫りとなるミースの評伝

私が本評伝の傑出していると思う点は、ミースを闇のまま闇として描いている点である。

その箇所だけを羅列してみる。

「ミースの家庭生活や家系についてわかることは、推測を若干補強する域をでない」(P.10)
「ミースがどのくらい優秀な生徒であったかは不明であり」(P.14)
「最初のうちは全然理解できず、学問的に勉強するには全く用意がなかった分野へ突然没頭したことを説明しうるような、人物、出来事、状況や環境というものは、ミースのこれまでの人生には見当たらない。そういった証拠がないから、他の主な20世紀建築家の誰よりもミースの作品に影響を与えたこの哲学に、彼が興味を抱いたということは、彼自身の内からそれが育っていったのだと推測するしかないであろう。」(p.19)
「この断片的記録を見る限り、どこにも才能のつぼみは見当たらない。」(p.20)
「ベーレンス事務所でのミースの仕事は、一部しか明らかにされていない。(中略)1909年から10年までの行動はそれほど明確になっていない。先述した彼の言葉では、AEGの仕事はたった一つ、小モーター工場の設計を協力したことになっているが、これは1910年に始まり13年に終わったこの建物のうち、1911年に完成した最初のセクションを指すのである。明らかにミースは一時事務所を離れている。正確には不明であるが、期間や状況についも確認はできない」(pp.44-45)
「ベーレンス側では誰も彼(ミース:山村註)の印象を残していない」(p.45)(p.53)
ベールス邸内部のベヒシュタイン作壁画に関して「ミースが、ベヒシュタンへの依頼を認めたのかどうかは不明である」(p.62)
「20世紀ドイツ芸術激動期のごく初頭、ミースが専門分野において何を考え、何を考えていたのかを知ることはほとんど出来ないし、まして私生活についてはなおさら知るよしもない」(p.90)
「1918年から21年にかけての記録はほとんど失われており、ミース自身の手で後に破棄した、ということも考えられなくはないのである。」(p.90)
「コンクリート造田園住宅については、年代はおそらく1923年早く、平面図の存在はしられていない」(p.119)
「ミースがいつ『新生ロシア友好協会』に参加すると決めたかはわからないが、彼の会員証は1926年1月に発行されている」(p.137)
「ミースの文箱の中の、彼とリリー・ライヒの間に交わされた書簡は1939年9月から1940年6月までのものである。それ以降完全に止まっているのは、彼らが使っていた郵便が中断したためである。彼から彼女宛の手紙は明らかにすべて失われている。」(P.269)
「ミースとファーンズワースの関係についてほとんどの証言は一致して、一時二人はある程度ロマンスがあったとしているが、その深さについて明らかにしてくれるものはない」(P.274)

伝記としてこれほど謎に包まれているものも珍しいのではないか。

上の引用はミースの不明な点に関して記述された箇所の一部をを抜粋したものだが、二つに大別できる。
一つは、ミースの設計思想に関すること。もう一つはミースのプライベートに関することである。

私個人としては、前者に興味があり評伝を手にした。しかし、冒頭のシーグラム・ビルの例は稀で、本評伝ではミースの設計過程に関する記述は皆無である。建築をやっている多くの人が知りたいと思うミースの設計手法や、設計過程に関しては述べられていない。

他方のプライベートも闇に包まれている。リリー・ライヒはミースがアダとの結婚後に別居し、個人的に親しくしていたデザイナーであり女性であるが、アメリカ時代の彼女への手紙が捨象されているように、ミースの個人的な付き合いに関する資料はまるでないのである。『西洋の没落』(シュペングラー著)と『神学大全』(トマス・アクィナス著)にミースが深い感銘を受けていたことは記されているが、それ以外は闇に包まれており、どのような人間関係や、思想の影響があったかどうかわからないままだ。

執拗なまでに「個人」を消すことで「作品」に光を当てる

著者のシュルツも記しているが、ミースは徹底的に記録を消している。
それはあたかも、自らの「作品」のみが残るように人生をデザインしているようだ。

ル・コルビュジエは正反対であった。全ての手紙や図面に日付、宛名、書き手のサインを求め、記録化することを20代の時から実践している。自分が歴史になることを当初から強烈に意識していた。
しかし、ミースは自らの存在を消去しようとした。彼個人に関する存在への介入を拒み、隠し続けている。そして、建築のみから彼の思想を逆算して想像させることを楽しんでいるかのようである。名作とは多様な解釈を許容するものに与えられる称号である。
ル・コルビュジエは膨大な資料を残し歴史に残った。ミースは全てを闇に葬ることで歴史に残ったのである。

この評伝に書かれていないことを読むのが多様な解釈を許容する建築家の伝記ならではの楽しみ方である。個人的にはミース事務所の組織に興味がある。そのことは全く書いていなかった。資料がなく、生き証人も多くない。どのような体制をつくり、いかなるプロセスを経てあのような強靱な思想と合致したデザインが生み出されたのかを解明したいと思っている。途方にくれる作業であり、こちらの想像力が試される。ミースの闇は深い。しかし、深いがゆえに興味深いのである。

最後に、ミースの最大の理解者であり、ニューヨークMOMA建築部長のフィリップ・ジョンソンの言葉をみる。言い得て妙である。

「ミースが何を見ていて何を見ていないのか、知るのが難しかった」(P.195)
執筆者プロフィール:山村健 Takeshi Yamamura
1984年生まれ。2006年早稲田大学理工学部建築学科卒業。2006-2007バルセロナ建築大学へ留学。2009年早稲田大学理工学研究科建築学専攻修了。2012年早稲田大学創造理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。その間、建築家入江正之に師事。2012-2015年フランス・パリ在Dominique Perrault Architecture勤務。2015年より早稲田大学理工学術院創造理工学研究科建築学専攻講師(現職)。2016年建築設計事務所YSLA|Yamamura Sanz Laviña ArchitectsをNatalia Sanz Laviña と共同主宰。


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