191105_伊藤さん

人生で大切なのは「たったひとつのこと」なんかじゃない(伊藤玲阿奈)

指揮者・伊藤玲阿奈「ニューヨークの書斎から」第4回
Congratulations, by the way” by George Saunders  2014年出版
人生で大切なたったひとつのこと
著:ジョージ ソーンダーズ  訳:外山 滋比古 、佐藤 由紀
海竜社 2016年発売

スピーチがうまくなければいけない。アメリカで高い社会的地位を手に入れるためには、これが絶対条件だ――20年以上この国に住んだ率直な感想である。聴き手を余すことなく魅了しつつ、与えられた時間内で説得力をもって自分の主張を伝えるスキル。これがなければアメリカ人は名刺交換さえしてくれないこともあるのだ。

スピーチの伝統はもともとヨーロッパのもので、古代ギリシャにおける直接民主制の成立にまで起源は遡る。君主などが独裁的権力を持つ政体とは違って、全市民(奴隷以外の全成人男性)が政治を担う制度のもとでは、裁判も選挙も自分たちで行うことになる。自然と皆の者を説得できるかどうかが社会的地位を左右するようになっていく。そこからスピーチの伝統が生まれ、アリストテレスの著作『弁論術』に代表されるように研究対象となったのだ。

アメリカは、君主を戴かない自由平等の国として誕生した。くわえて、裁判・選挙はおろか、住宅や農地などコミュニティそのものから自分たちの手で、しかも少人数だから女性の力も借りて建国しなければならなかった。つまり、日常生活のちょっとしたことを決めるのでも、男女ともに自分の考えをアピールする必要があったのだ。この国がスピーチ大国になった背景である。

当然、他人のスピーチに対する関心も高く、評判となったものがよく書籍化される。今回取り上げる『人生で大切なたったひとつのこと』も、その流れを汲んだものだ。米タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」にも名を連ねた小説家ジョージ・ソーンダーズが、母校シラキュース大学の卒業式で行ったスピーチを本にしたもので、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーにも選ばれた。出版にあたってはソーンダーズ本人が若干の加筆修正をしている。

もともとのスピーチでは持ち時間が8分だったらしく、加筆されてはいても本書は非常に短い。「15分で読めるけれど一生あなたの心に残る本」とは、日本版に付けられたキャッチフレーズだ。新書より心もち大きいだけの単行本で60ページほどの分量。とはいえ、オリジナルの英文を左側ページ、日本語訳を右側ページに配置した対訳形式なので、日本語だけを目で追うならば確かに15分で済んでしまう。

これほどの小著だから、ちょっと引用するだけでも、これから読まれる方の楽しみを奪いかねない。したがって今回は、内容への直接的な言及や引用は極力控えつつ、心躍る読書へのポイントをいくつかご紹介することにしたい。

ソーンダーズの一筋縄ではいかない経歴

最初に、作者の経歴に触れておこう。というのは、実際の卒業式では登壇者の略歴が前もって紹介されるからである。本書でもそれが前段になっている。

ソーンダーズは今でこそ有名作家なのだが、この人の前半生は一筋縄ではいかぬものだった。1958年に生まれ、コロラド鉱山大学を卒業後、インドネシアで石油探査に従事したが病気になりアメリカに帰国。それからドアマン・ギタリスト・屋根職人・コンビニ店員・食肉処理場作業員などをやりながら糊口をしのいだらしい。20代の終わりでシラキュース大学の創作科に入学。やっと初の短編集が出版されたのは38歳の時である。

「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味は分からない」とはゲーテの箴言だ。回り道だらけの人生だったソーンダーズがどのような言葉を巣立たんとする若者たちにかけるのか、否が応でも好奇心が刺激されないだろうか。実際、期待は裏切られることなく、このユニークな経歴がスピーチに不思議な説得力をもたらしているのが一読で確かめられる。

散りばめられた極上のユーモア

第二のポイントは、アメリカ人が本書を評価する一因、散りばめられた極上のユーモアである。

この手のスピーチが抱える難しさとして、聴いている学生が従属的になりやすいことがある。功を成した年長者が前途ある若者に教訓を与えるという図式は変えようがないからだ。どうしても学生の立場では、自発性よりも義務感が先行してしまいがちである。

20世紀後半から上意下達は古いものになり、現在では部下や学生の自主性を発揮させる人が尊敬される。「クラシック界の帝王」と呼ばれた指揮者カラヤンがベルリンフィル団員たちの反発を招き、音楽監督を辞任した直後に逝去したのが30年も前のこと。指揮者でさえ独裁的だと職を失う時代なのである。スピーチも同様で、今どき“ありがたい話”を一方的に聞かせても若者の心は開かないだろう。

苦労人ソーンダーズはさすがに違った。「すでに盛りを過ぎたおっさんが、今から最盛期を迎えようとする若いひとたちに、心からの助言を贈る」という宣言からスピーチを始めるのである。

「おっさん」と訳されているold fartのfartは「おなら・放屁する」の意味で、転じて「嫌な奴」を指すときに使われるスラングだ。公式、ましてや教育の場では普通使われない。だからこの宣言は意外性のあるユーモアとして上手く機能しており、開始30秒足らずで、聴衆の緊張を好感と興味へと転じさせることになった。上から聞かせている構図そのものは変わらないのに、ユーモアによってそれをあまり感じさせないのだ。その配慮はこの冒頭だけでなく終わりまで一貫している。

ところで、今年大阪で開催されたG20の夕食会において、安倍首相が「大阪城にエレベーターを設置したのは大きなミスだった」とスピーチで発言したところ、弱者軽視として批判されてしまった。「むかし焼失した天守閣を忠実に復元したのに、エレベーターが付いています」というニュアンスで笑わせようとしたのだろう。しかし残念なことに、ソーンダーズのようにはならなかった。

ユーモアは笑わせることだけが目的ではない。コメディアンのトークとは違うのだから。あくまで会場を和ませ、自分が伝えていることに親近感や一体感を抱いてもらい、すべての聴き手を心地良くさせるのがユーモアである。スピーチの伝統が浅い日本では捉えにくい感覚で、安倍首相がユーモアとジョークの境を見誤ったのは無理もない。

ソーンダーズは学生に寄り添い、彼らを受け身から解放して自発性を引き出す手段として、全編にわたってユーモアを存分に駆使している。その妙を是非味わって頂きたい。日本語でも十分に堪能できるし、実生活の会話における何らかのヒントにもなりうるだろう。

コントラストを強めた緻密な構成

第三に、小説家らしい緻密な構成手法に着目したい。

ソーンダーズはスピーチを大きく二つの部分に分けている。全体の3分の2までが第一部で、そこでいったん終わると見せかけて、意外性をもって第二部へと突入する流れになっているのだ。ちょうど聴衆・読者がダレ始めがちな頃合いにサプライズを仕掛け、再び注意を引き起こし、その集中力を維持したまま全体を締めくくる。後半が長すぎると再びダレてしまうから、この手法は短めのスピーチにこそ向いている。「短編小説の名手」として知られる作家の面目躍如といったところだ。

第一部は、やや理詰めな性格を持つ。特に、伝えたいメッセージについて、それを伝えたい理由や、どうしたらそれを達成できるのかを論理的に(だが情緒とユーモアを忘れずに)考察した部分で顕著である。エンターテイメント要素と合理的知性を両立させようとするアメリカ人らしさが発揮されており、適切に理解するには頭を働かせねばならない。大勢に何かを伝える際の感性が根本的に異なっている日本人にとってはなおさらで、訳文からでも文脈を取りにくかったりする。本書を訳した外山滋比古氏が「この本を最初に読んだときは、はじめの部分がよくわからなかった」と解説で告白されているのは、おそらくこれが原因だろう。皆さんもこの部分(本書20~35ページあたり)を確かめてみるとよい。我々日本人にはまず思い付かない言い回しに溢れていて、日ごろ海外文学に親しんでいない方にとっては特に新鮮だろう。

第二部も、伝えたいメッセージは第一部とまったく同じだ。しかしながら、外山氏も「後半になるとずっとわかりがよくなる」(原文ママ)と書いておられる通り、こちらは心に直接訴えかけてくる。その理由は、若き日に食肉処理場の脱骨作業員やコンビニ店員などさまざまな経験をした初老の作家が、若者が抱えるであろう悩みや矛盾について、いっさいの虚栄も虚飾も抜きにして真実をぶつけているからだ。それはソーンダーズ自身が人生で抱えてきた煩悶でもあったろう。それを素直に表明しているスピーチ後半は、祝賀の雰囲気が重視される場所でさえ物事の本質を問いかける真摯さ、若者に対しても自分の体裁を取り繕わない謙虚さゆえに、人々の心を打ち、そして奥底へと沁み込んでゆく。

本書において感動を呼ぶのは確かに第二部であって、作者自身もそれを意識しているはずだ。しかし、だからといって第一部が劣っているわけではない。第一部が“知”のトーンであるからこそ、“情”と“意”が優勢な第二部が引き立てられる――相補的な関係なのだ。第一部と第二部における性格的なコントラストは、明らかに計画的であって、作家ならではの構成感覚には脱帽せずにはいられない。

シンプルなメッセージがあらゆる人の心を打つ

第四のポイントは、本書が若者だけでなく全世代の人々に求められる理由を意識しながら読むことである。

ここでは伏せておくが、ソーンダーズのメッセージはとてもシンプルだ。それ自体はどんな人でも口には出せるほど日常に密着しており、ありふれてさえいる。「愛」や「平和」などのように。

しかしながら、人間にとって根源的な徳目であるほど感化するのは難しい。ゆえに宗教家にせよ教育者にせよ、同じようなメッセージについて、手を変え品を変え説き続けて現在に至るわけだ。くわえて、尊敬されていない牧師がいくら説教しようが徒労だろうし、信望抜群でも口下手では効果が薄くなる。

普遍的、悪くいうとありきたりなメッセージにもかかわらず、この本は多くの人の心を動かした。本書が「旧約聖書の詩篇のように薄くて重い」(NYタイムズ)価値を宿していると認められ、老若男女から読まれている理由は、ここまでに記した個性や工夫の他にもまだまだ発見できるだろう。何度も読み返しながら、あなた自身の答えを見つけて欲しい。

徹底して考えさせ、実践を促すアプローチ

そして本書を読むうえで最後のポイントも、この点だ。つまり、私たち自身が考えながら読まねばならないということである。

スピーチはもともと民主制と結びついて発展した伝統であることを改めて思い出そう。権利的に平等である者同士のコミュニケーション手段として進化したもので、モーゼの十戒や王の勅諚のように絶対的に聞き従わねばならないものとは、(形の上ではそれらが“スピーチ”になりえても)本来的に違っている。批判が許されるし、聴き手自らの意志表示も大切にされる。拍手もあればブーイングもある。たしかに優秀なスピーチによって多くの人が説得されるだろうが、それは自分で考えたうえの納得であることが前提なのである。

それは大統領のスピーチにしても変わらない。ケネディが大統領就任演説で発した名言――「国があなたの為に何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国の為に何をするか問うのだ」――は、スピーチの伝統が民主制と不可分であることを象徴しているとも解釈できよう。

ソーンダーズもその伝統に則っているから、批判的思考をもって注意深く読むと、彼は私たちにあくまでも自分自身で考え、実践するように要所要所で促していることが分かる。そうすることが本書に出会った者に対する作者の望みなのだ。

読み込むほどに光を増す言葉の数々

実は、『人生で大切なたったひとつのこと』という邦題は、スピーチのどこを探しても見つからない。オリジナル英文タイトルは『Congratulations, by the way(卒業おめでとう、ところで)』 であって、こちらはスピーチから採られている。(なお、この言葉がどこで発せられたものか、確認して欲しい。)

おそらく出版社によって付けられたこの邦題は、我が国の読者に広く本書を手に取ってもらうことに貢献したはずで、それは感謝すべきだろう。ただ、ソーンダーズ自身が、人生において大切なのは「たったひとつのこと」で事足りると断言しているわけではないことは、はっきりと強調しておく。

本書はハウツー本ではない。もしも、あなたが本書を人生の問題を解決できる取扱説明書のように受け取っていたら、それは大間違いである。その読み方では、ソーンダーズの文学的魔術に酔わされ、何か分かった気になるのが関の山だろう。

この本は、磨けば磨くほどに光沢を増す、小さな原石のようなものだ。“盛りを過ぎたおっさん作家”は、いつの日か、あなたが燦然と輝く宝石を手に訪ねてくれるのを待っている。

執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者。ニューヨークを拠点に、カーネギーホール、国連協会後援による国際平和コンサート、日本クロアチア国交20周年記念コンサートなど、世界各地で活動。2014年に全米の音楽家を対象にした「アメリカ賞(プロオーケストラ指揮部門)」を日本人として初めて受賞。講演や教育活動も多数。武蔵野学院大学SAF(客員研究員)

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ありがとうございます。次回の記事もお楽しみに!
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