【なかなか芽が出なかった自分】Special.私の決意

おはようございます。こんにちは。そして、こんばんは。

シャイだけど、殻を破ろうとあれやこれやしているターコイズ*ミントです。

今回は自分が他者と関わることを望むようになっちゃったシリーズの特別編です。本当は第3回に入って自分の様々な挑戦について語ろうとしましたが、その前に「優しい人間になろう」と決意したエピソード、小学校・中学校の経験ですが、それについて語ります。今回はとっても!長いです…。それでも読んでいただけたらと思います。

それにしても、あたふたしていたらもう3月に!!第2回からだいぶ日が経ってしまった(汗)

前々回、前回の記事もありますので、もしよろしければ過去の記事もご参照ください。

①→https://note.com/turquoise_sweets/n/nffd32b867eb5
②→https://note.com/turquoise_sweets/n/n815ccbfc5f91

何度も申し上げますが、私は今まで他者と関わることを避けてきました。それは何故か?根源を辿れば小学校の先生による英才教育です。根源は今年の2月でやっと気づきました。皆様にも苦い思い出はあると思います。以下は私が経験した事実です。まずは小学校のことから。

☆小学校5年生の運動会の騎馬戦の練習を体育館でやった時です。私は当時騎手(敵の帽子を奪う人)でした。私は「痛い」ばっかり言っていました。このまま解散して教室に戻れるかと思ったら…。

私は先生(担任ではないです)に呼ばれ…。

痛いのはみんな同じだろうが!!!

というように怒鳴られました。しかも、複数の先生に睨みつけられた。体育館は、私、そして2人の先生のみ。一人は私に向かって怒鳴り、もう一人は私を無言でずっと睨みつけた。

トラウマです。…、「痛い」と連呼した私にも反省すべきことはあります。自業自得です。それは分かっているんです。説教の内容はあまりよく覚えていない。しかし、睨みつけられては怒鳴られたことはよく覚えている。

泣きながらやっと教室に戻った時、

担任の先生からも怒鳴られました。

騎馬戦に出るのはやめなさい!!!

まさか、担任からも説教されるなんて思わなかったな。こちらも言われたことはあまり覚えていない。でも、怒鳴られて涙がますます止まらなくなったことはよく覚えています。

長時間の説教から解放され、体育館で怒鳴った先生に感謝の言葉を述べ、着替える場所で私は一人で静かに泣いていた。この後、私は騎手を務めることができず、馬役になりました。

…、感謝の言葉は強制的に言わされました。本当は感謝なんかしていない。私を怒鳴っといて?睨みつけといて?

ふざけないで!!!あなた方がやったことは愛情でもなんでもない!

大学3年生になって、このことを兄に報告したところ、

それは虐待でしょ!複数の先生に睨みつけられたなんてさ!!

と言っていました。兄は私を悪者にしませんでした。自業自得だから私が悪いと思っていた。けど、兄は私のために怒鳴った大人たちに怒りのコメントを発したのです。兄さん、私のために怒ってくれてありがとう。
→この経験から、「ただ怒鳴るだけじゃダメだ!今の私だったら『そうだね痛いね、でもね、みんな痛いの同じだし、頑張ってるから君も痛みに負けないで立ち向かおう!』って言うのにな〜」と考えるようになりました。

☆版画で…、「(これは三角刀で彫って、ここは丸刀で攻めよう)」と考えながら自分のペースで彫っていたところ。担任の先生が衝撃的な一言を。

なんでこうなるの!!!!?

悲しかったです。先生の思い通りにやらないとそこでもう怒鳴られる。歯向かえば「もう知らない!」と突き放される。突き放されたら謝罪しない限り相手にされない。先生はきっと「私の言う通りにやれば最高の作品になるわよ」なんて考えていたかもしれない。確かに、誰かに従えば良い方向に進むこともあるでしょう。

でもどうですか?当時の私は、「ああ、先生の考えを上手く読めていなかった私が悪い」と考えていた。しかし、今は違う。「なんで貴方のいうことなんか聞かないといけないんだ!!?これは自分の作品だ!どうしてわざわざあんたに縛られないといけないんだ!!」と歯向かっていたことでしょう。私自身、怒りっぽいからすぐにカッとなりやすい…。でも、自分は自分、他者は他者です。だから、無理矢理他者を縛るような言動はどうしても許せません!ただ、アドバイスに耳を傾けるべき。しかし、当時の担任の行動は明らかに「お前は黙って私に従え」とまるで私を人形や奴隷のように扱っているかのよう。逆らうと精神的にボコボコにされる。
→もし私が先生だったら、「自分と違うこと考えていたのか、そっか…。こういうやり方もあるんだね、自分の視野が広がった!」と自分の頭をプラスの方向に向かわせます。そして、その子のやり方を悪い方向へ行かぬようにフォローしつつ応援します。そもそも自分の思い通りにならなかったからといってあーだこーだ言うのはなんか違う気がすると感じるようになりました。

☆これは先生に対してもクラスメイトに対しても恨んでいる出来事です。小学校最後の外国語の授業はまさに地獄だった。「大きなかぶ」を確かやったような…。登場人物が人間の役の人から英語でセリフを読んでいくようなスタイル…だったような気がします。あまりよく覚えていなくて申し訳ない。私の班は、唯一人間キャラの私から英語を話すことに。しかし、英語が苦手で何を話せば良いのか、内容すら分からなくて戸惑っていました。そのため、もたもたすることしかできませんでした。チームメイトから罵倒されてばかり。「みんな困っているから早くしなよ」とか「いい加減に話してよ」と怒られてしまいました。私は適当に英語を何か話しましたが、ALTの先生からは「No!!!」と怒られまくり。チームメイトを含めたクラスメイトからは、「お前バカか?」という目で見られてしまいました。幸い、別の先生が私を助けてくださったのですが、私の心はまた一段と深い傷を負っていくことに。お勉強が苦手、ということが災いしたかもしれません。本当はみんなを困らせたくなかった。ペラペラ英語を話したかった。でも、それができれば苦労しない!私は、チームメイトにがっかりしました。どうして助けてくれなかったのか。怒鳴っていないで助けてほしかった。この出来事がトドメで、英語の授業が怖くなり、大嫌いになってしまいました。

そして、人生最も真っ黒・真っ暗といえる中学生時代。

中学生時代は散々な目に遭いましたが、ここはいくつか厳選します。

☆中学1年生の頃です。当時は、クラスの半分が数学、もう半分は英語というようにチーム(?)に分かれていました。私は名簿後半だったのでBチームでした。「次の授業は数学だから少人数教室に…」と考えていた。しかし、Aチームの2人の女子は私に「次は英語だよ」と言ってきた。私は「いや、違うんだけど…」と何度も言いました。しかし、私の言っていることは誰も信じてくれなかった。強制的にAチームの人たちと同じ教室で授業に。そして、恥をかきました。結局、2人からは謝罪されることはありませんでした。自分の非を認めることができなかったのでしょうか?私だったら謝るタイミングを見つけ次第(タイミングがなかなか掴めない時もありますが…)「ごめんなさい…!!」と叫ぶのに。

☆これも中学1年生の頃です。とある日の英語の授業です。「次の時間、このプリントを出してね」と言われ、後日、プリントを全部埋め、出そうとした時、

あれ?回収しないのかな?

と思っていた。当時の私は「出さないのですか?」と直接伺う行動力なんかなかった。だから、何もアクションは起こさなかった。後日、悲劇が。未提出者に私の名前が…。先生に呼ばれ、恐る恐る提出。そこでさらに、

申し訳ございませんでした。以後、気をつけます。

と言わされた。全体の前で。恥ずかしかった。

私がいないところで課題が回収されていた。私が知らないうちに課題を?

せっかく期限までに課題やったのにそれが水の泡に。あまりにも理不尽だと思った私は担任の先生に言いました。ですが、

それは貴方が悪いよ。

と突き放されました。最悪です。

自分の知らないところで回収して…???

…行動力がなかった私にも問題がありました。しかし、ますます英語の授業が嫌いになりました。どうしてくれるんだ!?
数年後、母にこのことを言ったら「酷い!!」と怒ってくれました。私を悪者にしなかったんです。お母さん、ありがとうございます。

☆中学2年生の頃。初めて(だったかな)の調理実習。私は先生の説明を熱心に耳を傾けたりと聴いていた。おしゃべりな女子3人は私を巻き込んだ。「無視はまずいから応じるか」とその3人と話してた。しかし、クラスメイトの男子と先生に怒られた。おまけに、私に話しかけた女子にもまるで自分は悪くないかのように責められた。料理は苦手な自分ですが、これもトドメで調理実習がもっと嫌いになった。

☆中学1・3年のグループワーク(科目は色々)では、自分が何か変わったことを言っていると、「え?」とか「は?」とかよく言われて意見を出せなくなってしまうことがあった。私はかなり変わっている人間です。だから、変わったことをよく言ったりするんです。私が意見を言うと「は?」というような反応をされます。「私、間違ったこと言ったのかな…」と悲しい気持ちになりました。「私は頭が良くないから拒否されても仕方ないよね」と自分の中で丸く収めているつもりだったけど無理だった。だから、これも中3のグループワークがトドメでグループワークもトラウマと化した。ですが、高校の優しいクラスメイトのおかげでなんとか克服しました。

上記の経験から、私の頭の中は、以下の通りになりました。
・自分が悪い悪くないにも関わらず謝罪しないと永久に問題が解決しない。地獄から解放されない。何もかも自分のせいにしないと生きていけない。
相手の思い通りのことをしないと自分そのものが否定される。
何もかも完璧でないと存在を認められない
上記のことから段々自信を失くし…、
→「どうせ私がやったら台無しになるよ。やったとしても怒られるだけだ」とか「弱い自分を出したら何もかも終わりだ!」とか「私は他者を不幸にするから部活とかサークルとかに入っちゃダメだ。間違いなく他者を不幸にする。それなら勉強だけに専念しよう」とかずーっと引きずるようになってしまいました。新しいことに挑戦することすら怖くてできなかった。芽が出るのが大学3年次とだいぶ遅くなってしまいした。

中学校の先生は優秀な人にしかまともに相手をしてくれなかった。劣等生の私がまともに相手にされた記憶なんかない。彼らは最初から完璧人間にしか相手にしなかった。中学校の先生にも怒っているけど、私が真っ先に怒りの矛を向けているのは完璧人間にしようとした小学校の先生たち。

母曰く、「(小学校の先生は)研究熱心だから、どんな反応をするのか見ているのよ」と。

…!!?

反応を見ている?そんな馬鹿な。先生たちは私たち子供がどんな反応をするのか見ていたようです。上記の出来事もなにもかも反応を見ていたと。

…プチッ。

とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。

私がどんな反応をするか見ていただと?そうだったんですね、先生。私を傷つけるつもりはなかったんですね。そうですか…。でも、これだけは言わせてください。

私に意地悪しているつもりはなかった?あのですね、傷つけるつもりはなかったとしても本当にあなた方の人形になったことで私はいっぱい傷つきました。何か問題が発生した時、いつも私のせいにして、問題解決のために動いてくださった回数は少なかったですよ。本当に。

私をなんだと思っていますか?私の泣いている姿を見て、怒鳴ってばかりで楽しかったですか?研究は進みましたか?研究対象にされた子供たちの気持ちを考えたことはありますか?私はあなた方のいうことを聞いて従ってきました。おかげで小学校は暗黒時代でした。そう、ほぼ毎日怒られていましたから。私は毎日怒られるためだけに小学校に通っていたのですね。本当は、友達と一緒に遊んで勉強して給食も美味しく一緒に食事したかった。それなのに、ほとんど私をターゲットにし、私を完璧人間に育てようとしました。自由な時間も奪われました。毎日ではないけど、休み時間も奪われました。お外に行って遊べなかった時、本当に苦しかった。気がつけば自分には飾りだらけで本来の自分を曝け出すのが怖くなってしまいました。なかなか飾りを外せずにいました。私も偉そうにしていたことは反省しています。

自分たちの研究のためならば、子供たちは傷ついていいのですか?私はその一人です。あなた方に完璧を求められ、怒鳴られたばかりのおかげで私はこう思いました。

簡単に他者を怒鳴ったり揶揄ったりはしません。
分からないことがあって困っている人に対してすぐに考えなさいとは言わずに私も自分のことだと思って考えます。
完璧にできなかったからといってすぐに突き放すような真似はしません。
自分の思い通りにならなかったからといって突き放すような真似はしません。
あなた方が私を人形のように扱った時のように、私も自分の研究のためならば他者を平気で傷つける、というような真似はしません。

私のように傷ついて泣いている人が他にもいるかもしれない。私は痛いほどその苦しみを味わった人間です。あなた方の成功作になっていたら私は自分を変えようとすら思いませんでした。

高校では心優しい先生のおかげで固い自分を変えること、大学でもありのままの自分でいようと思うようになりました。特に、大学の先生は私のことを常に心配してくださいました。先生はこんな私に「頑張ったね」や「自分にプレッシャーを与えないで楽しんで表現力を磨いてね」というように仰ってくださいます。完璧ではない自分に優しくしてくださいます。昔の反動か、先生方のお言葉は一層温かく感じました。

今所属しているゼミの皆様も「(優しくて積極的な人に)なれるよ!」と笑顔で仰ってくださいました。こんな風に言われたことは人生で初めてかもしれない。

私はその文字通り、優しくて積極的な人になります!絶対に叶える、私のなりたい自分に!過去のトラウマから救ってくださった皆様に恩返しできるようにする!そのために、自分から新しいことに挑戦する!大学は、他者と関わらない限り自分を変えられないことを教えてくれた、他者を尊重することがどれほど大切なのか教えてくれた!ありのままの自分を曝け出すのはまだまだ怖い。でも、芽が出たからには自分から動いてやる!!!

だから、

もうありのままの自分を隠す飾りなんかいらない。それがどんなに美しくてもどんなに高価なものであっても人間の生命の方がよっぽど美しいです。だから、飾りはもういらない。

小学校の苦しい経験から、私は優しくて積極的な人になろうと決心しました。「傷つけるつもりはなかった。教育の一環だった」は今の私にはもう通用しません。教育の一環だったとしても「この世からいなくなりたい」と死に対する願望を抱いているような子が出てきたらどうしてくれるんですか?もし、あなた方の教育で本当に死んでしまう子が出てきたらその子の家族になんと言いますか?謝るだけでは済まされません。

自分の都合の良いように子供達をカスタマイズするようなことは私が絶対に許しません。

私は、あなた方を絶対に許しません。

ごめんなさい…。長くなりすぎました。でも、皆様にはこの世には完璧人間にさせられそうになって、先生たちの人形になって苦しい思いをした人間がいる、ということをどうか忘れないでいただきたいです。

最後に、上記の経験を踏まえてコメントを述べます。

過去は変えられません。くどくど言っても無意味かもしれない。けど、わざわざ辛い過去を掘り下げたのは、自分の弱さを再度確認するためでもあり、過去の経験からなりたい自分に近づく方法をもう一度考えたいためでもあったのです。
私は大学1年次までは完璧な人間でいようと必死でした。けど、それはできませんでした。大学生活を送っていくうちに、「人は完璧になれない」、「完璧な人間は一人もいない」ということを実感するようになりました。それが分かってから私はありのままの自分でいようと決意しました。自分につけていた飾りを外そうと決意しました。「あまり自分を責めないで」や「完璧主義じゃなくてもいいから」と励ましてくださった先生、本当にありがとうございます。完璧な自分ではありませんが、これからも自分磨きに励みます。

今回の記事もどうか皆様に生きる力を与えることができますように。少しでもいじめが減りますように。

ご覧いただきありがとうございました。

次回もご覧いただけましたら幸いです。