不登校?? いや、息子は「アンスクーリング」ってことで!!
息子は学校へ行っていない。
アンスクーリング。
学校へ行かなくても選択肢はたくさんある、っていうのも なんだか最近世の中でよくきく言葉であって、ホームスクーリングもフリースクールへ行くのも 結局親が安心したくて与えた選択肢に過ぎない。って思ってみたりする。
私の経験してきたことや 知っていることなんて たしいたものではないし、今息子がどういう生活をしていようと 未来がどうなっているかは全く分からないのだ。
親なんて欲深い。親 ではなく 私か。生きてさえいれば、元気ならいい と心底思っていたくせに、元気になると次を望んでしまう。ホント、クソだな。
って思ってみたりする。
居場所??そろそろ勉強??居場所だ勉強だうるせーよ!!オレは家で好きなことして過ごしているし、ネッ友いるし、出かけたくなったら出かけるし、たまに学校行くし 同級生とも遊ぶし、色々考えて自分なりに日々頑張って楽しくやってるよ!!
ってな息子の声がきこえてきそうだ。
「想像力において大切なことは、まず、自分の想像を疑うことではないのか」と、半年前に小説を読んだ私は、気になったそんな言葉についてTwitterでつぶやいていた。
息子は 私が全く想像をしなかった生き方をしている。現在進行系で想像を超える動きをすることもある。不安というより 面白いと思うようになった。
今日、息子は朝から一人で鉄旅に出かけた。
昨日の夜に報告を受けたが様子がいつもと違った。やけに口数が多いしニヤついていた。
しっかりと話をして不足していた部分の報告を受けた。ワクワクとチャレンジを削がないように、でも危険が潜んでいることをしっかり伝え 保護者として3つだけ条件を付けた上で「楽しんでおいで!」と送り出した。
どこまで見て見ぬふりするか、どこまで口を出すかは本当に難しい。一応私の中にラインはあるが。
小6ではあるが、子育て四訓でいうところの「青年は、目を離せ、心を離すな」だな。
良き距離で 信じて任せる。
アンスクーリングだが、息子なりに考え経験を積み成長をしているのは間違いない。
親なんて無力だ。生きている時代も環境も、私のそれとは違う。思考や感情や目指すものも、私のそれとは違う。
親の想像を超え どんどん成長しながら生きる息子に 私が追いつかねば。
と思ってみたりする。
追記:
不登校が増加する昨今、不登校に対し様々な意見がある。ただ、本人も親も簡単に登校をやめたわけではない。税金で人と触れ合いながら学べる場所だ。行けるなら行きたいし、行けるなら行って欲しいに決まっている。「死」を意識しながらもがいた時間があって穏やかな今があるのだ。
ということは残しておきたい。