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【読書メモ】『大学で学べる科学的素養』(著:大坪嘉行)

橋下氏は「お前みたいな学者が日本を滅ぼすんや!!何の役に立っているかの評価も受けない税金のタダ飯食らいが!!」と投稿。続けて「なんで学者ってこうも偉そうなんや。何の役に立つかも分からん研究をいかにも意味があるように装って研究費を引っ張る学者が世の中に多数。こういう輩も立派な詐欺師や」と批判した。

そして、15日には「京大藤井氏に腹が立って、学者全体を一括りにしたのは間違いでした。大阪改革でも多くの学者に協力してもらいましたし、今も意見交換させてもらっている学者が多数います。今後は個別に批判していきます」とした。

出典:「橋下徹氏 藤井教授への激怒投稿 学者を「詐欺師」と誤解させるポストに「一括りにしたのは間違いでした」」
(「スポニチアネックス」2024年7月15日)

まぁ、藤井さんがアレなのは確かですし、石丸伸二氏みたいな京大出身者をみるとイジリたくなる気持ちも分かります。そういや前の職場にも京大卒で公認会計士とか東大院卒で経営学を修めてます、なんて触れ込みの人たちも居られましたが、まぁ、酷か(略

とはいえ、さすがに「何の役に立つかも分からん研究」との言い回しはアレですね。「学問」を根底から否定しています、こういう所がちょっとなぁ、、と思ってしまう部分です。

で、学問とのフレーズで思い出したのが、少し前に序章だけつまみ食いして「X(旧:Twitter)」で雑にリポストしたものに、なんとも丁寧に反応いただいて恐縮してしまった『大学で学べる科学的素養』との一冊(序章が無料公開中です)。せっかくなので本編(紙)も購入させていただきました(Kindle版推奨なのかも知れませんが)。

構成は全7章、見出しだけだとどうにも小難しそうですがサラッと読めます。また文体のとっつきにくさも若干ありますが、内容は非常に丁寧にまとめられているかと。

権威主義の否定
課題発見のための議論構造
原理原則・本質の理解に基づいた理解と説明
研究の進歩主義の理解と実践
議論の作法
研究の公共性の理解
問題解決に資する「原因」とそうでない「原因」の区別

出典:『大学で学べる科学的素養』

権威主義の否定:
いわゆる「大先生」、「大家」の言を無批判に盲信するのではなく、まず自分の言葉で考えてみる、稚拙であっても。そういった意味では、学問はまず批判(疑問)からとの大原則につながっていきますね。

課題発見のための議論構造:
といっても、何ら根拠のない妄想を垂れ流しても仕方ない(誰も聞いてくれない)ので、事実(現象)をもとに原因を仮説する、結果(仮説)ありきで判断しないといった「論理的思考が求められる」といった所でしょうか。

原理原則・本質の理解に基づいた理解と説明:
で、その思考結果を「自分の言葉」で説明する、もちろん相手に伝わるように、発信側が丁寧に。間違っても「理解できない相手が悪い」なんてアレな発想はよくないですね、某石丸構文の使い手ライクな。

研究の進歩主義の理解と実践:
新しい発見、技術、考え方を大切に。手段はあくまで手段にすぎず、目的(問題意識)が明確になっているかどうか、そして手段が目的化していないかどうか。「研究」は手段に過ぎず目的ではない、とも言えましょうか。歴史学的には「進歩史観、藁」といったところかな、、あ、ここでいう進歩主義の「進歩」とは意味合いは異なりますヨ。

議論の作法:
議論は勝ち負けを決めるものではない、よりよき結果を導き出すためのもので、論者はフラットな立場で。界隈で流行りの「論破()」の対極にあるものですかね、本来の学問における研究の基本的なお作法かと。批判されて初めてその論拠(学術的価値)の精度も上がっていくものですし、これは文理問わずだよなぁ。

研究の公共性の理解:
そして、研究は自分個人で完結するものではなく、連綿と人類がともに行っていくとの公共性が大切、次世代に繋げていくとの視座も含めて、と。そういった意味では「自分自身さえよければ」との発想は研究者には向かないのかなぁ、、と。あとエビデンス大事、でも切り取りはだめですよ、都合が悪くても向き合いましょう、と。「チェリーピッキング」っていうんですね、ふむふむ。

問題解決に資する「原因」とそうでない「原因」の区別:
一言でいえば「失敗は成功の母」。次(次世代)につながる原因分析を行いましょう、と。そういった意味では、失敗自体を責めても生産的ではない、どちらかというと、失敗から学ばない、もしくは失敗と向き合えない姿勢を責めるべき、といったところでしょうか。あれ、どこぞの左右問わずの極まった界隈に共通する仕草ですね、、閑話休題。

歴史の研究は原因の研究

出典:『歴史とは何か(旧版)』

まぁ、そういった意味では私自身の基礎学問である「歴史学」も初手で「科学的手法」によるアプローチが求められていたよな、なんて思い出しながら。文理問わずにどんな学問であれ、学部1年時にありそうな「○○学入門」や「○○学概論」とかで最初に教えられそうな気もしますが、最近は違うのですかね、、今度機会があったら息子(大1)に聞いてみようかな。

なんのかんのと、結果ありきの研究なんてのはありえないでしょうしねぇ、未来視ができるわけでもないのだから。ただ「社会的有用性」をどの段階で見出すのかとの視座と、その上でどう「社会に還元していくのか(公共性)」と考える立ち位置の人は必要だよね、とも思います。

そういった意味では橋下さんの(言葉遣いはさておき)言い分も理解はできるのですが、、とりあえず、リビングに並べておこう、うん。

現代の人間が直面する複雑かつ多様な問題に対し、諸学問の融合をもって解決に取り組む「人間科学」の高い理想を掲げて教育・研究を行っている。真摯に人間性を追求しながら、よりよい社会を実現していこうとする強い意識を持ち、高度職業人・研究者としての基礎を身につけた人材を社会に送り出すことを使命としている。

余談ですが、こちらは息子が通う大学(というか学部)の教育理念(一部抜粋)になります。

第1志望はガチ理系だった息子、そちらは残念ながらダメだったのですが、それ以外に受かった、同じ大学の文理融合な別学部と別大学のガチ理系学部でそこそこに悩んでいました。結局は幅広い分野を学んでみたいとの事で文理融合な別学部に進学しています(家内的にはガチ理系の方が就職的によかったんじゃ?との思いはあるようです)。

今現在はテスト期間中との事で大分苦労しているようですが、周りの学友達のレベルの高さもいい刺激になっているようで。また、友人・先輩宅に泊まる日も増えていて大分大学生?らしくなってるなぁ、、と。麻雀、競馬にも興味を持ち始めているようで、ある意味王道を歩もうとして、、るのかな?、、馬券購入は20歳までダメ!と、家内にクギ刺されてましたが。

そんなこんなでそのうち、言葉の解釈や定義等々で雑談できたりする日も来るのだろうか、、ガチ理系だったらたぶん無かったよなぁ。まぁ、自分にとっては(ボケ防止な)脳トレに近いので相手してくれるかは分かりませんけども、なんて思いながら。

ちなみに最近だと、どこぞで見かけた「トランスサイエンス」なんて言葉が少し気になっています。なんでも「科学によって問うことはできる(A)が(but)、科学によって答えることのできない問題群(not B)からなる領域」との事ですが、、どうにもイメージがつかなかったりしています。

現時点では、狭義での科学的手法は「事実」の定義はできるが、個々人の解釈がベースにある「真実」までは踏み入れることができない、ってあたりでしょうか。で、それらを一時的に「解決」するのが「政治(広義での民意)」の範疇(役割)である、なんてつながるのかな。

まぁ、物事を恒久的に単一の価値観で縛り付けるなんてのは不可能だよなぁ、と歴史を学んだ一人として、つらつらと。

#学問
#科学的素養
#大坪嘉行
#エッセイ部門

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