【読書メモ】『ゲームのルール』(著:ピエルルイジ・コッリーナ / 訳:山口英雄)
少し前、久保君のパリ五輪への不参加が確定との記事を見かけました。本人も納得しているとの事で、東京五輪での号泣の様子を覚えている身としては少し意外でもありましたが、ホッとしていたりも。
今のチームでの活躍も凄いことになっていて、良いシーズンを過ごせていることの裏返しとも思いますし、2年後の2026年のワールドカップ本選への準備をしておきたいのかな、なんて見てみたりも。
サッカーのワールドカップというと、個人的にはまず2002年の大会を思い出します。チケット争奪戦には勝てず大概がテレビなどでの視聴していたのですが、その期間中の2002年6月18日(火)の「日本 vs トルコ戦(決勝トーナメント1回戦)」、私は富山駅にいました。
SE時代の金沢への出張帰りに飛行機の関係で富山空港に向かう途中、偶然にも駅前のオーロラビジョンにて。当時一緒に仕事をしていた方々と並んで観ていました、日本が初めて決勝トーナメントに進出したその1戦を。
最初から全てを観れたわけではありませんでしたが、試合終了のその瞬間、すべての音も色彩も消えたような、そんな世界を画面越しからも感じたのを今でも覚えています、、なんて『ゲームのルール』との一冊を思い返しながら。
2002年のワールドカップ大会、決勝で審判を務められたコッリーナさんの自伝的なエッセイとなります。2003年の本ですから、ワールドカップ後に間を置かずの一冊となっています。今現在(2024年)から振り返るとなんとも懐かしい選手の名前などてんこ盛りなのですが、スルッと落ちてきたのは次のくだり。
業種を問わず、仕事を進めるにあたって共通の認識ではないでしょうか。そして準備とは身体的な意味合いのみでなく、「何をしに行くかということの認識でもある」との心構えも含めてのことだと話されています。
このような想いをベースにされているからこそ、あれだけの実績を残す事が出来たのでしょうか、そして根底にあるのはサッカーへの愛、審判は経済的には決して裕福とは言えないようで、好きでなければやっていけないとの要素をも感じられたりも。
そんな審判という職業の実態についても、ご自身の経験を交えながら丁寧に描き出されています。サッカー観戦にあたって、審判の立ち位置や考え方に触れることができて面白いと感じる一冊ですが、当時から比べるとVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入されたりと審判を取り巻く環境も劇的に変わっています。
ちなみにコッリーナさん、今現在(2024年)はFIFA審判委員会の委員長を務められているようで、VARにも前向きのご様子です。
さて本書では、2002年大会で笛をとった試合の一つ「日本 vs トルコ戦」についても言及されています。試合終了の笛を吹いたのちの10秒間の完全な沈黙と、それに続く嵐のような拍手。それはとにかく結果を出したというチームに感謝の気持ちの表れであろう、、そしてそれは今までの私(コッリーナさん)には沸き起こったことのない感動的な瞬間だったと。
そう踏まえると、当時のキャプテン宮本選手へのこの一言は、今でも震えます。当時富山駅前で感じた想いと、どこか共通していたからかもしれません。
さて、パリ五輪も近づいてきていますが、サッカーに限らず、いろいろな種目での活躍を楽しみに期待したいところ、自分たちらしさを失わないとのことを大事にしながらの(個人的にはバスケに期待しています)。
余談ですが、2002年ワールドカップというと「世界10大誤審」とは切っても切り離せないかな、との点を付け加えておきます。偶然も2度までなら許容しますが、3度以上続いたらもはやそれは「必然」です。
こういった「疑惑」が二度と繰り返されることの無いよう、審判の練度が高まっていくとよいなあ、なんて思いながら、、まぁそれでも、レーザー照射とか延髄蹴りとかはそもそもに論外ですケドネ、と先日のアジアカップも思い出しながら。
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