愛することは地球規模の至上命題だ
最近の私たちは、愛するということがどんなことなのかわからなくて、心のどこかがいつも孤独だ。悟りを開いて、ありのままでいられない。相手と自分の心の間に壁を立てて自由に愛を表現することが難しい。
それなのに、私たちは時に理性を飛ばして不器用に健気に、奔放に傷ついたり傷つけたりして愛するということをやめられない。だからこそ、人間の営みは愛おしくて人間くさいのかもしれない。
愛するということにきっとルールは無い。時に無秩序であり、それは自由として定義づけられる。
そこまで心を解放出来た瞬間は、また一つの愛の形なのかもしれない。
私たちにとって、愛するということは地球規模の至上命題だ。
くちなし
愛するということはどういうことなのだろう。
不倫しているユマはアツタさんからある日突然別れを告げられる。別れても淋しくないようにと、本人との繋がりを欲求してアツタさんの一部である腕をもぎ取ってもらう。そしてその腕を愛おしそうに自分の身体にまとわりつかせながら繋がりを感じている。
愛するということは、肉体的な繋がりを持つことなんだろうか。腕はアツタさんの肉体の一部でしかない。だけれど、アツタさんの温もりや記憶を宿していてそれが愛し続けるということなのだと信じユマは彼女の方法でアツタさんを愛し続ける。
誰かを愛するということ。それはもしかしたら誰かをまるごと、肉体と心ごと愛するということ、ではなくて誰かの一部を心に秘めておくというかたちも存在するのかもしれない。
だけど、心の欠けている部分は肉体では埋められないようにも思う。
一方、アツタさんの妻は彼に依存してしまいそうなほどにアツタさんの全てを抱いていたいと感じている。
だけれど、愛するということは相手を所有して管理して、縛り付けることでもない。
一つの顔を愛するということは気楽だ。一方で全てを愛するというのは苦しみを伴ってしまう。
愛することは、実は簡単なことではないのだ。
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