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祁氏通背拳小架式(修剣痴系五行通背拳)研究ノート。 徒練不思終無益,習而不專難以奇. 欲求其中絕妙法,恒心持久貴專一. 修劍癡

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祁氏通背拳小架式(修剣痴系五行通背拳)研究ノート。 徒練不思終無益,習而不專難以奇. 欲求其中絕妙法,恒心持久貴專一. 修劍癡

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  • 五行通背拳『小連環』を考える

    ”五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論”。関連の論考はこちらにまとめておきます。

最近の記事

祁家通背の伝承を貫くもの-「単練為主」再考―

はじめに-8/12通背拳講習会をふりかえって2024年8月12日、都内某所にて一般の方々向けの祁家通背拳(小架式)講習会が行われました。   これは日中武術交流協会(会長 常松勝)としては初めての試みでした。本講習会の実現は、ひとえに企画・運営、技術指導にあたられた新井、清宮両師兄による御尽力の賜物でした。   この機会に、両師兄にあらためて敬意を表するとともに、惜しみなく通背拳の技術、味道、そして魅力をお示しくださった常松先生に深く感謝します。   この講習会は、揺臂法(

    • 武術史の余白に:「国術」黎明期における修剣痴と「搏撃(bójī)」(その1)

      ◇ある一枚の写真から生まれた疑問修剣痴(1882-1959)は、中国の三つの時代を生き抜いた武術家です。 清朝末期に生まれ、中華民国の動乱期に国民党系軍の部隊で武術教官を務め、そして中華人民共和国の誕生を見届けました。 青年期,河北の地において形意拳、祁氏通背拳大架式(老祁派)、および祁氏通背拳小架式(少祁派)を学び、これらに自らの経験、独自の工夫を加え、五行通背拳へと理論化、体系化させました。 下記に掲載した一枚の写真は、1942年頃、修剣痴60歳の記念に撮影されたと

      • 燕北大侠 修剣痴の足跡(あしあと)

         通背拳の套路『小連環』をついて書き進めながら、この套路を編み出した修剣痴という武術家のことについて一度もまとまった形で取り上げていないことに今更気づきました。  以下、年表形式で修剣痴の歩みがどのようなものであったか、まとめました。  主な出典は、王炳蓮『大連武術百年歴史回顧』(世界図書出版公司 2012年)』、趙錫金『大連武術簡史』(大連出版社2013年)及び『大連通背拳簡史』(大連出版社2014年)等ですが、年表に記載された個別の記述が準拠する資料源詳細については割

        • 五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論(その参)

          はじめに今回の投稿では、まず1980年代に撮影されたもうひとつの『小連環』演練動画をとりあげ、その特徴について分析したいと思います。 次に、前回投稿した林道生老師演練の『小連環』動画とを比較しつつ、二人の通背拳家の『小連環』の違いについて考えていきます。 社文起老師演練『小連環』の特徴についてまず、動画をご覧ください。演練者は社文起老師です。 社老師は1944年生まれ。1953年に高玉春老師に師事、秘宗拳を修行した後、1965年に房連徳老師(1923年-1990年)門下

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        • 五行通背拳『小連環』を考える
          3本

        記事

          五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論(その弐)

          はじめに-套路『小連環』の位置づけ 『小連環』とは計26の動作から構成される大変短い套路であり、普通の速度で演練すれば、わずか20秒から30秒足らずで終了してしまうものです。 しかし、この套路は、短いながらも修剣痴系五行通背拳の真面目を伝えており、修大公が編纂した套路の代表として必ず言及されるものでもあります。 更に『小連環』は、通背拳のいくつかの技法の基礎的組合せ(連環)パターンを習得する「六路行状」と、中級以上の套路である「通背掌」、「猿鵬奇勢」などを架橋する役割を

          五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論(その弐)

          新井亘師兄のDVD「通背拳はこう戦う」発刊によせて

          某日、雑誌『秘伝』の取材対応のため新宿本部を御来訪くださった新井亘師兄。取材終了後、「久しぶりに三合炮、やろうよ。」と声かけ、親しくご指導くださった。 その新井師兄の摔拍掌鑚拳の速さ、鋭さ、重さ。そして、変化を蔵した柔らかさ。 あゝ、これが目指すべき拳なのだ。その時、あらためてそう感じ、嬉しくなった。同時に、三合炮を通じて、師父 常松勝へと繋がる武術の血脈に思いを馳せた。 三合炮を続けるうち、ふと、右斜め前方から鋭く、喰い入るような視線を感じた。少し離れたところから、弟

          新井亘師兄のDVD「通背拳はこう戦う」発刊によせて

          五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論(その壱)

          先日投稿した「修剣痴五行通背拳に関する”4つの発展段階”について(序論)」では、大連の通背拳家である閻子奇老師(劉泊泱徒弟。元大連市武術協会主席。)が示された「修氏五行通背拳的发展经历了四个阶段」説を御紹介しました。 この「修剣痴武術の四段階発展説」は極めて示唆に富んだ指摘であり、これを基本的な仮説として措定しつつ、修剣痴の五行通背拳がどのように形成され、発展していったか、また、これが後世、どのように受容、継承され、また時代を経る中でどのように変容していったのか検証、研究し

          五行通背拳『小連環』を考える-修剣痴武術の形成・発展・継承とその変容についての一試論(その壱)

          修剣痴五行通背拳に関する”4つの発展段階”について(序論)

          本稿は序論の位置づけを与え、一番はじめに投稿するべきものでした。以前X(旧Twitter)に連続投稿した内容を整えなおし、以下に再掲します。 動画は薛儀衡(義恒)老師(修剣痴徒弟。瀋陽体育学院で指導。徒弟に関鉄雲老師。)の劈山炮です。下記の鞠波老師(遼寧省营口市)演練による劈山炮と大分異なります。 修氏通背拳では同一名称の套路でも伝承者間での差異が激しく、困惑させられることが度々あります。 この違いはどこから来るのでしょうか。 大連の通背拳家 閻子奇老師(劉泊泱徒弟。

          修剣痴五行通背拳に関する”4つの発展段階”について(序論)

          「裹(guǒ)」から見える風景 ー 1920年代における通背拳と形意拳との接点について ー

          起式には各門派の根本原理や思想が集約的に表現され、決して疎かにできないと理解しています。 この動画では修剣痴系五行通背拳の起式動作、攏胸(懐中)抱月(転換交差手)から獅子滚球、立鶴舒頂(引手)に至る一連の流れを石全老師(修剣痴-于少亭-陳清真-石全)が丁寧に解説されており、大変勉強になります。特に獅子滚球を取り上げ、「拧裹」(注)という字訣に触れながら、これを引手から摔掌等への変化にも繋がる重要な過渡式と位置づけ、説明しているのが大変印象的です。 (注)体幹を内側に包(く

          「裹(guǒ)」から見える風景 ー 1920年代における通背拳と形意拳との接点について ー