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祁家通背の伝承を貫くもの-「単練為主」再考―


はじめに-8/12通背拳講習会をふりかえって

2024年8月12日、都内某所にて一般の方々向けの祁家通背拳(小架式)講習会が行われました。
 
これは日中武術交流協会(会長 常松勝)としては初めての試みでした。本講習会の実現は、ひとえに企画・運営、技術指導にあたられた新井、清宮両師兄による御尽力の賜物でした。
 
この機会に、両師兄にあらためて敬意を表するとともに、惜しみなく通背拳の技術、味道、そして魅力をお示しくださった常松先生に深く感謝します。
 
この講習会は、揺臂法(ようひほう)と言う腕回しなどの“基本功”から五行掌を中心とする最も重要な“単式”(一つ一つの技。“単操”とも呼称。)、そして幾つかの“基本散手”(対人練習)をひとつひとつ丁寧に辿り、常松先生の技にも直接触れながら練習を進めるプログラムで、大変充実した内容ではなかったかと考えます。
 
また、今回の講習会は、協会員の末席に身を置く自分にとっても、師 常松が継承する祁家通背拳(小架式)が大切にしているものとは何かを改めて考える大変貴重な機会となりました。

※なお、本稿は個人の感想、見解であり、筆者が属する日中武術交流協会を代表するものではございません。この点お含みおきいただけますと幸いです。

「単練為主」再考

今回ご参加された方々の中には、講習会プログラムのなかに『套路(一連の動作/技を組み合わせた空手で言えば“型”)』が組み込まれていなかったことを不思議に思われる方いらっしゃったかもしれません。
 
実は、伝統的な祁家通背拳の教学体系の中では、そもそも套路学習は副次的位置付けです。ここが些か他の中国武術門派と異なるところかもしれません。
 
「単練為主(dān liàn wéi zhǔ)」
 
これは、新井亘師兄(日中武術交流協会 群馬支部・竹影清風代表)により昨年秋に発刊された通背拳の教材DVD『中国伝統武術の散手 通背拳はこう戦う(BABジャパン)』に付された副題です。

 
解題すれば、“単式”(ひとつひとつの技)の鍛錬を主とし、“散手”(対人練習)で使い方を身につけるという、祁家通背拳に継承される独自の教学思想を四文字で表現したものです。そして、8月12日の通背拳講習会もまた、この考え方に基づき、プログラム編成されたものでした。
 
ご関心を持たれた方は、是非、上記にご紹介したDVD教材をご覧いただきたいのですが、ここでは「単練為主」に纏わる幾つかのエピソードをご紹介させていただきます。
 
これらの逸話に触れることは、いま祁家通背拳を練習している方々、あるいはこれから祁家通背拳を学んで見ようかと考えておられる方々にとっても、決して無駄ではないだろうと愚考するからです。
 

(エピソード その1)


大連で著名な通背拳家である王世江老師(修剣痴-王耀庭-王世江という伝承系統)は、ある寄稿のなかで、以下のような文章を記されています。

「我会的东西极少、通背拳一百零八式我只会在拳坊师父给教我的那不到二十个单操、虽然后来在交流当中也见到一些东西、但我绝不去练它。就在这不到二十个单操中、我现在也只练伸肩、摇膀子、中拳、拍掌、掸手、群捉和转换掌、其余一律不练、目的就是为了功夫集中、这到专精。」
 
【拙訳】
わたしができる技など甚だ数少ない、通背拳には108式(の個別技法=単操)あるが、わたしができるのは拳坊(武館)で師父がわたしに教えてくださった、数えれば二十にも満たない単操(個別技法)である。とは言え、その後の(他の同門修行者との)交流のなかで幾つか他の技(108式のうち未習の単操)に触れることもあった。でも私は決してそれらの技を練ることはしなかった。これら二十にも満たない単操のうち、わたしが今でも練っているのは僅かであり、それらは伸肩(法)、揺臂法(腕回し)、中拳、拍掌、掸手、群捉と転換掌である。ほかの技は練らない。目的はただ功夫(時間を掛けて完成度をあげる努力)を集中させ、これにより(限られた)技に専心、精通するためである。

原文の「专精(専精)」は、「専(もっぱ)ら精(くわ)しくする」と漢文書き下し的に訳出した方が、よりこの言葉の持つ凛として質実な響きが伝わるかもしれません。
 
師から教わった単式(単操)を、ひとつひとつ大切に、時間を掛けて繰り返し練り、身体に沁みこませ、我がものにしていく。こうした息長く、地道な努力を継続すること。ここにこそ、祁家通背拳の伝承を貫く、最も大切な思想が表現されているかと思います。

(エピソード その2)

不世出の天才武術家、故・佐藤聖二先生(太気・意拳門)も、青年時代の一時期、常松勝のもとで、祁家通背(小架式)を学んでおられたことは良く知られています。
 
そして、佐藤先生が北京留学時代、張啓明という祁家通背拳(おそらく大架式)の武術家に出会い、その技を学んだ時の様子は、鮮やかに先生の手記に残されています。


「この方は張啓明先生と言い、それより毎朝マンツーマンで教えて頂きましたが、初めの一か月は、伸肩法などの準備運動と摔掌という一手のみをただ繰り返すだけで、次の一か月は別の鑚拳という一手、三か月目はまた初めの摔掌に戻ってそれのみ、4か月目はやはり鑚拳の一手に戻って、と結局4か月間、毎日学んでも僅か二手しか習えませんでした。しかし却ってそれが大変勉強になりました。その後張先生は突如来なくなり、会うことができなくなりました。」

(『佐藤聖二遺稿集 太気拳・意拳研究ノート(日貿出版社)P.402-403』)

こうした教学方法は、まさに祁家通背拳の正統を継ぐものです。

(エピソード その3)


 祁太昌(?-1850)は、我々が学ぶ祁家通背拳小架式の創始者であり、19世紀を生きた武術家です。この祁太昌が弟子を指導する際のエピソードは、いまでも語り伝えられており、大変興味深いものです。
 
内容は凡そ以下です。
 
祁太昌に師事することを希望した張友春(1836-1900。“張玉春”という表記もあり)は、最初なかなか入門を認めてもらえなかったが、張が熱心に懇願し続けた甲斐あり、祁太昌からようやく伸肩法(最重要の基本功)のみ学ぶことを許された。
 
当時、祁太昌は、いろいろな場所を巡回指導しており、他の徒弟(正式弟子)に、「自分がこの土地に戻ってきても、張友春には知らせるな。伸肩法がつまらないと思えば、どうせ練習を止めてしまうだろうからな。」と言い残し去っていった。
 
この話をたまたま聞き及んでしまった張友春は発奮し、三年の間、只ひたすら伸肩法のみを練り続けた。これを知るに至った祁太昌は、深く心を動かされ、張友春を収徒し(正式弟子として認め)、摔掌、拍掌、捕鼠という三つの単式(技)のみ授けた。
 
張友春は、さらに三年の間、教えられた三つの技のみひたすら練り続け、それらの技において張に並び立つ同門修行者はいないまでに至った。やがて、張友春は “神手”と呼ばれるほどの武術家になった。

 
多少の誇張も含まれている話かもしれませんが、様々な同様のエピソードが、大連の祁家通背拳修行者の間で言い伝えられているようです。

おわりに

師 常松勝も、于少亭に師事した際の修行について、ある武術雑誌編集部のインタビューに下記のとおり答えています。


「通背拳では最初に揺臂法(ようひほう)と言って腕をグルグル回す練習や伸肩法(しんけんほう)という訓練を十分に行います。これは技に入る前の基本中の基本ですが、通背拳を学ぶための体づくりとして非常に重要なもので、これを十分にやっていないと通背拳を身に着けることは不可能です。
 私が于少亭先生に入門したときは、この伸肩法と揺臂法だけを二年間もやらされました。この揺臂法や伸肩法は肩を柔らかくする練習としか考えていない人も多いと思いますが、実際には身法を用いて腰からの力を背中を通して、肩、腕に伝える練習でもあるのです。つまり腰を中心として全身の動きを協調させることにより単なる手打ちではない大きな威力を発揮する基礎訓練にもなっているのです。」

(『武術(うーしゅう)1996年秋号(福昌堂)P.20』

現在、日中武術交流協会で学ぶ祁家通背拳小架式は、その始祖である祁太昌から許天和、許天和から修剣痴(1882-1959)、修剣痴から于少亭(1990-1972)、そして于少亭から常松勝に伝えられたものです。

于少亭は、1917年、17歳の頃、修剣痴が大連で通背拳の指導を始めたごく初期に入門しており、修剣痴の「開山弟子」(最初の正式弟子)のひとりと言われています。

また、上記の(エピソード その1)で言及された王耀庭(1907-1976)は、1921年ないし22年、14~15歳頃に修剣痴のもとへ入門したと伝えられています。

于少亭、王耀庭とも修剣痴から、祁家門特有の極めて伝統的な教学法に従って通背拳の技を受け継いだ武術家であり、こう言ってよければ、「祁家通背門オールド・スクール」(注)に属する伝承者です。日本の地において、この系譜に繋がる祁家通背拳(小架式)を学べることは極めて貴重と言えるでしょう。

(注)これに対して、今や中国遼寧省大連で主要な勢力を成すのが劉伯泱(1908-1985。1938年~1940年頃に修剣痴に入門。少年期に秘宗拳を学び、修剣痴に入門する以前から武館を経営するほどの腕前。)、林道生(1935-2002 。1943年頃、八歳で修剣痴に入門。)両系統の通背拳と言えるかと思います。
 劉伯泱、林道生は、1930年代末期から1940年代初頭頃、いわば修剣痴の晩年に入門したわけですが、その当時、修剣痴自身の考え方もかなり変わり、数多くの套路を修行者に伝授する教学体系に変化していったようです。この点については、小連環に関する投稿のなかで、今後、触れていきたいと考えています。

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