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それでも、たくさんの映画は私を救ってくれた

貪るように映画を観ていた時期があった。あれはたしか、大学終わりごろから社会人になり始めたくらいの頃だったと思う。大学を卒業する頃は、実家の近くのミニシアターでリバイバル上映されている映画をよく見ていた。その頃頻繫に会う友人が映画好きだった影響もあったと思う。

社会人になってからは、同僚がとても映画好きだったこともあって、よく職場で映画の話をしていたし、週末や仕事終わりによく新宿のケイズシネマやシネマカリテ、新宿武蔵野館などのミニシアターに行った。東京に来て、色んな映画館があることが楽しかった。そして、この世に映画は無数にあったし、見れば見るほどその魅力にハマっていった。

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「昔、映画ばかり見ていたときがあってさ、楽しかったんだけど、どんどん現実世界と自分がかけ離れていく感じがあったんだよね。」

ぽつりと映画好きの同僚が言っていたことを覚えている。

そのときの私は「へえ、そんなんだ」と言ったけれど、今はなんとなくその台詞の意味が分かる。たしかに今思うと、その頃の私は映画やアートにハマっていて(もちろん今も好き)、職場での人付き合いはあんまりせず(そんなのめんどくさいと思っていた)、「ちゃんと仕事やってるんだからいいでしょ」という感じで自分の趣味に没頭していた。私のことを分かる人だけ分かってくれればいい、友人以外の人間関係はそんな投げやりな感じだった。

そういえば、と思い出す。
かつて出版社で働いていた人が「本を読むっていうのはさ、現実世界と距離を取るっていうことなんだよね」と言っていた。たしかにその頃の私は異常なペースで本を読んでいたし、ちょっと心配されてそう言われたのかもしれない。

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あれから何年かして、しばらくあまりに現実が忙しすぎて、大好きだった本も映画もアートも何も興味を持てない期間があった。多分、転職とかコロナ禍での生活とか、プライベートの変化とかそういう色んなことが積み重なっていったんだと思う。それまでよく一緒に美術館に行っていた友人たちとも、なかなか気軽に出かけることができない期間が長くあったし、映画館も行くのは憚られるような風潮があった気がする。

本屋にはしばらく行っていなかったし、仕事から帰ってきても、YoutubeやSNSをぼんやりと見ることしかできなかった。あれ、ここ最近何をしていたんだっけ、と思い出そうとしても何も思い出すことができない感覚。かつてからの友人と話をしていても「あれ、趣味変わったの?」と言われた。

気が付いたら小説に没頭することができなくなっていた。あれ、私最後に読んだ小説って何だったろう。

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「最近、小説が読めないんですよね。読むことができても軽いエッセイくらいしか読めなくて」

かつて私に「本を読むっていうのはさ、現実世界と距離を取るっていうことなんだよね」と言っていた人にぼやいたことがある。

本を読みたいから読んでいたはずなのに、いつの間にか「読まなくちゃ」「読まないといけない」と思っていたのかもしれない。私は、特に「本を読みなさい」と育てられたことはなくて、好きで読んでいただけなのだけれど。

「読みたいときに読みたいものを読めばいいじゃない」とその人に言われて、そっか、そうだよな、と思い直すことができた。きっと今はそういう時期なだけなのだ、と思うことにした。

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それからまた時は流れた。

映画は相変わらず好きだし、アートも本も相変わらず好きだけれど、かつてのように貪るようにインプットすることはなくなった。長らく小説を読めていなかったけれど、久しぶりに旅行に行ったとき、本屋さんで「小説が読みたい」と思えたことが嬉しくて、最近はよく本屋さんに行く。朝の通勤時間に村上春樹の小説を少しずつ読んでいる。

映画館には夫と行くことが多くなり、大抵土曜日の夜に見に行く。帰りにはスターバックスでケーキとコーヒーを買うのがお決まりのコースだ。

職場では、同年代の女の子たちと話すことが楽しくて、ブラッシュアップライフの4人よろしく1時間ずっと喋り倒している。昔は趣味の合わない人とどう話していいのか全く分からなかったけれど、映画も美術館もあんまり行かないという同僚とも毎日楽しく話している。

あの頃のように、現実世界とちょっと距離を置くかのように、映画の世界に行くことはなくなった。

代わりに、夫が高校生の頃からずっと好きだったというジャズ漫画「BLUE GIANT」の映画を観たり、夫が大学時代からずっと好きだという「四畳半神話大系」の映画(四畳半タイムマシンブルース)を観たりして、私と出会う前の頃の夫に会ったような気分になるなどしている。

映画をあまり観ないという後輩とは、ドラマの話や服の話や恋愛の話、メイクの話で盛り上がっている。

あの頃の私は、誰かと話をするときに共通の言語のようなものがないと誰かと会話をすることができなかった。それは、映画だったり本だったり音楽だったりした。自分のプライベートを話すことが極端に苦手だったし、相手のプライベートに踏み込むことも苦手だったから、好きなものが共通している人としか話ができなかった。

それでも、たくさんの映画は私を救ってくれたと思う。辛いことがあった時、映画館の後ろの席でこっそり泣いた。映画館は暗いし、感動して泣いている人なんかたくさんいるから、泣いていても不自然じゃないことが有難かった。大好きな宇多田ヒカルが主題歌の映画は2回も映画館に行って、2回とも泣いた。昔は、小説や映画で泣くことなんてなかったのに、いつからか涙腺が弱くなって映画でボロ泣きするようになった。女友達と映画のファッションの話で盛り上がった。

どれもこれも大事な思い出である。高校生の時に初めて洋画を見始めたときとか、初めて一人で映画館に行ったこととか、今はもう借りることのなくなってしまったDVDとか、地元の映画館のこととか。

そんな全てを抱えて、これからは自分の好きなことで誰かとつながっていきたいと思う。そして、他の世界が好きな人たちともたくさん話をしていきたい。きっとそれらは誰かの世界を私に見せてくれるし、それらが綺麗な輪になってまた新しい私の居場所ができるんじゃないか、と思っている。









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