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【ショートストーリー】日本人はおとなしく行列に並ばない



牧村裕太まきむらゆうたは、こんなところでアルバイトするんじゃなかった、と後悔した。心の底から後悔した。でももう遅い。後悔先に立たず、だった。


裕太は『ニックンワールド』でアルバイトを始めて、三年になる。「牛のニックン」とその仲間たちをモチーフにしたテーマパークで、そのゆるいコンセプトが注目され、あっという間に、知名度が高まり、国内のテーマパークでは四年連続売り上げナンバーワンを誇る。
今日も開園後一時間で、予想入場者数を遙かに上回り、入場制限がかかった。
名物である「焼き肉味あられ」を売っている裕太は、殺人的な忙しさに悲鳴をあげていた。
ワゴンを押しながら、同僚の鈴木がやってきた。
「裕太、交代。休憩入れ」
交代まで五分ある。裕太は鈴木が運んできた、できたてのあられを補充するのを手伝う。
「もうすぐ制限解除するってさ」と鈴木。
「減ったの、お客さん」
「減るわけないだろ。運営に苦情が殺到、なぜ制限なんてかけるんだって」
「もう限界だよ。そのうち事故が起きるよね」
「起きてからじゃ、遅いんだけどな」
鈴木が接客を始めたので、裕太はバックに戻っていった。

裕太が従業員専用の食堂で昼食を取っていると、スーパーバイザーの谷がやってきた。
「牧村くん、休憩中?」
「あと30分で終わりますけど」
「あのね、休憩が終わっても、ワールドには戻らないで」
引き続きバックにて待機しろとのことだった。いつも冷静な谷だったが、取り乱しているようにみえる。
理由を知りたかったが、今はやめた方がいいと思い、谷が行ってしまうと、彼は食事を早々に切り上げ、所属部門の事務棟にもどった。
事務棟は休憩室もある、そこそこ大きな建物なのだが、いまはアルバイトやスーパーバイザーなどでごった返していた。普段は見かけることがない運営会社の社員たちも居た。
鈴木の姿を見かけた裕太は、声をかけようと近づいていった。
「いったい何があったんだ」
鈴木はおびえたような表情を見せる。
「客が暴徒化したんだ。暴れて、放火とか、物をこわしたりしてる」
その意味が裕太にはすぐには理解できなかった。
「制限解除したらしいんだけど、客が殺到して」
他の者たちも口々に、
「再度制限をかけようとしたら、あぶれた客がゲート壊したって……」
「入場できたお客さんも、アトラクションが3時間待ちとかになってて、キレて、集団でクレームとか、殴られたスーパーバイザーも居たらしい」
「売店で略奪してた」
——そんな馬鹿な。
裕太はワールドの方角を振り返った。

ニックンワールドでは従業員専用エリアをバックと呼んでいる。対して、遊園地エリアはワールドと呼ばれていた。
バックとワールドは壁で区切られている。出入り口は無数にあり、「関係者以外立ち入り禁止」と警告されているが、そのほとんどは施錠されていない。
鈴木の話を裏付けるように、ワールドの何カ所から煙が上がっているのが見えた。
裕太たちが居る場所は、ワールドから距離がある。にもかかわらず、悲鳴や破裂音、何かが壊される音、そして怒声がはっきりと聞こえてくる。

「徒歩で本棟に避難して」
谷が指示してまわっている。声がかれていた。
本棟とはニックンワールド運営会社の社屋のことである。
本棟であれば警備員もいるし、もしかしたらもう警察が到着して対応してくれているかもしれない。
そのとき、ワールドの方角からひときわ大きな音がした。目を向けた裕太はとんでもない光景を目の当たりにする。
出入り口が突破され、暴徒たちがバックになだれ込んでいる。
裕太は考えるより先に動いていた。
全速力で走る。
背後で悲鳴があがった。振り向かない。何が起きているのかなんて知りたくない。
本棟にたどり着けさえすれば助かる。裕太は自分に言い聞かせ、とにかく走る。
右側は植え込み、植え込みの向こうは駐車場になっている。駐車場に暴徒がいる様子はない。そしてワールドに面している左側は倉庫だ。パレード用の山車を格納しておく倉庫なので大きくて頑丈だ。暴徒には突破できないだろう。
ガラガラガラガラ
金属音がした。金属が擦れる音?
倉庫のシャッターが開く音だ。
雄太の前方、50メートルほど先にいきなり山車が現れた。普段はキャラクターたちが乗りこみ、観客たちに手を振るパレード用の山車。今は暴徒たちが占拠し、雄叫びを上げながら進む、地獄の具現化だった。
暴徒たちを満載し、ゆらゆらと不安定に進むその姿は異形の生き物のようだ。
彼らの何人かは、あるものを掲げて凱歌をあげていた。かつては人の一部だった『それ』は、今は暴徒たちの怒りのシンボルとして、ゆらゆらと揺れていた。
『それ』と目が合ったような気がした裕太は、立ち尽くした。

—— 入場制限がそんなに頭にくるものなのか?
裕太は悔しくて涙が流れた。
——3時間待ちを理由にここまでして許されるのかよ?
裕太は力が抜けていくのを感じた。
——日本人はおとなしく行列に並んで、順番待ちをすることができる民族じゃなかったのか?
爆発音が轟く。本棟のあたりに火の手が上がっている。
後ろから圧を感じる。ものすごい勢いで大勢が近づいてくる。
裕太は振り向かない。もう遅い。

(終)


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