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【ショートストーリー】偉大な監督の偉大な作品

1:

Jはそのニュースを見て、驚愕した。
あの偉大な映画監督、Kが、新作の準備を始めたというではないか。
Kといえば、世界中に知らぬものがない偉大な映画監督である。ところが十年前に、突然「もう映画は撮らない」と宣言。以降、表舞台から姿を消していた。
Jはすぐにエージェントに連絡し、Kの新作に、どのような役でもいいから出演したい旨を伝え、K側と至急コンタクトを取るよう指示した。
ハリウッドが誇る大スターであるJ。彼には黙っていても仕事のオファーが来る。出演作を選ぶことができる数少ないムービースターなのだ。その彼が、自ら出演を切望するほどなのである。無償でもノンクレジット扱いでもかまわない。K監督の映画に出たい。これはギャラやステータスの問題ではないのだ。

2:

エージェントからの報告を受け、Jは落胆する。K側の代理人より、正式に出演を断る連絡があったというのだ。エージェントの話では、J以外の俳優もことごとく出演を断られているという。
Jは交渉を続けるよう指示し、可能であれば新作のシナリオを入手するよう依頼した。
さらに彼はコネを使うことを考えていた。Jの前妻の再婚相手が、監督のいとこなのである。前妻とは、いまも仲の良い友人として交流がある。彼女に頼んでみよう。彼はぜったいに出演を勝ち取るつもりだった。

3:

吉報が届いた。
エージェントが、新作のシナリオを入手したというのだ。
早速、目を通すJだったが、
——これは違う、偽物をつかまされたな。
Jも俳優生活が長い。脚本の善し悪しは瞬時に判断がつく。ましてやKが書いた脚本が、ここまでひどいものであるはずがない。
シナリオが本物であれば、この役をやらせて欲しいと具体的に頼むことで、アプローチしやすくなると考えたのだが、失敗に終わった。
さらに、コネを使ったアプローチも失敗する。
いとこが言うには、今回の映画は、K監督が自らの半生をつづるドキュメンタリー映画になるらしい、だから、俳優の出演はないし、関係者のインタビューなども今のところは撮影しない意向だというのだ。
新作はドキュメンタリーだった。これにはJも驚いたが、だからといって出演を諦めるわけにはいかない。もはや直接あって頼むしか方法はない。

4:

偉大な映画監督Kも、プライベートでは一般人に混じって大型スーパーで買い物をする。その日、いつもと同じように野菜を選んでいたKに声をかける者がいた。
「K監督ですよね?」
声をかけてきた男はサングラスを外して、笑顔をつくる。
「Jと申します。残念ですが、私はあなたの映画に出たことがありません」
監督はにっこりと笑う。
「もちろんそうだ。きみのことはよく知っている。きみの映画は全部見ているんじゃないかな」
「ぜひ、出たいと思っています」
「残念だな。もちろんきみのせいじゃない。すべてはわたしのせいだ」
監督は野菜を一つ手に取ったが、顔をしかめて棚に戻した。
「私はねJくん、もうやりたいことはすべてやりつくしてしまった、と思っている。ただの思い込みかもしれないけどね」
Jは考えた。
—— ストレートに切り出した方がいいだろう
「監督、新作に私を出演させてください」
「難しいな。今度の作品には俳優は必要ないんだ」
「どんなかたちでも私は満足です。スタッフでもいいと思っています。あなたと一緒に仕事がしたいのです」
監督は考えていたが、
「熱心だな」とつぶやき、野菜を手に取った。
少しの間眺めていたが、満足したようすで、カートに入れた。
「それはやめた方がいいです」
Jはカートの野菜を戻すと、別のものを選び、カートに入れ直した。
「こちらのほうが新鮮です」
「Jくん。ぜひ君に手伝ってもらおう、詳細はキミのエージェントに伝えておくよ」

5:

一週間後、Jは指定された場所に、自分で愛車を飛ばしてやってきた。
そこは、K監督の自宅だった。
意外ではない。ドキュメンタリーなので、スタジオでの撮影は行わないのだろう。
監督は笑顔で向かい入れてくれた。
「よく来たね。迷わなかったかい?」
「迷いましたとも。こんな普段着でいいのかどうかって」
ふたりは笑った。
「早速だが、始めるとしようか」
「他のクルーは?」
いくらドキュメンタリーとはいえ、撮影クルーは必須だ。
「他のクルーだって? いないよ。キミと私だけだ」
「監督と私だけ? それでは撮影にならないのでは?」
「撮影? 勘違いしているな、J。私の新作というのは映画じゃない」
監督はいたずらっぽく笑ってみせる。
「僕の新作というのは、料理だ」
—— 料理?
Jはきょとんとする。
「いやあ、だますつもりはなかったんだ。ちょっとしたサプライズだと思ってくれ」
「ドキュメンタリーを作るのではないのですか?」
「ドキュメンタリー?」
Jは監督のいとこの件を白状した。
「自分の原点を見つめると、あいつには説明したんだが、勘違いしたんだな。まあ、とにかく始めようじゃないか、パンケーキを作るんだ」
監督はJにエプロンを放ってよこした。

生地をこねて、焼く。単純ではあるが非常に奥深い。
Jがこね、監督が焼く。
「パンケーキは私の原点なんだ。父がパンケーキ店で働いていてね。本当に勤勉な男だった。自分のことは後回し。私が映画に興味を持ったことを知って、カメラを買ってくれた。そのおかげで監督になれたんだ」
Jにも似たような思い出がある。ビッグスターを夢見て、ハリウッドにやってきたが、オーディションはことごとく落選。しかたなくスタンドでホットドックを売りながら生活していた。そんなある日いきなり父が客としてホットドックを買いに来たのだ。出張で近くに来たから姿を見たかったんだ、という父親だったが、Jは恥ずかしくて仕方がなかった。役者を目指して、大見得切って、でも現実はこれ。
ホットドックを頬張りながら、父は言った
——おまえの目は死んでない。安心したよ
だから頑張れたなんて、安易なことは言わない、でも背中を押してくれたことは事実だった。
「手が止まっているぞ。J」
彼は監督とのこの時間が、とても楽しくなってきた。
料理は外食か、専用の料理人に任せていたので、自分で作るなんて久しぶりだ。
焼き加減に一喜一憂する監督を間近で見られるのも、貴重な体験だった。
あの偉大な監督、すべてのムービークリエイターが父と仰ぐKが少年のようにはしゃいでいるなんて。

「料理と聞いたときは、正直がっかりしましたが、でも今は、誘っていただいたことに感謝しています」
「キミは堅いなあ。まだ緊張しているのか。酒が足りないんじゃないのか?」
日が暮れ、夜景を見ながら、ふたりでグラスを傾けていた。酒の肴は山のように積まれたパンケーキだ。
JとKはたわいもない話をし、突然会話が途切れ、夜景を見ながらそれぞれが物思いにふけり、再び会話で盛り上がる、ということを繰り返していた。
——素晴らしい経験だ。彼の映画に出るよりも、ずっと素晴らしい。
「映画は本当に、二度とつくらない。それでいいんだ。パンケーキの店を開こうと思ってる。ほんとだよ。チェーン店なんかにするもんか。小さいが、元気のある店にしたいなあ」
「監督、一つ聞いてもいいですか?」
「いいとも」
「なぜ私を誘ってくれたんですか?」
「スーパーで会ったとき、キミは野菜を選び直してくれた。こっちの方が新鮮だと言ってね」
監督はグラスを傾けた。
「私も同じことをよくやっていたんだ、子供の時だよ。父の買い物についていって、こっちの方がおいしいよってね。それを思い出したのさ」
ふたりは無言で夜景を眺め、それぞれの思いにふけっていった。

(終)


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