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幸福をもたらすもの「家族」

こんばんは。パソコン仕事が多すぎてタイピングスピードが今更上がっている小学校教員のとらです。

さて、わたしは自分のことを教師ではなく教員と名乗ることが多いです。師はだれかから尊敬されて相手から呼ばれる呼称だと、高校生くらいの頃思っていたからで、教室では自分のことをあまり「先生は~」とか言わずに「わたしは~」とか言っています。

#別にどうでもいい話


今日はラッセルが幸せをもたらすとして挙げているもののうちの3つ目、
「家族」について書いてみようと思います。

ちょっと、現代とは書かれた時代背景が違うので、今日の内容は「うーん」となる方も多いかもしれませんし、わたしもこの部分だけは納得しつつも、すべての人にはあてはまらないような気がしています。

はい、では紹介していきましょうか。


個人的に言えば、私自身は、親としての幸福は私の味わったほかのどんな幸福よりも大きいと思っている。

ラッセル 幸福論

ラッセルさんはそうなんですね!というくらいに読み進めつつ・・・。
まあ確かに、子どもがいる人生は幸せです。ただ、子どもがいない人生が幸せではないかと言えば、そんなことはないかなと思いますが。

もう一つ。

この世で幸福になるためには、自分のことをまもなく一生を終える孤立した個人として感じるだけでなく、最初の胚珠から遠い未知の将来へとどまることなく流れていく生命の流れの一部だ、と感じることが必要である。

ラッセル 幸福論

ラッセルはきっと、子どもがいる人生が幸せだったのだろうと思います。
子どもに希望を抱いて、幸福な気持ちになったのではないかと考えます。
ただ、この先に注目したい言葉があります。

現代世界において親であることの喜びを満喫することは、私が上で述べてきたような子供に対するこの尊敬の態度を深く感じられる両親にしてはじめて可能である。

ラッセル 幸福論

子どもに対する尊敬という言葉。素敵ですね。

わたしは親としてはもちろん、教室に入るときも、この気持ちを大切にしています。「この子どもたちが未来を担っていく人間なんだ。」と、尊敬と信頼を込めて見つめるようにしています。

ちなみにへりくだって、子どもの方がが偉いと言っているのではありません。同じ人間としての尊厳を子どもが持っているという前提で、接するということです。

愛情につながることでもありますが、お互いの人間としての尊厳を大切にしあうというところでしょうか。

大人である教師も、子どもたちも総じて尊重されるべきであるし、人権を奪われるようなことがあってはならない。そう思います。

さて、幸福をもたらす要因について「熱意」「愛情」3つめの「家族」について書いてきました。次は、「仕事」についてです。

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