マガジンのカバー画像

過去

39
運営しているクリエイター

#仕事について話そう

人は未来を思い出しながら生きている。


例えば、のり子が行った着せ替え人形の投票企画でいうと、のり子がディスプレイしたお人形たちを子どもたちがウインドウのガラスにおでこやほっぺたを付けて見ている様子を想像すると、のり子は嬉しくなりました。

そして、当選した方にお人形を渡し、記念写真を撮った時の可愛い顔を想像するとワクワクしてきました。

このようにまだ起きていない未来のことを思い出しながら今、

もっとみる

おもちゃ売り場に配属になったのり子は、配属初日に「ゆりちゃんの好きなようにしていいから」のチーフの言葉の通り、自由な発想でやりたいようにやらせていただいた。


これまでのおもちゃ売り場は商品をただ置いているだけだったが、のり子はお客様に自分から近づくことを積極的にしていった。

おもちゃのミシンやはたおり機で作った作品を展示して、こちらの商品をお求めになるとこのようなことができます、と商品を手に

もっとみる
00:00 | 00:00

のり子は念願の売り場異動が叶い、嬉しくてたまらなかった。


たまたま退職の方がいらっしゃってその補充という形でおもちゃ売り場に配属になった。

売り場初日にチーフのイシタさんに挨拶に行った。
イシタさんはフランクな方で一緒に売り場を廻りながら商品の簡単な説明をしてくださった。


そしてリカちゃん人形が陳列されているところに来て、
「ゆりちゃんには女児玩具を担当してもらうから。今日からここはゆり

もっとみる

のり子にとっては、「服」「髪」「靴」、この3つが揃い、会社では堂々といられるようになり意欲的に仕事をしていった。


のり子が入社して4~5年位の頃に、会社では「業務改革」という言葉が使われ始めた。

時代はどんどん変わっている。だからこれまでの成功が今後も続くとは限らない。過去の成果にこだわっていては時代の波に乗られないと考えられ、社内の組織が劇的に変わり業務もどんどん新しくなっていった。


もっとみる


入社したての頃ののり子は通勤着にどんな服装をしていけばいいか分からず困っていた。

のり子の勤務先は衣料品も扱っているから最初、売り場の方が勧めて下さったものを購入していた。

しかし、「あれは〇〇円の服だ」とすぐに分かってしまうのが恥ずかしく感じてその内、社外のお店から買うようになった。

貧乏な家に育ち、いつもおさがりの服しか着ていなかったのり子は自分で服を選ぶことができず、お休みの日に探し

もっとみる

のり子は食事も喉に通らないほどになっていた。

縁談を破談させてしまった人。

そのセルフイメージを自分で勝手に作ってしまい、その世界から抜け出せずにいたのり子は、ある日、温泉の体重計の数字を見て目が覚めた。

30kg台の自分。

大きな鏡に映る姿は頬がこけて目がくぼみ、骨と皮だけの貧相な体形の女性がいた。




自分の感情に流されていて、それが体中の雰囲気に溢れていた。

これではいけない。

もっとみる

入社前の研修が松戸市の研修センターで始まった。

東京に本社があり日本各地にお店がある小売業に就職したのり子たちは、社会人としての常識や、就業規則、接客方法などを一週間、研修センターに宿泊して学んだ。


まだ、誰がどこの売り場に配属になるかは分かっていない。それは入社式の時に辞令が渡されその時初めて分かるのだ。


1970年代の新人教育はスパルタ式だった。
「分かりましたか!」
と聞かれたら、

もっとみる