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因果は巡る

遅い昼食を長男と一緒に食べながら、なんとなくつけていたテレビで「徹子の部屋」をやっていて、見るともなしに2人で見ていた。こんなご時世もあって、番組は過去の放送分を再編成したものだ。3組目のゲストは東ちづるさん親子で、もう20年近くになる母と娘の確執とカウンセリングを通しての関係の結び直しについて、語っていた。

良妻賢母の母親の期待に沿う良い子を演じ続けてきた東さんの親への恨みのような感情は、実は私にもよくわかる。一人っ子の私にもそういう時があった。親の願いに沿って人生の選択をしてきてしまったのではないかという後悔は、一時期母に対する激しい感情になって吹き出したことがあった。自分の思いをわかってほしくて、ある時「私はそのことを恨んでる」と母に告げた。それを聞いた時の母のヒステリックな叫びは忘れられない。母には受け止められないことだったのだろう。ベッドの上で激しく体をこわばらせて叫び続ける母におおいかぶさり、私は「ごめんね」「ひどいことを言ってごめんね」と繰り返すしかなかった。

考えてみると、高齢の母に今ごろになって、育てられた恨みごとを言うなんて、なんて残酷なことをしてしまったのだろうと思う。あれも娘としての甘えだったのだろうと今になるとわかる。そのままの私を愛してほしかった。悪かったと謝ってほしかった。そうすれば長年のわだかまりが溶けていくのではないかと考えていた。私だけの自分勝手な思いだ。

そんな昔のことを思い出しながら「徹子の部屋」を見ていると、息子は東さんに否定的な意見のようだった。

ーーーカウンセリングってあの歳でお母さんはそれを望んでいたのか。東さんの一方的な思いでやっているのではないか。良妻賢母もこのお母さんの個人的な問題というよりは、その時代、社会の価値観を映していただけなのではないか。あの歳になって変われと言うのはどうなのか。

息子の言っていることはまともだと思う。しかし、私はそれが自分に向けられているようでいたたまれなかった。

ーーでもねぇ、そういう時がお母さんにもあったんだよね。子どもが生まれてからかなぁ、私は自分がされたような子育てはしないって、思っちゃったんだよね。

息子はそれ以上強く言うことはなかったけれど、息子が私のしてきたことに理解をしてくれたようには思えなかった。彼もまた、私のようにはならない、今そう思っているのではないかと感じた。

因果はめぐる…母のような生き方をしたくないと思って生きてきた私自身を、息子は否定的に見ている。

いや、もっと別の思いが息子にはあるのかもしれない。私は母のように自分の価値観や理想を子どもに押し付けるような子育てをしたくない、そのままの息子を愛したいと思ってきたけれど、息子からは、私の口には出さない期待が重荷だったかもしれない。どこかで親の願いを感じとりつつ子ども時代を過ごしてきたのかもしれない。息子のありのままを愛してきたつもりが、息子からしたらそれは本当の自分ではない、という思いを抱えていたのかもしれない。そんなことに今さらながら気がついた。母も、今日の私のように苦い思いで過去を振り返ったことがあっただろうか。


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