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私が学校しんどい人にむかってつぶやくわけ

去年の8月から、Twitterで「学校とかしんどい人へ」というコメントをしています。この人なんでこんなことやってるんだろう、と思われた方がいるかもしれません。私は教育関係者でも心理学の専門家でもなく、かつて学校に行きづらかった子を持つ親です。過去形なのは、その子がもう大人になって、自立しているからです。毎年NHKで「8月31日の夜に」という番組があって、その時期になるとソワソワしていたのですが去年はやる気配がなくて、「え、やらないの⁉」と何かせずにはいられなくなりました。休校などの関係で学校によって始業日がバラバラだからかなあ、なんでやらないのかなあ、と。実際には番組名が変わっただけでやっぱりあったんですけど、数日発信しただけで何かがどうにかなるわけではないし、ひとりでもいいから見てくれればいいなと思って続けています。

子どもは中学の途中から学校に行きづらくなって、オンラインゲームで昼夜逆転、ご飯もほとんど食べていないようでした。ようだった、と言うのは、私はそのころ毎日夜中まで仕事で家にいなかったから。食事を用意しておいてもそのまま残っていたりということがよくありました。学校に行ってほしいとは思わなかったのですが、なぜ行けなくなったのかその理由は知りたいと思いました。家庭環境を整えてあげられていなかったので、やっぱり自分がダメなせいなのかと。対応の糸口になりそうな、ヒントが欲しかったのもあります。

当時、私は仕事から帰ってきてそのまま次の日のお弁当や食事の用意、洗濯など家事をして、文字通りソファーに倒れこんで瞬きすると朝になっているような生活をしていました。睡眠不足のまま仕事で十何時間もパソコンに向かって、帰ってきても子どもがパソコンでカチカチやってる。この仕事で自立できるようになりたいと必死で続けていましたが、寝ても覚めてもマウスのカチカチが耳から離れず、かなりきつかった。そのカチカチ音が、こうなったのはお前のせいだ、と言っているように思えてとてもつらかった。なぜかこの子は大丈夫という絶対の自信はあったけど、身体的に限界が来たらこの家族は本当に壊れちゃうのかな、とうっすら頭に浮かんだこともある。

結局もうどう頑張っても無理、というのと部署が解散になりそうというタイミングが重なって仕事は辞めたのですが、そこからいろいろなことが回り始めます。子どもはゲームに埋没していたわけではなく自分の未来を考えていて、私が退職してすぐに動き出しました。学校を変わり、これを頑張るからこんなことはやらせてほしい、とかしっかり自分の考えを持っていました。正直びっくりしました。もちろん急に何もかもうまくいったわけではなく、変わった学校は行ったり行けなかったり、チャレンジしては壁にあたり。慣れなくて私も右往左往してました。でも自分の中では、がっつりこの子につきあってやる、という覚悟はありました。そんなある日、子に留学の話が持ち上がります。そして、「そうしたいと思う」と自分で決断します。そこでは、まあ受け入れ先の調整待ちみたいなことでまだ少し先のことかな、ぐらいに思っていました。

だけどその日は突然やってきました。

実際に出発が決まったら、もうあっという間でした。夜、部屋の片づけを一緒にして。要るものと要らないものを分けるのは、まるで今までの人生を振り返る作業のようにも思われました。手を動かしてなんとか冷静でいようとしましたが、気持ちはぜんぜん現実に追いついてきませんでした。時間も遅くなり、これぐらいにしておこうか、と終わりにしようとした時。子は私に向かって言いました。

「お母さん、今まで育ててくれてありがとう」

それを聞いて、私は膝からガクッと崩れ落ちるような気がしました。
その時なぜか、ゲームをしていた子の背中が叫んでいたのは
”お前のせいだ!”じゃなくて、
”お母さん、助けて!”だったのかも…とハッと思ったのです。
本人に確かめたことはないので本当は違ったかもしれません。でも、もし助けて、と全身で訴えていたのだとしたら。どんなに苦しかっただろう。ひとりぼっちでどんなにさびしかっただろう。どんなに怖かっただろう。それを考えたら、なんて自分はバカだったんだろうって思った。もちろん自分としては、もう本当にできる限りの努力はしてた。全力なんてものじゃなく。それ以上のことができたかと言えば、やっぱり無理だったと思う。だけど、なんで気づくのが今なの。

もしかしたら、子は親に求めることをあきらめたのかもしれない。もしかしたらこの言葉は、礼儀として出たものだったかもしれない。でも本心がどうであれ、家庭内や親に対していろいろ思うこともあっただろうに、ありがとうと口にし、巣立っていこうとしている。自分の足で立とうとしている。それは子どもの成長なんだから喜ぶべきことなんだけど、急すぎて、なんだか子どもが遠くに行ってしまうようで、私がどんなにこの子を守りたいと思っても、もうそれはできないんだなと思った。

それから子どもは、泣いて笑ってたくさんの貴重な経験をして大人になって、今、自分の道を歩んでいます。人の力のすごさというか希望の光みたいなものを、目の前で見せてもらった気がします。

そうして何年か経った今でも、私は、あのガクン、という感じを忘れることができません。当時はとにかく目の前のことに必死で、先の見えなさが苦しくて、ずっといっぱいいっぱいだった。仕方がなかったと言えばそれまでなんだけど、仕方なかったでは済まされないし終わりにしたくない。子がひとりぼっちだったように、どこかで誰かが同じような気持ちでいるとしたら…そう考えると、つぶやかずにはいられなくなるのです。

学校に行けずにいる要因はさまざまです。経済的なことや家庭の問題、組織の問題…医療的なアプローチが必要だったり。学校に行けるようになることがすべてのゴールでもない。何がどう作用するかはわからないから、熟慮を重ねた上で、内容や言葉は慎重に選びます。そして、たまたま隣にいてくれたおばちゃん、みたいなスタンスを保つ配慮は忘れないようにしています。

あくまでも個人的な見解ですが、親が子どもにしてあげられるのは、自分には自分のことを決める力があると実感できるよう、環境を用意する(その努力をする)ってことじゃないかと思います。子どもの生きる力を信じて。子どもが歩きだしたら、もう見守るしかないのです。無事を祈るしかできないのです。子どもたちには…その時までどうか、なにがなんでも(人として外れない範囲でだけど)どうかあきらめないでほしい。

そんな思いでブツブツ言っていますので、なんだかしんどくなった時、まあそんなこともあるかもね…とのぞきに来てもらえたらうれしいです。これから先に何が起こるかなんて、本当に、誰にもわからないんだもの。





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