#09 神からの試練-1
あなたは神を信じますか?
こんな問いかけではじめたら、月猫は宗教団体のまわしものみたいに思える。
ちなみにわたしは、無神論者だ。
神などいない。
そう思って生きている。
そんな月猫だが、いままでに何度も、これは神の試練ではないかと思いたくなるできごとに遭遇している。
その中でも三本の指にはいるできごとを、ここで紹介してみたいと思う。
ひとつひとつがそこそこボリューミーなため、本タイトルは3部作としたい。
まず一つ目の試練。
これは、月猫の生き方そのものを変えることを余儀なくされた事件でもある。
そう、わたしが治らない脳の病気を発症したときのおはなし。
わたしは大学を卒業したのち、IT業界、石油業界の営業として、いわゆる「キャリアウーマン」としての道を順調に歩んでいた。
どれくらい稼いでいたかというと、そうね、20代で大阪市内に三階建ての注文住宅を一括で建てられたくらい。
まあ、忙しかった。
以前の記事でもふれたように、平日は朝から夜中の三時まで仕事、休みの日は日本各地の登山にでかけ、とにかく異常なほどの活動をしていた。
それだけでも、たぶん発病するのに十分な要素はあったのかもしれない。
そこへきて、ダメ押しの一撃。
「上司からの強姦未遂事件」が起きた。
当時私は結婚しており、夫を大阪に残して、東京で単身赴任の生活をしていた。
それが起きたのは、出張に出ていた時のこと。
出張イコール夜の接待で、飲みの場があったわけだが。
いつものように終了し、さあ帰ろうかといったときに、同席していた上司に声をかけられた。
「もう時間も遅いし、ホテルまで送って行ってあげるよ」
「お気遣いなさらず。大丈夫です、すぐそこなんで」
実際目と鼻の先のビジネスホテルを予約していたため、わたしはあっさりと断った。
だが、この時上司は引き下がらなかった。
「この辺危ないからさ、遠慮せず。ほら、行こう」
これ以上断るのも変かなと思い、しかたなく、ホテルへと向かうことにした。
目的のホテルが目視できるあたりで、わたしは立ち止まり、もう一度断った。
「もう見えてますので、今日はお疲れ様でした」
「ここでなにかあったら僕の責任になるじゃないか。いいから、ロビーまで行くよ」
また、押し切られる。
まあロビーまで行けば納得するか、そのくらいの考えで提案を受け入れた。
ロビーにつく。
月猫がチェックインをしている間、なぜかその上司は帰ろうとしない。
「あと上に上がるだけなので。もう大丈夫なので、おかえりください」
鍵をもらい、わたしは上司を帰そうと試みる。
しかし。
「部下がどういう部屋に泊まっているのかみる必要がある」
などと言い出した。
この時、月猫はもちろんお断りをした。
だが、男性経験が少なすぎた(大学ではじめて付き合った男性とそのまま結婚した)ことと、警戒心のなさ、押しへの弱さがあだとなった。
居座られてらちがあかない、部屋をいったん見たら帰るというのを信じ、エレベーターで部屋にあがってしまった。
わたしは部屋の扉をあけ、外から中を見る形で、
「これで満足しましたか、帰ってください」
といった。
が、帰ってきたのは返事ではなく、無理やり部屋の中に連れ込まれて、ベッドに押し倒されるという事態だった。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
正直、こんなことが起きるとは夢にも思っていなかった。
男勝りに営業をするわたしを、女として見られるとは、想定外だった。
今の年齢になって思えば、脇が甘かったの一言に尽きる。
なんとしてでも部屋に近づかせるべきではなかったと。
だが、その時のわたしは本当に世間知らずな少女に等しかった。
学生時代に柔道をしていた月猫だが、その時ばかりは恐怖のせいか、抵抗らしい抵抗もできなかった。
男性の力というものがどれほど強いか、思い知った瞬間でもあった。
両の手首を片手で握られ、万歳をするかのように固定され。
あっという間にスーツのジャケットを脱がされ、シャツのボタンがはがされていく。
「やめてください!」
叫びもむなしく、ブラジャーに手がかかる。
覆いかぶさるように下半身を固定され、膝が、股下にくいこんでくる。
とにかく気持ち悪かった。
「何をしてほしか、わかるだろう?」
にたりとほほえんで、その上司は自分の股間をわたしの体にすりつけてきた。
どうしよう。
どうすれば、この男から逃げられる??
携帯電話はジャケットの中。
助は呼べない。
なんとか、この男を外に出さなければ。
「わかりました、でも、わたし、すごくのどが渇いてるんです。水を買いに行かせてください。そしたら、続き、しますから」
精いっぱいの言葉だった。
男は少し考えた様子だった。
すると、納得したのか、男はわたしを拘束していた手を離した。
「じゃあ、早く、準備して」
わたしは大急ぎで服を着て支度をした。
外に出て、上司を連れて近くのコンビニに向かった。
水だけならホテルの自販機でと言われたため、明日の朝ご飯を買いたいといって、なんとか誘導。
その後、上司が商品を見ているすきに、わたしは大急ぎで逃げ出した。
ホテルに戻り、事情を話して別の部屋に変えてもらい、大急ぎで部屋に入る。
その後、上司からは鬼のような着信が入っていたが、全て無視をきめこんだ。
その日はなんとか持ちこたえたわけだが、その日を境に、その上司に性的なターゲットとされることになった。
直属の上司であったため、無碍にするわけにもいかず、また、前回同様出張に同行することも少なくはなかった。
飲みの席では隣にすわられふとももを撫でまわされ、朝はストーカーよろしく会社の最寄りの駅で待ち伏せされ。
誰にも相談できずに、何か月か経ったある日。
様子がおかしいことに気づいてくれた先輩がいた。わたしが当時大好きだった先輩だ。
「最近なにかあった?」
突然夜にきたメールに、わたしは泣きながら返信した。
強姦未遂をされたこと、その後もセクハラが相次いでいること、待ち伏せまでされていること。
すると、先輩は、
「俺がサポートするから、人事に話したほうがいい」
その言葉で、わたしは社内にセクハラ相談窓口なるものがあることを知り、そこに対して膨大な資料を提供することになった。
強姦未遂の詳細、その後あったセクハラの数々。
全てをレポートにまとめ上げ、糾弾すべく動き回った。
すでに通常の仕事量だけでもオーバーワークのところ、その資料作りは結構な重労働だった。
資料の信ぴょう性をあげるため、居酒屋に店内の防犯カメラ映像の提供をお願いしにいったりもした。
「これだけあれば大丈夫だ、そいつは懲戒処分になる」
人事部長にもそう太鼓判をおされ、あとは社長に報告してすべてが終わりになる、そう思っていた。
が、返ってきた社長からの言葉は、
「なかったことにしよう」
というものだった。
正式な文章もまわってきた。
「厳重注意をしたから、これ以上はなにも言わないように」という口封じの文書だった。
愕然とした。
それから、たしかにその上司からのセクハラはなくなった。
わたしも、通常通りに業務をこなした。
それで、納得いかないまでも、終わるはずだった。
いよいよ、Xデーがきた。
それは、社内の泊まり込みの二日間の研修のとき。
途中何度も、「体調悪いの?」と色んな人にきかれた。
確かに、最初からあまり調子は良くなかった。
おひるごはんも喉を通らなかった。
そして。
研修も終盤、最後に「お偉いさんからの言葉」として、その上司が登壇した。
なにごともなかったかのように。
自分の言葉が、とてもいいことを言っている、というようにしゃべるその姿をみていると、わたしは言いようのない怒りがこみ上げるのを抑えきれなかった。
この場で、全てを話して、全員から白い目で見られればいい。
そんなところで偉そうに話す資格なんて、あいつにはない。
その怒りが頂点に達したのか、わたしは次の瞬間、その場で倒れてしまった。
その後、わたしは様子がおかしいとのことで、当面の仕事をすべてキャンセルされ、単身赴任先から大阪の家に強制送還された。
新幹線での帰り道、大阪時代にお世話になった先輩が付き添ってくれたのだが、ずっと泣いていた記憶はあるが、詳細は記憶していない。
気づいた時には病院にいて、脳の病気であることを告げられた。
諸々の無理がたたったのと、ダメ押しはそのセクハラ上司のストレスだったのだろう。
かくして、わたしは障害者二級となった。
薬の服薬が始まり、判断力があからさまに低下。
今までのように数億の金額を秒で動かす仕事など、できるはずもなく。
しばらくリハビリを続けるも、退職の道を選んだ。
8年の結婚生活も、その病気が原因でうまくいかなくなった。
わたしは、購入した家を明け渡すことを条件に、離婚を受け入れてもらった。
そして、わたしは生き方を変えることにした。
いや、変えざるを得なかった。
職を失い、家も失い、わたしは生きるためにまず地方に行くことを考えた。とてもじゃないが、年金生活で東京や大阪で家賃を払い続けるということは現実味がなかった。
病気のことも考えると、大好きな大自然がある場所がいい。
そう思って、わたしは北海道への移住をきめた。
それから、あちこちに移り住んだ。
以前のはなしにあったように、実にいままでに19回。
これは、一見自由な生き方にみえるかもしれないが、わたしとしては、あがきぬいた結果なのだ。
これが、月猫に襲い掛かった第一の試練。
神様なんて信じちゃいないが、都合のいいときは神様のせいにする。
そう、これはきっと、わたしを「強く」するために神様が用意した試練なのだ。
そう思えば、いくばくか心は軽くなる。
すくなくとも今の病気があるからこそ、今のわたしはあるわけで。今出会えたひとたちも、今を構成するあらゆる要素は、この病気というアクシデントがなければ存在しなかったものになる。
今のわたしを肯定するためにも、この試練はわたしに必要なものだったのだろう。
だれもが、生きていれば「つらい」ことに直面する。
それは、他の人からみれば何でもないことだったり、理解できないものだったりするかもしれない。
だけど、そういった「つらさ」は、誰かと比較してどうこういう種類のものではない。
あなたが「つらい」と思ったのなら、間違いなくそれは「つらい」出来事。
でも、それを嘆いてばかりというのはお勧めしない。
その「つらさ」を糧に進めば、その「つらさ」は絶対にあなたの「強さ」に変わる。
だから、前を向いて、踏ん張って、行こう。
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