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#13 旅する猫の最終地
月猫は日本全都道府県を旅したことがある。
軽自動車でひとり、荷物は寝袋と身の回りの小物のみ。
かかった日数約1ヶ月。
かかった費用約20万円。
全日程車中泊。
お金はなるべく使わずに、現地のスーパーなどで食材調達。
この旅の目的は、観光ではない。
そう、どこに「住むか」。
月猫の最終移住地を探しての旅だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1714641158857-utml0rbgEC.png?width=800)
移住地のなかである程度長く住んでいた北海道。
その北海道でも一年に一回のペースで住みかを変えていたわけだが。
当時、月猫の病状はかなりひどかった。
病気がひどいというよりは、薬の副作用がひどい状態で、北海道生活後半になるにつれ人間らしい生活はできていなかった。
一日に服薬していた薬は、なんと約50錠。
薬ででた副作用を押さえるために別の薬を処方され、それが延々と続いてその量になった。
手は震え、文字を書くこともできず。
記憶することもできず、数分前のできごとすら分からず。
買い物にいっても、レジでいくらお金を出せばいいかわからず。
このままではいけないと、たぶん本能が悟ったのだろう。
北海道の地は気に入っていたが、このままでは廃人になってしまう、と。
そしてわたしは次なる地を探すことにした。
北海道にかわる、心を癒す大自然。
年金暮らしでもやっていける物価。
なにより、自分にあう医者をもとめて。
ぼんやりする頭で色々考えて、いろんな地方の移住サイトで情報収集した。
だけど、どこも決め手がない。
ならば。
いっそのこと、見て回るか。
障害者ゆえ、時間はある。
わたしはそうやって、「最終地」探しの旅にでた。
正直今思えば、あの判断能力でよく一人旅(しかも車で)などやったなと思う。
北海道から青函フェリーに乗り、トラックに紛れて青森へ。
岩手から太平洋側をまわり、関東、甲信越。
中部地方から久しぶりの関西も堪能し、中国地方から九州へ。
沖縄は、以前に旅行で何度も訪れたことがあったため、この旅ではいかなかった。
九州をぐるりとまわって、帰りは四国を経由して、行きに逃した都道府県をさらってゆく。
旅の最終地は東京のとある大学病院にした。
わたしの脳の病気を専門で研究している場所に、二週間の建て直し入院をさせてもらう段取りにしていたのだ。
最新の設備、最新の研究。
わたしはそこでかなり精密な検査をうけた。
そして、今の不調がほぼ薬の副作用であることを告げられ、移住と、減薬の方針を決めることとなる。
入院生活のなかでも、わたしの移住先えらびは続いていた。
なにぶんすぐ忘れてしまうので、訪れたすべての地域の点数表なるものを作成しておいた。
わたしの基準からみて、最終候補としてでたのは、二県。
長野か、山形か、その二択だった。
どちらもネットでみているときは、候補にもあがらなかった県だ。
しかし、実際に足を運んだときの、空気感というか、なんというか。
びびっときた、そんな感じだった。
悩み抜いた後、わたしは移住先をきめた。
海もあり山もあり、田園風景もある場所。
田舎だが、暮らすのに不自由はなく、なにしろ、減薬のプロがいる場所。
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![](https://assets.st-note.com/img/1714641351921-yP5VyWVkPY.png?width=800)
建て直し入院を終え、わたしは北海道へ帰り、その後すぐに山形へ移住した。
最初は減薬のための入院生活から始まった。
先生との相性もよく、50錠の薬が、あれよあれよと20錠に。
約三カ月の入院中に独り暮らしの家をきめ、ようやく手にした人間らしい生活。
その後も色々あり、今はまた二回ほど転居しているが、県内からは出ておらず、二時間かけて今もその病院にもかよっている。
薬は10錠程になった。
副作用もなく、頭のなかも、現役のころとまでとはいえないが、かなりクリアになった。
![](https://assets.st-note.com/img/1714641483969-ur0HPCjU3I.png?width=800)
わたしは、この地を最終地にしたいと思っている。
ようやく最期を共にしたいと思えるパートナーとも巡り合えた。
最後にもう一度、いい物件があれば引っ越す予定ではあるが、それはまた別の話。
旅をする前も、今も、まさか山形にたどりつくとは想像もしていなかった。
関西民からすれば、東北はある意味一番行きにくい場所だし、行ったこともなければ、住もうと思ったこともない。
「なんで山形に移住したの?」
移住してきて丸3年。
色んな人に、この疑問を投げかけられた。
地元の方々からも、昔の友人からも。
決定にいたるいろんな要素はあるが、なるべくしてなったような気もする。
そう、これもなにかの縁。
旅する猫は、迷子になりながらも、最終地にたどり着いた。
今こうやって過去の色々な出来事や、自分の考え方など、ぼんやりと書きはじめたのは、もしかしたらわたしなりの「終活」に近いのかもしれない。
いや、まだ終わらないけどね?w
このコラムを書き始めて、今まで引っ越しのたびになくしていた友人、知人とのつながりが、少しずつではあるが戻り始めている。
小学生からの友人。
高校の友人や部活仲間。
大学時代の教授、友人。
社会人になってからの交友のあった方々。
こうやって連絡をとれることが、なによりもうれしい。
そして、その方々に、音信不通だった月猫の「生きざま」を、ここを通してみてもらいたいのかもしれない。
旅する猫はようやく自分の生きていく場所を見つけた。
放浪の旅は終わりだが、人生の旅はまだ終わらない。
さあこの地で、どんな花火を打ち上げようか。
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