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#13 旅する猫の最終地

月猫は日本全都道府県を旅したことがある。
軽自動車でひとり、荷物は寝袋と身の回りの小物のみ。

かかった日数約1ヶ月。
かかった費用約20万円。

全日程車中泊。
お金はなるべく使わずに、現地のスーパーなどで食材調達。

この旅の目的は、観光ではない。
そう、どこに「住むか」
月猫の最終移住地を探しての旅だった。

移住地のなかである程度長く住んでいた北海道。
その北海道でも一年に一回のペースで住みかを変えていたわけだが。

当時、月猫の病状はかなりひどかった。

病気がひどいというよりは、薬の副作用がひどい状態で、北海道生活後半になるにつれ人間らしい生活はできていなかった。

一日に服薬していた薬は、なんと約50錠
薬ででた副作用を押さえるために別の薬を処方され、それが延々と続いてその量になった。

手は震え、文字を書くこともできず。
記憶することもできず、数分前のできごとすら分からず。
買い物にいっても、レジでいくらお金を出せばいいかわからず。

このままではいけないと、たぶん本能が悟ったのだろう。
北海道の地は気に入っていたが、このままでは廃人になってしまう、と。

そしてわたしは次なる地を探すことにした。

北海道にかわる、心を癒す大自然。
年金暮らしでもやっていける物価。
なにより、自分にあう医者をもとめて。

ぼんやりする頭で色々考えて、いろんな地方の移住サイトで情報収集した。

だけど、どこも決め手がない。

ならば。
いっそのこと、見て回るか。

障害者ゆえ、時間はある。
わたしはそうやって、「最終地」探しの旅にでた。

正直今思えば、あの判断能力でよく一人旅(しかも車で)などやったなと思う。

北海道から青函フェリーに乗り、トラックに紛れて青森へ。

岩手から太平洋側をまわり、関東、甲信越。
中部地方から久しぶりの関西も堪能し、中国地方から九州へ。
沖縄は、以前に旅行で何度も訪れたことがあったため、この旅ではいかなかった。

九州をぐるりとまわって、帰りは四国を経由して、行きに逃した都道府県をさらってゆく。

旅の最終地は東京のとある大学病院にした。
わたしの脳の病気を専門で研究している場所に、二週間の建て直し入院をさせてもらう段取りにしていたのだ。

最新の設備、最新の研究。
わたしはそこでかなり精密な検査をうけた。

そして、今の不調がほぼ薬の副作用であることを告げられ、移住と、減薬の方針を決めることとなる。

入院生活のなかでも、わたしの移住先えらびは続いていた。

なにぶんすぐ忘れてしまうので、訪れたすべての地域の点数表なるものを作成しておいた。

わたしの基準からみて、最終候補としてでたのは、二県。

長野か、山形か、その二択だった。

どちらもネットでみているときは、候補にもあがらなかった県だ。

しかし、実際に足を運んだときの、空気感というか、なんというか。

びびっときた、そんな感じだった。

悩み抜いた後、わたしは移住先をきめた。

海もあり山もあり、田園風景もある場所。
田舎だが、暮らすのに不自由はなく、なにしろ、減薬のプロがいる場所。

田園風景に浮かび上がる独立峰
蔵のある街並み
日本海には風車が連なる

建て直し入院を終え、わたしは北海道へ帰り、その後すぐに山形へ移住した。

最初は減薬のための入院生活から始まった。

先生との相性もよく、50錠の薬が、あれよあれよと20錠に。

約三カ月の入院中に独り暮らしの家をきめ、ようやく手にした人間らしい生活。

その後も色々あり、今はまた二回ほど転居しているが、県内からは出ておらず、二時間かけて今もその病院にもかよっている。

薬は10錠程になった。
副作用もなく、頭のなかも、現役のころとまでとはいえないが、かなりクリアになった。

わたしは、この地を最終地にしたいと思っている。
ようやく最期を共にしたいと思えるパートナーとも巡り合えた。
最後にもう一度、いい物件があれば引っ越す予定ではあるが、それはまた別の話。

旅をする前も、今も、まさか山形にたどりつくとは想像もしていなかった。

関西民からすれば、東北はある意味一番行きにくい場所だし、行ったこともなければ、住もうと思ったこともない。

「なんで山形に移住したの?」
移住してきて丸3年。
色んな人に、この疑問を投げかけられた。
地元の方々からも、昔の友人からも。

決定にいたるいろんな要素はあるが、なるべくしてなったような気もする。

そう、これもなにかの縁。
旅する猫は、迷子になりながらも、最終地にたどり着いた。

今こうやって過去の色々な出来事や、自分の考え方など、ぼんやりと書きはじめたのは、もしかしたらわたしなりの「終活」に近いのかもしれない。

いや、まだ終わらないけどね?w

このコラムを書き始めて、今まで引っ越しのたびになくしていた友人、知人とのつながりが、少しずつではあるが戻り始めている。

小学生からの友人。
高校の友人や部活仲間。
大学時代の教授、友人。
社会人になってからの交友のあった方々。

こうやって連絡をとれることが、なによりもうれしい。
そして、その方々に、音信不通だった月猫の「生きざま」を、ここを通してみてもらいたいのかもしれない。

旅する猫はようやく自分の生きていく場所を見つけた。
放浪の旅は終わりだが、人生の旅はまだ終わらない。
さあこの地で、どんな花火を打ち上げようか。

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