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BAR自宅、お屠蘇

 バーには黒猫がいる。
 テーブルの向こう側に座る、真っ黒ツヤツヤの毛並みと金色の目、くたくたのやわらかい体が自慢の、ねこが。
 
 いつもより少し寝坊をしても許される気がする朝。いつもより少し、空気が澄んでる気がする朝だ。
 彼女はふわふわもふもふのパジャマを着てのっそりとベッドから這い出てきた。眠たげな仕草でエアコンをつけて、ペタペタと素足でキッチンに向かう。起き抜けに水を一杯飲む毎朝のルーティン。
 くあ、と大きく伸びをして、欠伸をして、それからまたベッドまで戻ってきて黒猫を抱き上げた。ギュッと抱いて頬擦りをして、部屋が温まるまでもう一度布団に潜り込む。
 おはよう、と言いかけて口をつぐんだ。
 寝起きの暖かな声で大事に大事に言う。
「あけましておめでとう」
 うん、おめでとう。今年もよろしく。
 黒猫は飼い主に寄り添って囁く。聞こえていなくても、通じていなくても、猫にとって彼女に言葉をかけるのは大事なことだ。
 新しい年の、新しい朝。彼女はまた幸せそうに微睡んでいる。この温もりが猫の幸せ。この吐息が、猫の微睡だ。

 ようやくほんのりと暖まった室内、パジャマのまま彼女は冷蔵庫を探る。
 いくつかのパックとタッパーを取り出し、シンクの下から滅多に使わない白い大皿を引っ張り出してざっと洗う。パックの中身は一人分のお節料理の詰め合わせ、タッパーには昨夜作った栗きんとんとと黒豆。
 鼻歌を歌いながら盛り付けてテーブルへ運ぶ。
 真っ白なテーブルには特別に用意した赤いマットを敷いて、白い皿のお節を載せれば鮮やかなお正月の食卓が完成だ。カーテンを開けて、少しひんやりした朝の光に照らされて美味しそうだ。
 次に彼女は鍋を火にかけてお雑煮の準備に取りかかる。
「お餅は〜とりあえずふたつかな」
 ふつふつと漂ってくるお出汁の香りに、猫は鼻をひくつかせる。いい匂い。普段あまり自炊をしない飼い主でも、お雑煮くらいは手作りするようだ。お餅をふたつ、お椀に沈めてそれも卓に並べる。
「さ、あとひとつ」
 いそいそと取り出してきたのは美しいガラス製のお猪口と徳利。
「お屠蘇です」
 猫に向かってひら、と降ってみせた。

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