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ある喫茶にて。
古びた扉を押せば、昭和の喫茶。
祖父母の家のような匂いが鼻を包み、扉を閉めれば、世界に閉じ込められる。
薔薇の花びらのような触り心地の深紅の布製ソファ、長年客人に靴裏を擦られて、模様すらあやふやになった絨毯。くすんだメニューにゆっくり流れるクラシック。くちをつけると火傷するほど熱い珈琲。
乱雑に切り分けられた具、時折根っこで繋がった玉ねぎ。ペチャっとしたケチャップナポリタン。
年老いたマスター。疑問符みたいに曲がった腰の上で、柔い笑顔。
カウンター席には常連の老いた女性客が入れ替わり席を埋めて、ブラック片手に談笑。
ティーカップの揺れる音が、心地よく鼓膜を揺らす。
夫が亡くなったのよと、しゃがれ声。つっかけの先からは剥き出しの巻爪。皺。ふやけたような五指は生々しい。そんな白髪の老女に慈悲を向けるのも、また老女。
こちらは小綺麗な身なりで、胸元に咲くエメラルドグリーンのペンダントは、喫茶の装飾の如く馴染んでいる。かけたてのパーマ。少し浮いたピンクの紅。
まるでこの喫茶店はターミナル。
それぞれの長い人生が絡む。彼女たちは、過去に還ったような目をして語らっている。
ふかす煙草の煙が交じって、過去の景色が浮かぶよう。
いつかの昭和の時代にも、彼女たちはこの場所で同じように話していたのだろう。
今よりも少し艶のある、髪と肌に纏われて。
クラシックの揺らぎに心地よく、喫茶店は彼女たちを運びゆく。
ここは終着駅を前にした彼女たちの、柔らかい場所。
またひとり、扉のドアベルを鳴らして。
熱々の珈琲に口をつける。
写真︰軽食 マロニエ(鬼怒川温泉駅)
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